goo blog サービス終了のお知らせ 

生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

[案内]12月26日(月)10時~ 再稼働と放射能瓦礫受け入れ反対・関西行動

2011年12月24日 00時13分20秒 | 放射能
[案内]12月26日(月)10時~ 再稼働とガレキ受け入れ反対・関西行動

  「12月26日に、大阪府庁と関西電力本社に、「ガレキ受け入れ反対」「再稼働反対」を抗議行動をします。」
http://no-nukes-hokusetsu.blog.so-net.ne.jp/

とのことである。
  10:00 再稼働とガレキ受け入れ反対・関西集会/エルおおさか
が、開始時刻場所のようである。


 12/26 再稼働とガレキ受け入れ反対・関西行動 [イベント案内]
http://no-nukes-hokusetsu.blog.so-net.ne.jp/2011-12-16


 

市川守弘氏の講演「泊原発の危険性と廃炉をめざす訴訟の意義」(約75分)

2011年12月04日 20時38分14秒 | 放射能
2011年12月4日-2
市川守弘氏の講演「泊原発の危険性と廃炉をめざす訴訟の意義」(約75分)

脱原発連続講座第3回
講師 泊原発の廃炉をめざす会共同代表 市川守弘
主催 市民フォーラム十勝
2011年11月27日 とかちプラザ

でおこなわれた、市川守弘氏の講演「泊原発の危険性と廃炉をめざす訴訟の意義」(約75分)が、YouTubeで視聴することができる。

http://www.youtube.com/watch?v=EYS3abzVi58&list=PLA6A1EC852546963C&feature=plpp_play_all





特別企画「誰がリスクに責任を持つのか」

2011年12月02日 23時43分02秒 | 放射能
2011年12月2日-2
特別企画「誰がリスクに責任を持つのか」

 (電気学会の?)教育フロンティア研究会との共催で、電気学会倫理委員会が特別企画した「誰がリスクに責任を持つのか」が、

 日時:2011年12月8日(木)13:00-17:30
 会場:京都大学百周年時計台記念館

で行なわれるとのことである。

 この「誰がリスクに責任を持つのか」の案内は、
http://www2.iee.or.jp/ver2/honbu/39-rinri/data01/data-111208.html
に掲載されている。


欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告の訳書出版

2011年12月02日 23時31分29秒 | 放射能
2011年12月2日-1
欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告の訳書出版

[O]
[E]
欧州放射線リスク委員会(ECRR)(編).2010(ECRR2010翻訳委員会訳:山内知也監訳/太田和俊・斎藤寛之・関戸衛・藤岡毅 訳 2011.11.30).放射線被ばくによる健康影響とリスク評価欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告-.356pp.明石書店.[2800円+][ISBN:978-4-7503-3497-4]

<目次>
緒言
第1章 欧州放射線リスク委員会
第2章 本報告の基礎と扱う範囲について
第3章 科学的原理について
第4章 放射線リスクと倫理原理
第5章 リスク評価のブラックボックス 国際放射線防護委員会
第6章 電離放射線:ICRP線量体系における単位と定義および
     ECRRによるその拡張
第7章 低線量被ばくにおける健康影響の確立:リスク
第8章 低線量被ばくにおける健康影響の確立:疫学
第9章 低線量被ばくにおける健康影響の確立:メカニズムとモデル
第10章 被ばくに伴うガンのリスク 第1部:初期の証拠
第11章 被ばくに伴うガンのリスク 第2部:最近の証拠
第12章 ウラン 劣化ウラン兵器
第13章 被ばくのリスク:ガン以外のリスク
第14章 応用の例
第15章 リスク評価方法のまとめ、原理と勧告
第16章 欧州放射線リスク委員会のメンバーとその研究や助言が
     本報告書に貢献した諸個人
・参考資料&出典
・勧告の概要
・付録A:放射線学上重要な主要な同位体についての線量係数
・補遺:レスボス宣言
・監訳者あとがき

