生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

人の同一性、今西錦司の〈変わるべくして変わる〉

2016年07月28日 17時28分15秒 | 生命論
2016年7月28日-2
人の同一性、今西錦司の〈変わるべくして変わる〉

 心の哲学まとめWiki 人格の同一性
  「或る精神が変化したならば、それは別の精神ではないか。また人は眠っているとき、ノンレム睡眠の状態では意識は途切れているとされる。ならば昨日の少年の意識と今日の少年の意識は別のものと考えられるのではないか?」
https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html[受信:2016年7月28日。]


→ノンレム睡眠で、意識は無い?、という測定または主張の文献は?
・人を例として論じる。
・自己意識と睡眠と肉体


 自分は、成長したり、性格が変わったりしても、同じ自分である。
 人の自己意識の同一性を、わたしは、ずっと認識している。ところで、わたしは眠る。→眠りの二種類と覚醒意識


 〈人は、日々、眠るとき、死んでいる。〉
 →このときの死の意味は、意識の焦点または肉体との接続の途切れ。 →意識の糸 thread of consciousness と生命の糸 thread of life。

・植物人間状態の検討、脳死が人の意識としての死。
 →肉体全体自体は生命エネルギーを受け取って、機能している。
・過程の不可逆性。


・記憶の同一性
・認知症、わたしは誰?→自己認識の機構の破壊か、発話の機構の機能不全か。

・個々の構成要素と構成要素間の諸関係



星野力.1998/7/15.進化論は計算しないとわからない —人工生命白書—.125pp.共立出版社.[本体2,300円+税][B19980728]

4.3.1 創発的設計論と自然選択万能説の限界(96-98頁)
4.3.2 多段創発はできるのか(98-102頁)
を検討せよ。



今西錦司の〈変わるべくして変わる〉

  「今西〔錦司〕:〔略〕化石を並べてみると、一定の方向に進化している。だから、定向進化は進化の事実である。私はこの事実を表現するために、生物はすべて「変わるべくして変わった」という言葉を用いているんですけれど、みなさんは〔略〕変わるべくして変わるではようわからん、どおっしゃる。」
(今西他 78〔今西錦司・吉本隆明、ダーウィンを超えて、今西進化論講義、朝日出版社、1978〕、p.83)
(伊庭斉志 『進化的計算の方法』、108頁により引用。)



□ 文献 □
伊庭斉志.1999/2/25.進化的計算の方法.173pp.東京大学出版会.[本体価格2800円+税][B19991013]

星野力.1998/7/15.進化論は計算しないとわからない —人工生命白書—.125pp.共立出版社.[本体2,300円+税][B19980728]




David Hull デイヴィッド ハル 1974の生命論(生気論と機械論)[1]

2016年07月28日 17時17分18秒 | 生命論
2016年7月28日-1
David Hull デイヴィッド ハル 1974の生命論(生気論と機械論)[1]
2016年7月26日-1に、
 2016年7月28日加筆(修正と追加)


生きているというシステム的状態
 生命とは、〈生きている状態〉を〈もたらす何ものか〉という力または作用の機構的な定義を考えることにする。
 生きている状態をもたらすということに限定しているのは、生命の本質を考えるには、妥当なことだろう。多くの論者が、生殖または複製を生命活動の特徴だとみなすのは妥当であるが、それは最低限に生きていることの結果であり、さらに余剰的な活動が可能でかつ実際にしたからである。生殖または複製は、まったくのところ、生きている状態をもたらすものではない。
 DNAの複製は生命維持に必須だという主張はきっとあるだろうが、DNA自体は不活性の物体であって、細胞が生きていて蛋白体合成機構を作動させるのである。PCR装置は実物の細胞全体を使っているわけではないが、環境条件を整えて、複製を作動させているのは結局のところ人である。自動化のためのプログラムを設計し、機械の実装するのも、人である。→機械論的説明の根本的欠陥。


