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David Hull デイヴィッド ハル 1974の生命論(生気論と機械論)

2016年07月26日 18時07分59秒 | 生命論
2016年7月26日-1
David Hull デイヴィッド ハル 1974の生命論(生気論と機械論)

 Hull (1974) の生気論と機械論の説明部分を(木原弘二氏の訳業を参照しつつ)訳出して、生命機構、または生きている状態をもたらす機構、を考えることにしよう。
 生きている状態をもたらすということに限定しているのは、生命の本質を考えるには、妥当なことだろう。多くの論者が、生殖または複製を生命活動の特徴だとみなすのは妥当であるが、それは最低限に生きていることの結果であり、さらに余剰的な活動が可能でかつ実際にしたからである。生殖または複製は、まったくのところ、生きている状態をもたらすものではない。
 DNAの複製は生命維持に必須だという主張はきっとあるだろうが、DNA自体は不活性の物体であって、細胞が生きていて蛋白体合成機構を作動させるのである。PCR装置は実物の細胞全体を使っているわけではないが、環境条件を整えて、複製を作動させているのは結局のところ人である。自動化のためのプログラムを設計し、機械の実装するのも、人である。→機械論的説明の根本的欠陥。

 「機械論 mechanism は通常、すべての科学は、究極には、物理学の特別な一分野である機構学〔力学〕 mechanics へと還元されるだろうという見解として解釈された。しかし機構学〔力学〕は、物理学の基礎としてさえ、ましてやすべての科学の基礎としては、不適切だと分かったのである。」[20160726試訳]。
(Hull 1974: 126)。

 物理学の分野名として、力学は mechanics の場合と dynamics がある。Mario Bunge は、不統一だと指摘している。dynamicsは、力学以外では、動力学とか動態と訳される。(特に微分の形で)時間変数が入っている方程式は、dynamics を記述するものとみなされよう。
 時間変数が入っていない場合、法則性、または事物の振る舞いへの様々な制約または拘束条件を与えることになる。その場合、自由性(または自由度)が定義できるだろう。そしてなんらかの測度が設定できる。
 では機構は、どのように定式化できるのか?。なんらかの法則性または、ここでは広義の力学的制約またはエネルギー的制約のもとで、機構、つまりいくつかの種類と程度のエネルギーをどのように使っているかを、生命体の物質的構成と構造と環境との応答から、推論することになる。


  「The most straightfofard version of vitalism is that living creatures differ from inanimate objects because they are made of different substances. Living creatures are made up of one kind of substance, inanimate objects another, and neither substanceis reducible to or derivable from the other. Vital substance is not made of material substance, and material substance is not made of vital substance. A slightly more sophisticated version of this type of vitalism is that everything is made of the same basic kind of substance, except that living creature contain an additional vital substance. After Newton, vital substance was more frequently characterized as a fluid, in analogy to caloric, phlogiston, and other imponderable fluids popular in the day. Just as heat was considered to be a fluid that flowed from warm bodies into cold ones, life was considered a vital fluid that was passed on in reproduction and departed upon death.
  最もわかりやすい見解の生気論は、生きものが生きていない物体と異なるのは、それらが異なる質料 substance からできているからだというものである。生きものは或る類いの質料から作られており、生きていない物体は別の類いの質料から作られている。生命の質料は、物質的質料から作られておらず、物質的質料は生命的質料から作られてはいない。この型の生気論の少しばかりより洗練された見解は、あらゆるものは同一の類いの基本的質料からできているが、生きものは追加の生命的質料を含んでいるところが例外だというものである。ニュートンの後で、生命的質料は一つの流体として特徴づけられることが、より頻繁となった。それは、カロリックやフロジストンなど、当時流布した計ることのできないものからの類推である。ちょうど熱が、熱い物体から冷たい物体へと流れる流体だと考えられたと同様に、生命的流体は、生殖の際に伝えられ、そして死に際して離れるものだと考えられたのである。

[20160726零試訳]。
(Hull 1974: 127-128)。

 「生命とは生命的流体だと受け入れるならば、二つの帰結が必然的となる。すなわち、生きものは生きていない質料からは進化できなかったであろうこと、そして生命は実験室で人によって創造できないということである。」
[20160726零試訳]。
(Hull 1974: 128)。


□ 文献 □
ハル,D.L. 1974(木原弘二 訳 1985).生物科学の哲学.v+232pp.培風館.[2400円][B19850705、2,000円*?][Rh19890328][Philosophy of Biological Science. Prentice-Hall, Inc. ]

Hull, D.L. 1974. Philosophy of Biological Science. xi+148pp. Prentice-Hall. [B20000731, out of print $65.99+5.95amz]