 
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-November/013241.html
によれば、
  「『AERA』11月28日号に、「山内知也・神戸大大学院教授の怒り~国の除染では効果はない」との記事(P22~23)が掲載されています。」

とのことである。

原子力発電と環境倫理学

2011年11月29日 12時17分03秒 | 放射能
2011年11月29日-1
原子力発電と環境倫理学

 辻信一(2011.10: 8)は、E.F.シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』に収録されている「原子力??救いか呪いか」から、下記を引用している。

  「いかに経済がそれで繁栄するからといって、……何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒漬【ルビ:ぼうとく】であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪より数段重い。文明がそのような罪の上に成りたつと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化物じみている」(E.F.シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』: ???頁)

 環境倫理学での原子力発電での位置づけや評価はどのようなものであったのか、今はどのようなものなのか?
 そこで、「環境倫理学での原子力発電の位置づけ」で検索すると、吉永明弘「原子力発電に対する環境倫理学からの応答??シュレーダー = フレチェットの一連の論考から」というのがあった。


[T]
辻信一.2011.10.3.11のあとのシューマッハー??『宴のあとの経済学』文庫化に寄せて.ちくま (487): 8-9.

[Y]
吉永明弘.2011.3.原子力発電に対する環境倫理学からの応答??シュレーダー=フレチェットの一連の論考から.千葉大学 公共研究 7(1): 137-151.[http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/71noteyoshinaga.pdfで入手できる。受信:2011年11月29日]


原発関連本/放射能関連本20111124

2011年11月24日 14時55分22秒 | 放射能
2011年11月24日-2
原発関連本/放射能関連本20111124

[D]
土井理沙.2011.8.内科医が教える 放射能に負けない体の作り方.236pp.光文社.[798円][B2011111?,400]

[N]
中野洋一.2011.11.原発依存と地球温暖化論の策略:経済学からの批判的考察.154pp.法律文化社.[2,310円][B20111121]

[S]
齋藤誠.2011.10.原発危機の経済学:社会科学者として考えたこと.286pp.[1,995円][B20111121]

*〔未刊〕斉藤真.2011.12.関西電力「反原発町長」暗殺指令.宝島社.[1,500円]

[T]
高橋洋一.2011.10.統計・確率思考で世の中のカラクリが分かる.189pp.光文社[新書].[777円][B201111中旬]

戸田山和久.2011.11.「科学的思考」のレッスン:学校で教えてくれないサイエンス.304pp.NHK出版[新書].[903円][B20111121]

放射能とは何か:1. リスク論についてのシステム的接近のための覚書

2011年11月12日 11時54分07秒 | 放射能
2011年11月12日-1
放射能とは何か:1. リスク論についてのシステム的接近のための覚書


「リスク論(またはリスク学)」論のための覚書

リスク論についてのシステム的接近のための覚書
 ・リスク論の使われ方(とりわけ「御用学者」とか「エア(空気)御用学者」と言われる人々の使い方)の批判的検討
 ・「「リスクゼロ幻想」論」論のための覚書
 ・食品安全性
  ・事例研究:日本生活協同組合連合会の見解
   ・『これ、食べたらからだにいいの? 食と健康「安全」と「安心」のギャップをうめる』(コープ出版)の吟味
  ・
 ・地球温暖化脅威論の論理展開
  ・「リスクゼロ幻想」論と事前警戒原則(または予防原則)との考え方の関係
  ・地球温暖化脅威論と原発推進論の諸関係
   ・地球南北問題と日本南北問題
   ・「地球」温暖化商売の諸相
   ・
  ・
 ・『安全』と『安心』
  ・
 ・事前警戒原理 the precautionary principleと予防〔一般〕原則 the preventive general ruleとの考え方との関係
 ・言論けんかの諸相
  ・「二項対立的」というレッテル貼りの効用
   ・街頭または野外デモにおける逮捕の諸相
  ・
 ・「「トンデモ的「ニセ科学」批判」批判」の批判的検討
  ・「ニセ科学」批判の批判的検討
   ・「ニセ科学」批判における権威主義的成分の抽出
   ・トンデモ的論理展開の諸相
    ・論理や立場の整合性(一貫性)、煙幕(張り)論法
     ・権威主義、上から目線、欠如モデル、文脈モデルから如モデルへの復古企画
    ・経験的根拠立てをしない、文献引用しない理由はなんだろうか
     ・模擬 simulationによる(推論の)結論の問題
    ・
   ・トンデモ的論理展開の事例研究
  ・
 ・