生命の定義または生命論
 Philosophy of Biology といった本では、生命の定義はなされないか、きちんと取り組もうというものが、Mahner & Bunge (1997) を除くと、近年は少ない。索引に「life」が無いほどである。進化理論に関係することは議論されているのだが、むしろそれゆえにか(下記参照)、昔の本のほうが、生命とは何かについての議論が掲載されている。たとえば、Hull (1974) である。日本語の訳本は、木原弘二氏によるもので、『生物科学の哲学』として、1985/6/30に出版されている。
 Hull (1974) の生気論と機械論の説明部分を(木原弘二氏の訳業を参照しつつ)訳出して、生命機構、または生きている状態をもたらす機構、を考えることにしよう。

 「機械論 mechanism は通常、すべての科学は、究極には、物理学の特別な一分野である機構学〔力学〕 mechanics へと還元されるだろうという見解として解釈された。しかし機構学〔力学〕は、物理学の基礎としてさえ、ましてやすべての科学の基礎としては、不適切だと分かったのである。」
(Hull 1974: 126)[20160726試訳]。



機構学 mechanicsと動力学 dynamics
 物理学の分野名として、力学は mechanics の場合と dynamics がある。Mario Bunge は、不統一だと指摘している。dynamicsは、力学以外では、動力学とか動態と訳される。(特に微分の形で)時間変数が入っている方程式は、dynamics を記述するものとみなされよう。
 時間変数が入っていない場合、法則性、または事物の振る舞いへの様々な制約または拘束条件を与えることになる。その場合、自由性(または自由度)が定義できるだろう。そしてなんらかの測度が設定できる。
 では機構は、どのように定式化できるのか?。なんらかの法則性または、ここでは広義の力学的制約またはエネルギー的制約のもとで、機構、つまりいくつかの種類と程度のエネルギーをどのように使っているかを、生命体の物質的構成と構造と環境との応答から、推論することになる。



  「LIFE AS A VITAL FLUID

The most straightfofard version of vitalism is that living creatures differ from inanimate objects because they are made of different substances. Living creatures are made up of one kind of substance, inanimate objects another, and neither substanceis reducible to or derivable from the other. Vital substance is not made of material substance, and material substance is not made of vital substance. A slightly more sophisticated version of this type of vitalism is that everything is made of the same basic kind of substance, except that living creature contain an additional vital substance. After Newton, vital substance was more frequently characterized as a fluid, in analogy to caloric, phlogiston, and other imponderable fluids popular in the day. Just as heat was considered to be a fluid that flowed from warm bodies into cold ones, life was considered a vital fluid that was passed on in reproduction and departed upon death.

生命的流体としての生命

  最もわかりやすい見解の生気論は、生きものが生きていない物体と異なるのは、それらが異なる質料 substance からできているからだというものである。生きものは或る類いの質料から作られており、生きていない物体は別の類いの質料から作られている。生命の質料は、物質的質料から作られておらず、物質的質料は生命的質料から作られてはいない。この型の生気論の少しばかりより洗練された見解は、あらゆるものは同一の類いの基本的質料からできているが、生きものは追加の生命的質料を含んでいるところが例外だというものである。ニュートンの後で、生命的質料は一つの流体として特徴づけられることが、より頻繁となった。それは、熱素 caloric や燃素 phlogiston など、当時流布した計ることのできないものからの類推である。ちょうど熱が、熱い物体から冷たい物体へと流れる流体だと考えられたと同様に、生命的流体は、生殖の際に伝えられ、そして死に際して離れるものだと考えられたのである。」
(Hull 1974: 127-128)[20160726零試訳]。


 「生命とは生命的流体なのだと受け入れるならば、二つの帰結が必然的となる。すなわち、生きものは生きていない質料からは進化できなかったであろうこと、そして生命は実験室で人によって創造することはできないということである。」
(Hull 1974: 128)[20160726零試訳]。


