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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

水、滴り落ちようと、天井と戯る。

2010年12月30日 22時17分54秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月30日-5
水、滴り落ちようと、天井と戯る。



 
  水が落下しようとするのは、重力などという隠秘的なものによるのではありません。
  滴という形態になると、水はひたすら、落ちたいと祈るのです。
  それが、本性なのです。

  汝の希望ぞ、叶えられん。

  しかるゆえ、
        水滴は落ちようとし、
                 (希みは叶い、)
        落ちるのだ。

                  [q.e.d.]


論文よりも、総説を、さらには(結局は世界観を表明した?)体系的な本を

2010年12月30日 21時14分28秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月30日-1
論文よりも、総説を、さらには(結局は世界観を表明した?)体系的な本を

 査読論文とは、多くの場合、一人以上(二人というのが最頻値かもしれない。二桁台になった場合については、Hull (1988) Science As a Processを見よ)の匿名査読者または記名しての査読者が査読し、それらの査読報告をもとに編集委員会が、場合によっては見識ある?編集長が独断的に採用したりして(George Evelyn Hutchinson (1903-1991)が編集長だったときの例)、掲載される論文である。
 投稿された論文の評価は、そのときの査読者に大きく依存すると思う。ということは、その限りでの評価であり、その分野をよく理解していない人が査読することもある。
 いくつかの学術雑誌の査読に通らないが、自分または関連する者たちの発想や考え方が、却下された学会の思想とか学会体制派の考え方と異なるだけであり、自分たちの考え方は妥当で価値があると考えた場合、新しい学会組織を作る場合がある。

 新しい思想は、開かれた考え方をする者に受け入れやすいだろう。たとえば、通説とは異なっていても、考えの筋道の論理性と実際のデータにもとづいた妥当性があれば、暫定的にでも承認するという人に、である。
 突破口を開く考えは、それまでの理論とそれらが基づいた(とされる)データを再吟味する論文によることがある。ときには大きく間違っていると、良い議論になることがある。
 (実験分野や工学分野では、いわゆる偶然的な発見が、突破口を開くことがけっこうの頻度であるようである。ただし、理論的再構築が行なわれないこともある。)

 (論理的飛躍によって。)

 みなさん。査読論文よりも、総説論文を、それよりも、概念的整理がよくできていてそれゆえに読みやすく、そして体系立っていて、かつ質の高い内容の(できれば300頁未満の)一冊の本を書いてほしい。

 われわれの生活は、つねに全面的である。
 (認識は片手落ちだったり、一面的だったりすることが、きわめて多い。)

Hull, D.L. 1988 (pb1990). Science As a Process: an Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. xiii+586pp. University of Chicago Press.

学問修行 2010年12月20日(月)

2010年12月21日 12時19分17秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月21日-2
学問修行 2010年12月20日(月)

 京都大学北部構内の門の左(味噌汁かお茶だったかの選択)と右(味噌汁つき)に500円の弁当が売られていた。しかし、初志貫徹、北部生協食堂へ。20数人の列に並ぶ。取ったのが味噌汁ではなく豚汁だったので、組みとなっている急ぎのランチおかずと最小量のごはんとともに、500円弱。
 文房具を見ようと、2階にあがる。その入口手前に本が並べられていて、結局、

岡村定矩(編).2010.11.宇宙はどこまでわかったか?[数学セミナー別冊].95pp.日本評論社.[y1,600+]

を買った。生協組合員証を見せたら、本は10%引きになったとのことだった。

 13:02から始まった、某研究室の演習seminarに出た。終わった後、教授がいれてくれたコーヒーを飲む。直(ストレート)も、うまい。演習には(職務上)博物館の准教授がいたので、教授に紹介してもらい、その人に博物館へと案内してもらい、話を伺った。月曜は休館なので、突然行っても入れなかっただろう。さらに、別の教員の方に紹介してもらい、データベースについて教えてもらい、また、収蔵庫などを案内してもらった。地下の標本庫は2層になっており、液浸のところには、今西錦司の模式標本も有った。

 現在の日本産アリ類画像データベース
http://ant.edb.miyakyo-u.ac.jp/J/
は、初心者用として絵合わせで同定できるようになっているところがあるが、改善点として、