 
「「リスクゼロ幻想」論」論のための覚書
 ・食品安全性
  ・比較の論理、数値表現、質的分類の無視または隠蔽
  ・環境状態
  ・個別システムのシステム的関係、想定「外」の影響とシステム「外部」と取り方
  ・
 ・環境「ホルモン」問題
 ・毒物汚染問題
  ・ダイオキシン
   ・検出(の種類と精度)と原因の推論
   ・報道萎縮
  ・
 ・

リスク論における事前警戒原理の位置づけまたは使われ方
 ・核心的考え方としての事前警戒原理(事前警戒原則)
 ・不確実性のもとでの意思決定
  ・不確実性の種類と程度
   ・決定過小性の理由としての情報不足
   ・「科学的」結論と行動決定のための規則 rules for behavioral decision
   ・日本において、年当たり約一兆円の対策費執行で二酸化炭素の排出量は減ったのか?
    ・日本における二酸化炭素排出量の計算と実測
     ・二酸化炭素の動態(気象、大気、地表動態、河川、海、動物、植物、微生物)
     ・
    ・
   ・
  ・
 ・

***********************************************************
 
第一変奏 Variation 1
 「あれが爆発する、ってことはありませんか?」
 「そのリスクの確率は、ほとんどゼロです。」
 「あれ、爆発しましたね。」
 「そのようですね。リスクゼロでは無かったわけで、想定内です。」
 「なるほど、あなたの予想は確証されたわけですね。」

第二変奏 Variation 2
 「あれが爆発する、ってぇことはない?」
 「ゼロとは言えませんが、確率はゼロに近いです。ほとんどゼロです。」
 「ありゃ、爆発しちゃった!」
 「うーむ。確かに。」
 「嘘、いっちゃいかん!」
 「いや、ゼロとはいってません!」
 「ほとんどゼロ、って言ったじゃないか!?」
 「ゼロとは言えません、と言いましたよ。」
 「うーん?! 貴君を解任する!」
 「うな、あほな。」

第三変奏 Variation 3
 「あれが爆発する、ってぇことはないのか?」
 「ゼロではありません。」
 「大丈夫だったじゃないか。」
 「ですから、ほとんどゼロだったんです。」
 「ゼロじゃないと言われると、不安になるじゃないか。」
 「可能性が大きい、なんて言ってませんよ。安全だったんです。」
 「ゼロじゃないってのは、可能性があるってことだろう?」
 「あくまで可能性でして。それが、爆発する可能性が絶対に無い、とは言えないということなんです。」
 「じゃ、「爆発しません」と断言してくれ。」
 「いやだから、絶対に無いとは言えないもんですから。それが科学的立場なんです。」
 「??? 貴君を解任する!」
 「そんな、あほな。」

 
[続けられるべし to be continued ......]