 「生化学者は、正しい物理的要素をすべて、正しい秩序で結びつけるかもしれない。しかし、なんらかの生命的流体を加えない限り、生命を試験管のなかで創造することは決してできないだろう。生化学者はいずれの生命的流体であれ、どのようにして手に入れたらよいのか、途方にくれるばかりであるから、生きものを産出することはできないだろう。類似の論証が、計算機〔コンピュータ〕思考という考えに対する反論として、主張されてきた。もし心が、人々が持っていて機械が持っていない、特別の類いの質料であるならば、科学者は人が遂行できる(たとえば、チェスをする、数学問題を解く、帰納的推論をする、詩を書く、だまされる、などなど)心的離れ業のなんでも遂行できる計算機〔コンピュータ〕を製造したとしても、必要な心的質料を欠いているから、それは決して意識的であることはないのだ。
 〔略〕1828年の二要素の合成と、DNAの複製する部分の生産の近年の成功 を含んだ、後の諸達成は、この見解の生気論の放棄に重要な役割を演じたに違いないと考える人がいるだろう。それは、本当ではない。1837年の星の〔動きの〕逆説が観察されるよりもずっと前に、天文学者たちがプトレオマイオスの体系を棄てたのとちょうど同じように、たいていの生物学者たちは、その存在が決定的に論駁されるよりもずっと前に、生気的流体という概念に幻滅したのであった。その概念を生物学者たちが棄てた理由は主に、研究の進行のうえでなんらの進歩にも導かなかったから、またそれとは両立しない他の理論が、具体的には進化理論が、生じたからである。もし生きものが、遠い過去に、純粋に生きていない質料から自然発生したのならば、生命は生命的流体ではあり得ないことになる。よって、少なくとも原理的に、試験管内で生命を創造することは可能なのである。」
(Hull 1974: 128)[20160726零試訳]。



□ 文献 □
ハル,D.L. 1974(木原弘二 訳 1985/6/30).生物科学の哲学.v+232pp.培風館.[2400円][B19850705、2,000円*?][Rh19890328][Philosophy of Biological Science. Prentice-Hall, Inc. ]

Hull, D.L. 1974. Philosophy of Biological Science. xi+148pp. Prentice-Hall. [B20000731, out of print $65.99+5.95amz]

Hull, D.L. & Ruse, M. (eds.) 1998. The Philosophy of Biology. ix+772pp. Oxford University Press. [B19981118, $85.00+5.95=90.95]

*Hull, D.L. & Ruse, M. (eds.) 2007. The Cambridge Companion to the Philosophy of Biology. Cambridge University Press.

Mayr, E. 1982. The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance. ix+974pp. The Belknap Press of Harvard University Press. [B19950511, $18.95-1.89+51.81/4]

Mayr, E. 1988. Toward a new philosophy of biology: observation of an evolutionist. xi+564pp. Harvard University Press. [B19941226, $16.95+1/2*3.85]

Rosenberg, A. & McShea, D.W. 2008. Philosophy of Biology: A Contemporary Introduction. xii+241pp. Routledge. [B20080424, y4023]

Ruse, M. 1988. Philosophy of Biology Today. x+155pp. SUNY Press. [State University of New York Press ?***] [B19991007, $16.95+30.85/5]

Ruse, M. (ed.) 1989. What the Philosophy of Biology Is: Essays Dedicated to David Hull. xi+337 pp. Kluwer Academic Publishers. [Psep200309]

Sober, E. 1993. Philosophy of Biology. xix+231pp. Westview Press. [B19941212, y2000]

Sober, E. 2000. Philosophy of Biology. Second edition. xviii+236pp. Westview Press. [B20070331]

Sterelny, K. & Griffiths, P.E. 1999. Sex and Death: An Introduction to Philosophy of Biology. xvi+440pp. The University of Chicago Press. [B19991116, $22.00+54.60/8]