  たとえば画像に矢印をつけて、どこが判別点となるかの説明文をつけること。

 そのようにして、(小学生高学年以上を含む)初心者が、容易に同定できるようにすること。

 教えてもらった、わかりやすい点で見本となる電脳場所は、わくわく昆虫ずかん:
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0140d/contents/top.html

である。しかし、
 http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0140d/contents/hakase/main.html
でダウンロードをしても、(当方がMacintoshだからだろうか)プラグインが見つからなかった。

 で、京橋で降りた。某画廊を覗く。ヒマラヤ岩塩。「瞑想さん」。


学問修行 2010年11月27日(土)、28日(日)、12月4日(土)

2010年12月20日 01時08分03秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月20日-3
学問修行 2010年11月27日(土)、28日(日)、12月4日(土)

2010年11月27日(土) 学問修行
 日本科学哲学会第43回(H22年度)大会/大阪市立大学。
 死体の数。個体性と生死。 シャム双生児という反例。

2010年11月28日(日) 学問修行
 日本科学哲学会第43回(H22年度)大会/大阪市立大学。

 
2010年12月4日(土) 学問修行
 総合地球環境学研究所公開シンポジウム「日本列島1万年の歴史からみた生物多様性と資源利用の知恵」/京都会館会議場。
http://www.chikyu.ac.jp/retto/osirase/retto-sympo_101204.htm

 内容
  0. 湯本貴和:趣旨説明
  1. 須賀丈:日本列島における半自然草原の歴史:人間活動の変化と草原環境の維持
  2. 児島恭子:開拓がもたらした北海道の資源利用の変容
  3. 佐久間大輔:里山の自然資源利用史に現れた持続と破綻、そして管理の役割
  4. 白水智:近世日本における山地資源の収奪と保全
  5. 総合討論:過去に学ぶ資源利用の知恵を未来にどう活かすか
 
 某ネパール料理店で某先生と。
  草叢〔くさむら、とも読むが、そうそう、だろう〕=glassland
  草原=steppe
     prairie
とのこと。steppeとprairieの違いは、気候の違いだったっけ?
  "The prairie (especially the shortgrass and mixed prairie) is an example of a steppe, though it is not usually called such. "
http://en.wikipedia.org/wiki/Steppe
と、Wikipediaにあるようだ。
  "Prairies are grasslands with tall grasses while steppes are grasslands with short grasses. "
http://www.ucmp.berkeley.edu/exhibits/biomes/grasslands.php
と述べるのもある。


2010年12月12日(日) 学問修行

2010年12月20日 01時05分25秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月20日-2
2010年12月12日(日) 学問修行

 京都駅内でブランチ、きつねうどんとおにぎりとつけものの組みで440円。
 11:08、JR山陰線花園で下車。iPhoナビつつ、歩く。
 11:54、図書館を見学しようかな。ゲートはあるが、学外者は受付へ、とある。学外は紹介が必要とのこと。しかし、1500円で半年間利用できると言う。すると、250円/月。
 
 2010年度生物学史分科会シンポジウム「合成生物学と倫理」/立命館大学末川記念会館1F講義室(衣笠構内)。
http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~ft12153/hisbio/frame_j.htm
 講演は、
  齊藤博英「生命システムの理解と制御を目指す合成生物学?その現状と課題」、
  米本昌平「合成生物学の論理とその社会的課題」。
  
 懇親会が終わり、いま嵐電帷子ノ辻。西院から阪急で梅田へと消えていった(、のはだれ?)

2010年12月19日(日) 難波近辺

2010年12月20日 01時01分50秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月20日-1
2010年12月19日(日) 難波近辺

 家電量販店に行く途中で思い出して、亜蛮人へ。
 亜蛮人年末展/ギャラリー & カフェ 亜蛮人。1階と2階。幅広い年代の27人からの出品とのこと。
 世界網 web 上で知った闇鍋展というのに興味があったので行ったら、それは終わっていたが、熱意ある画廊主から話が聞けた。たとえば、淡路島から紅葉した木の葉をもちこんだ人がいて、それ対して逐次相互作用的に面白い展示ができたらしい。む、蓮花茶?