第四変奏 Variation 4

第五変奏 Variation 5

第六変奏 Variation 6



備忘録2011年11月9日

2011年11月09日 13時14分58秒 | 放射能
2011年11月9日-2
備忘録2011年11月9日



 前東大総長曰く「3・11 科学技術は負けない」??抗議の「東大教授」返上!?
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nbsn001/comment/20110401/1301668407

 「専門的知識を持つ推進派と非科学的、感情的な反対派の単純二項対立」という暴言を記憶しておこう!
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nbsn001/view/20111014/1318560297

 「運命共同体論」「みんなで毒を食おう論」に真っ当な怒り
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nbsn001/view/20111007/1317979768

 「あわや取っ組み合いの大げんかになりそう」とあったが、原発事故は原発建設と同じく、人を分断する。

 
 机の上の空 大沼安史の個人新聞
http://onuma.cocolog-nifty.com/


危険予想の伝達または相互通信

2011年10月13日 00時29分35秒 | 放射能
2011年10月13日-1
危険予想の伝達または相互通信

 2000年6月の『科学』70巻6号の書評として、吉川肇子『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』と吉川肇子『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』に対する小山真人氏によるものと、桜井淳『事故は語る:人為ミス論』とラングドン・ウィナー(吉岡斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』対する飯田哲也氏によるものがある。

  「〔略〕原子力事故などのまれにしかおきない“不慣れな”災害においては,
 (1) 情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,
 (2) 情報がパニックをおこす怖れがある,
 (3) 対策の目途がたたないリスクの存在が公表されるのはまずい,
 (4) 基礎知識が十分でない一般市民にはそもそも情報を誤解なく伝えることができない,
などの理由によって情報自体が隠匿されてしまうケースがある〔略〕.
 しかし,いったん情報隠匿の事実が明るみに出てしまうと,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかる.〔略〕」(小山真人 2000.6: 545頁)。

 
  「〔略〕たとえば日本でも,しばしば喫煙や自動車事故と原発のリスク(危険)/ベネフィット(利益)を一律の定量的な指標で比較する議論が横行する.そうしたリスク/ベネフィット分析に代表されるアメリカ流の合理的なリスク評価を“たぶらかし”と著者〔ラングドン・ウィナー〕は断じる.汚染や酸性雨や事故といった問題そのものに取り組むべきであり,そもそもあらかじめそれを避ける選択をすべきという,予防原則やベックの言うリスク社会論と共通する示唆を与えている.〔略〕」(飯田哲也 2000.6: 547-548頁)。

 小山真人氏は、静岡新聞時評(2011年8月16日)として、「放射能のリスク伝達:消費者の信頼回復第一に」と題した、下記に引用するような文章を書いたようである。

  「 検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではない。そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。また、しばしば「その食材を1年食べ続けても安全」などと説明されるが、人間は様々な食物を摂取しなければ生きられない。国民ひとりひとりが自身の被曝総量を考えて暮らさなければならない状況となった今、食材一品目だけを仮定した説明は意味をなさない。そもそも低線量被曝の人体への影響については、原爆やチェルノブイリ事故などの限られた研究事例しかない。にもかかわらず、統計学的証拠が見出されていないことを「安全」と言い換える学者には不信感を覚える。証拠が見出せないということは、安全か危険かの判定はできないということである。」
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/opinion/jihyo51.html

 
[I]
飯田哲也.2000.6.[書評:]桜井淳著『事故は語る:人為ミス論』,ラングドン・ウィナー著(吉岡 斉・若松柾男訳)『鯨と原子炉:技術の限界を求めて』.科学 70(6): 547-548.

[K]
小山真人.2000.6.[書評:]吉川肇子著『リスク・コミュニケーション:相互理解とよりよい意思決定をめざして』,吉川肇子著『リスクとつきあう:危険な時代のコミュニケーション』.科学 70(6): 545-547.


フランス、「地球温暖化」対策、原発推進

2011年10月04日 08時44分40秒 | 放射能
2011年10月4日-1
フランス、「地球温暖化」「対策」、原発推進


 電力の8割近くを原発で賄うフランスの低レベル核廃棄物処理センターの溶融炉で2011年9月12日(日本時間で午後6時45分頃)に、爆発があった。福島原発事故後、「原発反対派が6割を占める」(毎日新聞、http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2910.htmlより引用)ようになったそうだが、この爆発(火災?事故)でさらに原発撤退の声があがっているとのことである。

 さて、寺西俊一(1992)は、「「温暖化問題」に絡む各国の利害と思惑」という節で、「「温暖化対策」を含む環境保全へのこれまでの対応姿勢を基準とした三つのグループ分け」として、次のように分類している(寺西俊一 1992: 182-190頁)。

  1. 「積極的推進派」(北欧諸国、オランダ、カナダ)
    [IPCCの議長国はスウェーデン]
  2. 「積極的推進への転換派」(フランス、旧西ドイツ)
  3. 「抵抗派ないし慎重対応派」(アメリカ、イギリス、日本)

 「積極的推進への転換派」のフランスについての記述は次の通りである。

  「第二のグループとして、八八年ないし八九年から、急遽、環境保全の国際的取組みに対し、「積極的推進派」へと方向転換してきたフランス、旧西ドイツの動きについてみておこう。
 まず、フランスは、すでに述べた「温暖化問題」の「急展開」と軌を一にし、早急な対策をいち早く提唱し始めた西欧諸国の中心的存在の一つだといえる。とくに一九八九年には、三月にオランダ、スウェーデンとの共催で「地球大気に関する首脳会議(環境サミット)」を開催したり、その後のアルシュ・サミットでも、この間虜に関するリーダーシップを強力に発揮するなど、特別な活躍が目立ってきた。〔略〕
 〔略〕フランス政府の場合、たとえばEC諸国のなかでは、イギリスと並んで、従来、EC共通環境政策には絶えず反対ないし消極的態度を示し、必ずしも環境保全に対して熱心ではないという烙印が押されてきたからだ。このフランス政府が、とくに「温暖化問題」への対応という点ではきわめて積極的な姿勢を示してきた裏には、幾つかの政治経済的な背景があることが見逃せないだろう。
 その一つは、二酸化炭素排出削減の必要性という課題が、原発を重視してきた従来までのフランス政府のエネルギー政策にとっては、重要な〝追い風〟となることへの政治的期待が絡まっていることだ(ここには、CO2を排出する化石燃料エネルギーに対する代替エネルギーとしての原発浮上という構図がある)。」(寺西俊一 1992: 185-186頁)。

[T]
寺西俊一.1992.3.地球環境問題の政治経済学.v+244pp.東洋経済新報社.[y1,800税込] [B920722]



案内転載:脱原発講演会/帯広

2011年09月24日 23時41分11秒 | 放射能
2011年9月24日-3
案内転載:脱原発講演会/帯広

http://onigumo.kitaguni.tv/e1840279.html
によると、下記のような脱原発講演会がある。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

  チェルノブイリ原発事故 放射能汚染地区の子供たち

講師:安藤御史
日時:10月1日(土) 19時~21時
会場:とかちブラザ304号室
*入場は無料。参加希望の方は直接会場にお越しください。
主催:市民フォーラム十勝