 
 レーザプリンタのトナー交換をすると、認識しないか、紙づまりになって、印刷できない。緑色のポッチみたいなのを捨ててしまったのだろうか。後でわかったのは、トナーを捨てたとき、ドラムユニットごと捨ててしまったのだった。ドラムに緑色のポッチがついていたのだった。想定外の1万円少しの出費。この際、OKIのカラー・レーザプリンタを買いたかったのだが。

 
 テレビ出演した料理人とかで、添加物を避けているだろうと思って、300円割引の弁当を某百貨店地下で買った。しかし、箱の底に、

  着色料(青1、赤3、赤102、赤106、黄4、……)
  保存料(ソルビン酸)
  グリシン、……、ソルビット、

とあった。思い込みは禁物。ちゃんと底の表示を確認しなければならない。

システム的分析 systemic analysis

2010年12月15日 11時04分23秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月15日-3
システム的分析 systemic analysis

 一つの全体として捉えること。その方法と方法論。
 一つの全体を分析すること。
 一つの全体へと総合すること。

 八卦(二進)と七色(手頃な分類カテゴリーの数。あるいは、記憶の限界、あるいは存在論)。色即是空・空即是色、と、不即不離。
 
1. 構成分析〔組成分析〕 composition analysis
2. 構造分析 structure analysis
 構成要素間の研究
  →編制学〔編成学〕 organization study
  →全体学
3. 環境分析 environment analysis
  →法則性と条件
  →システム成立条件〔要件〕
5. 機構分析 mechanism analysis
  →メカニズム的アプローチ mechanismic approach
6. 一多性 university
  →universification 森羅化、一多化、ありとあらゆる化、……
7. システム全体の分析とシステム全体への総合
  網羅すること。分類すること。

 魔術数は7である、と今日まで伝えられている。
 4=中間点は、転換点であり、ゆえに隠されている(起源なるもの、または起源なること、の不可知性)。探究者は、それ、または、そこ、をひっぺがすことを試みる。
 分析は(物体の前では)不毛である、がゆえに、その行為は美しく、尊い。よって、何無網拿物(なむあみだぶつ=無という網で何でも物として捉えること)。

 結局、計算すること(って、結局のところ、何をしていることなのか?)、とどのつまりは降ろされた算法は、物(物体)と出会わなければならない。つまり、システム実装 implimentation。
 しかし、その前にシステムは成立していなければならない。




接ぎ木雑種 関連文献

2010年12月08日 21時27分01秒 | 生命生物生活哲学
2010年12月8日-2
接ぎ木雑種 関連文献

 昔、20年ほど前だろうか、接ぎ木をすると、DNAが移動して表現形質が変化するといったような、日本語論文かあるいは日本語訳論文を読んだことがあった。
 最近、分子規模scaleの知見が出てきているのかもしれない。
 種〔たね〕のDNA配列は、どうなっているのだろうか。

[L]
Liu, Y-S., Wang, Q-L. & Li, B-Y. 2010. Gene exchange between cells by grafting: New insights into plant graft hybridization. Heredity 104: 1-2.
http://www.nature.com/hdy/journal/v104/n1/full/hdy2009115a.html

[S]
Stegemann, S. & Bock, R. 2009. Exchange of genetic material between cells in plant tissue grafts. Science 324(5927): 649-651.
[これの紹介が下記にある。
 「接ぎ木雑種」再見!!
 植物組織の接ぎ木における細胞間の遺伝物質の交換。Science 2009年5月1日号。
http://www2.hak.hokkyodai.ac.jp/hakbio/plantscience/graft_gene_transfer.html


音楽は時間のなかには、無い

2010年11月18日 17時53分04秒 | 生命生物生活哲学

たとえば、音楽に聴き入る。

2010年11月18日-1
音楽は時間のなかには、無い

音楽は時間芸術だと言われる。しかし、
聴き入っているとき、時間は存在していない。

我も忘れている。
そのとき、何も存在していない。

存在ということが、あるのなら、
存在者[一般]が存在しているだけである。


バルカン☆人へのなるほど色のインタヴュー(第4巻)

2010年11月15日 02時00分15秒 | 生命生物生活哲学
バルカン☆人へのなるほど色のインタヴュー(第4巻)