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

案内転載:原発災害をめぐる科学者の社会的責任

2011年09月09日 19時49分35秒 | 放射能
2011年9月9日-4
案内転載:原発災害をめぐる科学者の社会的責任

 下記のような公開シンポジウム(主催]日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合)がある。


---------------------------------------------------------------------
 公開シンポジウム
  「原発災害をめぐる科学者の社会的責任
            ??科学と科学を超えるもの」
----------------------------------------------------------------------
◆日 時 平成23年9月18日(日)13:00~17:00
◆場 所 東京大学法文2号館1番大教室(東京都文京区本郷7-3-1)
◆主 催 日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・
      日本宗教研究諸学会連合
◆趣 旨
 東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故、それに続く深刻な放射能汚染や健康被害について、一般社会からは情報発信や説明責任の不十分さ、不適切さが厳しく批判されている。日本の科学者・学界は、これらの問題に適切な判断を下し、十分な情報提供を行い、社会的責任を果たしてきたと言えるであろうか。そもそも関連する諸科学は、原子力発電にともなうさまざまなリスクを、あらかじめ適切に評価・予測し、十全な対策を提示することが可能なのだろうか。科学によって問うことはできるが、科学だけでは答えを出すことができない、いわゆる「トランス・サイエンス」の領域が急速に拡大し、複雑化しているのが、現代の最先端の知が直面している大きな課題である。このたびの福島第一原発災害の問題は、まさにそのような正負両面をもつ巨大な科学知・技術知の力を、どのようにしてコントロールすべきかという難問を、人文・社会科学を含むすべての科学者に強く投げかけている。だとすれば、今こそこの困難な課題に対して、さまざまな学問諸領域の専門知を総動員し、何をなすべきか、何をなしうるかを議論し合い、共通理解を深めるべき時ではないだろうか。
 このような状況を踏まえ、日本学術会議哲学委員会では、自然科学系と人文学系の双方の専門家をパネリストに迎え、原発災害をめぐる領域横断的なコミュニケーションの場を設け、「科学と科学を超えるもの」についての問題意識を共有するとともに、原発災害に関わる科学者の社会的責任を見つめ直すためのシンポジウムを企画した。学問的に正確な知識・情報を的確かつ十全に市民に公開・伝達するという「学術と生活世界を媒介する」活動を科学者全般の重大な責務としてとらえ、深く問い直すための機会となれば幸いである。

◆次 第
  司会 金井淑子(立正大学文学部/倫理学)
  13:00~13:10 開会挨拶
    野家啓一(東北大学理事、日本学術会議哲学委員会委員長/哲学)
  13:10~15:10 報 告(各パネリスト20分)
    唐木英明(元東京大学アイソトープ総合センター長・獣医薬理学)
    小林傳司(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター/
         科学哲学、科学技術社会論)
    押川正毅(東京大学物性研究所/理論物理学)
    鬼頭秀一(東京大学新領域創成科学研究科/環境倫理学)
    島薗 進(東京大学人文社会系研究科/宗教学)
  15:10~15:30 休 憩
  15:30~16:50 全体討議
  16:50~17:00 閉会挨拶
    丸井 浩(東京大学人文社会系研究科、哲学委員会副委員長/
         インド哲学)

  詳細については、以下のURL(日本学術会議HP)を御覧ください。
    http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/133-s-1-2.pdf


クニール・ナセヒの紹介による、ルーマンのリスク論

2011年09月01日 00時39分21秒 | 放射能
2011年9月1日-1
クニール・ナセヒの紹介による、ルーマンのリスク論

  「 災難、すなわち、さまざまな決定から望ましくない結果が生じるのは、決定が誤っていたせいだと思われがちである。けれども、現象をこのように至極単純に縮減してしまうと、損害の発生を実際に防止することができなくなるであろう。これは巨大技術のリスクの問題がすでに示していることである。実際、技術の領域では、一義的な、pならばqという因果性のもとで、現在の決定から生じる未来の結果を算定できるつもりになっていても、絶えず新たに損害が発生する。この計算はそれ自体としてはほとんど誤りなく機能している。??しかし、この計算には、もちろん、損害が発生したあとになってはじめて実際に非のうちどころのないものになるという、決して無視することのできない不都合がつきまとっている。調査委員会は「この状況のなかで誤りとされることやその代わりになすべきだったことを、事後になってはじめてはっきりと申し立てる」ことができるのだと、アメリカの組織社会学者チャールズ・ペロウは書いている(Perrow 1989: 24)。計算を用いる際には、発生した損害はもっばら誤った決定のせいにされる。??だから、調査委員会の診断は、たいていは人災をあげることになっている。しかし、ペローのリスク研究が明らかにしているように、そのように単純に決めつけるのは、何もかも線形的にとらえようとしすぎるからである。〔略〕しかし、リスクをはらんでいる技術的設備が、線形的なシステム、つまりpならばqという因果性によるシステムであることは、ごく稀にしかない。」(クニール・ナセヒ『ルーマン:社会システム理論』: 199-200頁)。