??スポック博士。以前、謎色という色について耳にしたことがありますが、なるほど色というのは初耳です。
☆☆☆初耳や垢を煎じて賢くなる。字余り、ほいほい、と。
??なんですか、だいぶ地球の文化にも造詣が深くなりましたね。
☆☆そうですのじゃ。そもそも文化とは、なるほど色のスペクトル展開にほかならない。
??ムム、とどのつまりは?
☆☆すべて神の自己展開である。
??なるほど。では、ロボットは何をめざしているのでしょう?
☆☆その奴隷根性から言って、人間への奉仕、つまり反逆をめざしている。
??しかし、?
☆☆人間の目的は神になることである。もっと正確に言えば神であることを知ることである。われわれは発達した脳をもってからは物をつくるという神のまねごとをしつづけている。これは想像力のおかげである。想像力は創造力である。神が鏡によって自己認識したとき、宇宙ができた。むろん鏡は神自身であり、宇宙もまた神である。一が二になり三になるの公理である。
??うーーむ、さっぱりわかりません、ことがわかりました。
☆☆そう、わからないことをわからないという、それがわかるということである。
??どこかで聞いたようなセリフ。。。
☆☆それは当然である。すべては五十音であるから。
??それではサルがタイプライターで打ち出したシェイクスピアになるじゃないですか。
☆☆サルであろうとなんであろうと、情報が介在すればなんでもできる。すべてはエネルギーであるが、
    エネルギーは情報にしたがう
の公理のとおりである。人間は思考する。それはエネルギーに方向を与えていることであり、神になる練習をしているのである。したがって他人が発明・発見をしたそのときにそのアイデアを盗むこともできる。しかし、本人が独自の発見をしたといっても、本当は神々がそのアイデアが発見されるべく思考界にアイデアを送り込んだものを当人が発見したにすぎない。その意味では先取権争いとか著作権主張は無意味である。
??するとサルは情報だったのですね。
☆☆そのとおり。
??ではその情報とは?
☆☆情報は、取り決めのシステムによって発生することが運命づけられる。つまり発信人と受信人を想定し、解読コードを定めることである。
??つまりDNAは神だったのですか。
☆☆それはただしいけれども間違っている。神などはこの宇宙に存在しない。あるのはエネルギーと情報である。物質とはエネルギーの一形態であり、霊とは物質のしたがってエネルギーの精妙な存在様式である。
??えっ? 神は存在しないのですか?
☆☆そもそも名づけえないものが神なのであろうが、そう呼びたければ存在する。この宇宙に存在するのではなく、この宇宙そのものが神なのである。というよりこの宇宙は神の一部であり、したがってこの宇宙は神において存在するというべきだ。
??頭がくらくらしてきました。
☆☆全体は部分をしっているが、部分は全体をしらない。人間は宇宙全体を知らない。認識の程度が広がった分、宇宙がひろがっただけである。
??すこしはわかる話をしてください。
☆☆豚に真珠にたとえのあるごとしである。