  「見通しがたいとか思いがけないという観念が生まれるのと同時に、損害が発生する理由は社会そのものにあると考えざるをえないという意識も生まれてくる。この場合、社会というのは、行為や決定や不作為のことである。損害の発生を運命だとか天罰だとか罪の報いだとかとみる宗教的解釈によって、不確定性【コンティンジェンシー】の問題にあらかじめ対処することを可能にするような世俗外的な立場は成り立たなくなっているのだから、問題の内在性がいやがうえにも明瞭にならざるをえない。近代社会は損害を産み、その損害にみずから反応しなければならない。」(クニール・ナセヒ『ルーマン:社会システム理論』: 200頁)。
 
  「簡単な公式にまとめれば、確実なのは、絶対的な確実性(安全性)というものはないということだけである。そのかぎりにおいて、技術的設備のようなものの改善によって、リスクの回避という意味での安全性に到達しうると期待することはできない。原子力発電所や航空機やタンカーがより安全に建造され運転されうることは当然である。しかし、安全性のための技術を追加的に投入しても、そこにはまたもや新たなリスクが隠されている。なぜなら、そこでは新しいリスクについての決定が下されているからである。その結果はこうである。すなわち、決定がそれ自身においてリスクをともなうものだとすれば、安全性のための決定もリスクを隠しているのである*62。 〔略〕
 *62 ルーマンはヘルダーリンをもじって、こう書いている(SdR: 103)。
    「コントロールのあるところでは、
     リスクも増大する。」                   」(クニール・ナセヒ『ルーマン:社会システム理論』: 201頁)。
 
  「これまで見てきたようなリスク研究の領域においても、マスメディアや政治の世界においても、観察を主導する区別がリスク管理の基礎にある。それはたいていの場合、リスクと安全性との区別である。
 〔略〕
平たく言えばこうである。リスクと安全性との区別は、事象の次元では、正しい決定を行なえば、リスクはしかるべき処置によって確実に避けられるだろうということを示唆している。しかし、未来は未知のままなのだから、結局、安全性(確実性)の可能性は萎えて、区別の一方の面??リスク??のほうが、他方の面??安全性??に対して拡大していくことになる。〔略〕
それに加えていま一つには、リスクと安全性との区別は、安全性のために、リスクをおかさぬように決定した人も含めて、すべての決定者がリスクを産み出しているのだということを覆い隠している。
 〔略〕
ルーマンは、リスクと安全性という区別をリスクと危険という区別に置き換えることを提案する。リスクと危険という区別は、第二次的観察によって、損害と損害の予想が、誰によって、どのように観察されるかに焦点を合わせる。「生じうる損害は、決定の結果とみられ、したがって決定のせいにされるか、それとも、外的な原因によるものとみられ、したがって環境のせいにされるか、そのどちらかしかない。前の場合にはリスクが、しかも決定のリスクが問題にされ、後の場合には危険が問題にされる」(SdR: 30f.)。損害が現にあることあるいは予想されることを直裁に観察するだけでなく、損害が、誰によって、どのように観察されるかを観察するならば、それが生み出された社会的経過に突き当たって、「決定のせいにするかしないかを理屈で説明すること」(SozA 5: 137)を避けるわけにはいかなくなる。第二次的観察は、観察の不確定性【コンティンジェンシー】をいわば観察された対象のなかへ組み込む。なぜかというと、同じ損害が別のもののせいにされうるからである。すなわち、外部からの危険とされるか、それとも決定のリスクとされるかのいずれかだからである。」(クニール・ナセヒ『ルーマン:社会システム理論』: 202-203頁)。

 わかりにくいが、核心部分をつなぎあわせば、参考になるかもしれない。わかりにくさの点では、「自己言及性」なるものが影響している?