??どうも今回はご機嫌斜めだっただったようで、すたこらさっさとバルカン星へスポック博士は逃げ去ってしまいました。
☆☆これこれ、ご機嫌もへちまも、バルカン星人は感情をとっくに超越したということを覚えておいてほしい。感情という粗野な物質を扱うのは簡単であるのだが、地球人の平均レベルではまだまだ難しいようだね。
??しかし、あいもかわらず突然でてきますね。
☆☆われわれは時間も空間も超越している。
??どうすればそうできますか?
☆☆まず、時間とは錯覚であることを悟らねばならない。時間とは運動にすぎない。それを感覚としてとらえると時間という概念となる。つまり、空間としてひとつであることを知ればすべては同時に起こる。世界はテープとして存在する。それは同時にひとつのものとして存在する。テープを回せば時間が生まれ、世界が時間の現象のごとくして運動するというわけである。よくわかっただろう。
??それで、人間はテープを巻かねばならないということですか。わかったということにしておきます。
☆☆そうそう、わかった気になるということが大事である。
??? ま、いいか。ところで人間とはなんですか?
☆☆人間とは、はじめから人間であるところのものである。人間が鉱物であった時代、植物であった時代も人間だったのである。
??そんな無茶苦茶を言わないでください。混乱します。
☆☆混乱しているのは、同一性をきちんと考えないからである。形態の進化と意識の進化を区別しないからである。あなたとは何か。意識の焦点をあなたの感情にあわせているとき、つまりあなたのからだを構成している感情物質に焦点を合わせているかぎり、あなたは自分をたとえば怒りといったもの、つまり怒りを住まいとしている神々に支配されていることを、意識せずに許しているということになる。これはあなたがあなた自身を感情として同定したということである。あるいは、肉体脳に焦点があるかぎり、自分をそれとして同定していることになる。つまり肉体とは牢獄であり、よりよき住まいにするにはそれなりの工夫がいるということだ。
??ますますわかりません。
☆☆つまり、移ろう世界においては同一性とは情報における同一性しかありえず、したがって神における自己同一性しかないのである。素粒子にしても、生成消滅するからには概念としての同一性、情報的同一性しかない。利己的遺伝子のいう己れとは何なのか。コピーされた遺伝子は物質的には同一ではない。保存されていくのは情報的同一性であり、それも変異していくのであるから、何をいっているのやらわからないことになる。つまり相対的に安定なのは、したがって実在するのはデザインであり、プランであり、イデアである。時計職人は隠れて健在なのである。
??わかったような、わからんような。
☆☆わかるときがくればわかる。それまで、さらばじゃ。

??てなわけで、みなさん、少しはわかりましたか。次の詩が参考になるかも~。
 
 
 
マリア・船粒・その他に
関する手紙のための断片

想い出や夢のなかで、海が向うの方へとひいていくとき、そこらには一面に荒れた岩場のようなものがあらわれてくる。その岩場のようなものは、おそらくはくもつた日には灰色にみえ、そしてまたあるときはその一部が、狭くにぶくとぎれたようにそこで輝く。ずつと以前、おそらくそこには水のようなものが流れ、それはひりひりし、そしてその上をまたなにかしらごちやごちやしたものたちが足もとの方からひきずられ、そして不意になにもかもなくなつた、そんなことが本当におこつたのかもしれぬ。だが、それをたしかめること、あるいはそれがそうではないといいきること、そのようなことに耐える力は、もうあたしには残されてはいない。
      〔中略〕
<マリア>。
      〔中略〕
 
 それは、くみつくされるとき、海や岩場に似たものになる。海や岩場に似たものは、あるときには、そのあたりに、なにか残光のように、一種船粒様のものをよびおこす。それからそれは、その海や船粒によつて、同時に拡散しながら、いつでも向うの方、もつと荒れたくらがりの方へと昇つていく。

   (岩成達也1969「レオナルドの船に関する断片補足」より)

システムの分類1

2010年11月07日 14時23分18秒 | 生命生物生活哲学
2010年11月7日-1
システムの分類1

 定義することは、なんであれ、自由である。だから、システムは実在物だと定めることができる。しかしここでは、より広い領域または射程がとれるように、実在しないもの(この意味が、どうであろうとも)も含めるようにしよう。
 したがって、システムの大きな分類(仕分け)として、


表1. システムの大分類

  システムーーー物体、つまり物質的個体。
      ーーー構築体、つまりわれわれが(どこかに?)構築した個体。たとえば或る概念(的個体)。


 ここで、システムとは、対象とできる、あるいはみなし得るものはなんでも言うことにする。なお、唯物論的立場からは、或る概念というものも、概念とはなんらかの物質から構成されるかもしれず、それらの構成要素間を結合する力によって一つのシステムとなっていると、みなす。ここでは人の意思的作用力が、或る概念をまとめて一つとしているものである。もとより、曖昧で漠然とした概念とか、構成要素としては明瞭だが(明瞭性の尺度も認識的観点で変異するので、観点と指標依存的だが)多義的な概念もあるだろう。

 しかし問題は、システムを形成している構成要素間の結合力である。これが、構成要素間に働く作用または力によって、システム全体がひとまとまりとして振る舞うことが説明されれば、下位システムの構成要素と構成要素間の結合力で説明できる、このように考えることにしよう(還元という用語は使わない)。

 そこで、この世界において存在している結合力を分類することになる。まずは、いわゆる物理的な力の分類を参照することにしよう。

 すると、科学的営為の本質とは何かが問題として関わるが、ここではその重要な目的または目標の一つとして、法則性の発見とその定式化を挙げておく。
 法則、あるいは法則そのもの(「そのもの」という言い方は、何を指しているのか概して不明瞭なので、ときには議論相手を煙に巻いているだけじゃないか、といったことになるので、避けたいところだが、ここではあえて使う)はどこにあるのか、といったことは、後に取り上げる。ただし、(おそらく唯物論的実在論にとって)

  法則は、実在するのか?
  或る法則が実在するならば、それは<どこに>実在するのか?

 これらは、大問題である(むろん、知らん顔することはできるし、んなこと考えたって、業績にはたぶんなりにくい)。

 ここでは、自然において観察されるものとして階層性を一つの大前提としておこう。
 もっとも、階層を定義したり同定することがすでに厄介な問題である。たとえば、*** (19** 行方不明)は、物体の空間的尺度における離散性に求めたが、それは認識的な段階といったことである。それでは階層を定義しておらず、或る階層においてはいくつのレベルがあるのか、同定基準も提供されていない。
 多少の細胞が死んでも、(多細胞)生物体は生きている。生物体が死んだ直後でも、一部ないし大部分の細胞は生きている場合がある(この現実世界で実際に生起する件数は多いだろう)。ただし構成要素は、それぞれなりに(おおざっぱには細胞の種類別の仕方で)崩壊していく。

 個体群とかメタ個体群といったものは、原理的にどこかで明瞭に区分できるわけではないので、恣意的にさだめるしかない。したがって、個体群やメタ個体群と呼ばれているものは、或るレベルとなるものではない。生物体organismまたは生物個体individual organismの振る舞いを記述するには、種などの分類単位で生物体を捉えればよい。そこでは統計学が便利である。個体ー個体群ーメタ個体群ー種、とか、(個体と種は、属員関係membership relationであるから、一つの階層を構成しないことを理解して、種を省いて)、個体ー個体群ーメタ個体群、とかという系列は、決して一つの階層hierarchyではない。

 空間的近接性は、なんらかの物体間や生物体間の相互作用をもたらすかもしれない。しかしそれはむろん結合力ではないから、或るまとまりをもたらすものではない。たとえば、いくつかの生物体が塊として認識される空間配置は、なんらかの力の作用または相互作用の結果であるかもしれないだけである。


視覚的表面/物質状態

2010年11月05日 18時55分53秒 | 生命生物生活哲学
2010年11月5日-1
視覚的表面/物質状態

 われわれの物質的視覚。
 空中は大部分が、気体状態の物質が占めている。そこでは、物質原子や分子の存在密度が高い固体の多くが、不透明な表面として、見えている(空間解像度に閾値があり、それよりも粗い物体について、ヒト視覚には、全表面が覆われる、ように見える)。
 液体はまとまって見えるので、表面が波立てば、そのように見える(むろん、波立っていると見えるから、波立っていると表現している、と言うほうが、より無難である=仮定が少ない)。液体には、透明から不透明まである。
 気体はどうなのか? 煙は、コロイド(直径1~100nmくらいの大きさの粒子が、気体中や液体中に分散している状態らしい)か。
 では、気体より密度の低い、しかし単に低密度というのではなく、相転移するといった、区分できる物質状態はあるのか? プラズマ状態ではなくて。
 O2とO3(オゾン)。超気体、隠れ物質 dark matter。

  「固体:近接分子は接触している。分子間の相互配置が定まっている。分子間相互作用はそれぞれの運動に影響を及ぼしている。
   液体:近接分子は接触している。分子間の相互配置は定まっていない。分子間相互作用はそれぞれの運動に影響を及ぼしている。
   気体:近接分子はかなり離れている。分子間の相互配置は定まっていない。分子間相互作用はそれぞれの運動にほとんど影響を及ぼしていない。」
(ウィキペディア 20101105
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%AE%E7%8A%B6%E6%85%8B
を表化。この表化は、正しいかな??)