 「制御しなければ暴走する装置は、いずれ災害を招くことになる」という警句を提示したい。

 
[K]
クニール,ゲオルク・ナセヒ,アルミン.1993.(舘野受男・野崎和義・池田貞夫訳 1995.12)[「知」の扉をひらく]ルーマン 社会システム理論.244pp.新泉社.



リスクの定義、危険、リスク、安全性、不確実性

2011年08月31日 23時57分09秒 | 放射能
2011年8月31日-1
リスクの定義、危険、リスク、安全性、不確実性
 
  「 益永 〔略〕
 科学技術関連のリスクでは,原子力,放射線のリスクがよく取り上げられます.放射線のリスクが問題になるまでのリスク管理は,安全か危険かの2通りで,「安全な状態で管理をしましょう」ということでした。〔略〕
 ところが,放射線はどんなに少量の暴露でもそれなりの影響がある.安全な範囲がないという認識が受け入れられ,原子力にしろ,放射線を使った医療にしろ,それで便益を得ようとすれば,必ず危険が伴うということになりました.これが,科学技術におけるリスク管理の考え方を大きく変えることになりました.便益を得るためには,ある程度のリスクを我慢し容認しなければならないということで,では容認すべき程度とはどの程度が妥当かを定量化する必要がでてきました.具体的には,自然放射能のレベルまでは我慢しましょうとかいった提案がなされたわけです.
 定量化していくことは大事なことですが,定量化して見せたところで,やはり人間には感情がありますから,その通り受け入れられるわけではない.」(『リスク学入門1: リスク学とは何か』: 9頁)。

 
  「 今田 原子力発電は99.999999……%と9が小数点以下十数桁あるくらい安全で事故が起きないと言われたりしますが,人々は原発事故に対してものすごく敏感で,ゼロリスク要求が高いですよね.こうしたリスクと,そうでないリスクは,科学技術の分野ではどう分けられているのですか. 益永 自動車事故は常時起こりうるので,保険による対応も容易です.原子
力や地震の場合も,何十年かの長期にわたっての被害者数を取れば,同じ程度になるかもしれないのですが,低頻度の大災害ですから,対策の立てやすさは格段に難しくなります.科学的には長年の間の平均リスクは同じという評価になりますが,後者の場合はよりリスクを低くすることが求められる場合と放置される場合に分かれるのではないでしょうか.
 橘木 経済学の立場からすると,被害を受ける人の数の違いだと思います.自動車はせいぜい1人から数人でしょう.ところが原子力発電は,何千人,あるいは何万人にのぼり,発生確率は非常に小さいけれど,被害を受ける人の数で掛け合わせると,膨大な数になりますから.自動車事故の場合は保険制度があるから,ある程度保護される可能性があります.〔略〕ところが,地震や原子力などの大事故は誰も保護してくれないし,保険もない.
 長谷部 原子力発電所の場合は非常に低リスクだけれども,カタストロフィックな結果をもたらす恐れはゼロではない.ただ,原子力発電所について,リスクをゼロにはできないのだからやめてしまうということになりますと,化石燃料等の代替エネルギー手段が必要になり,その使用が長期的にはさらに深刻でカタストロフィックな結果を引き起こすおそれがある.簡単に答えは出ないだろうと思います.
 今田 心理学で,人間の心理にはゼロリスク要求があって,いくら科学技術的な安全性を高めても,絶対に安心できない種類のリスクがあると言われています.ゼロリスクは無理なので,ある程度安心できるようにするにはどうしたらいいか,というのは大きな課題ですね.」(『リスク学入門1: リスク学とは何か』: 10-11頁)。

 本質的な分類をして、それらの関係を解明する必要がある。そしてリスクについての妥当な定義へ。というより、どうすれば役立つか、が先決か。
 危険、リスク、安全性、不確実性。安全と安心。
 99.9%超の安全性なんて、どこに原子力発電について、だれが、どのように算定したのだろうか? 

[T]
橘木俊詔・長谷部恭男・今田高俊・益永茂樹(編).2007.7.リスク学入門1: リスク学とは何か.岩波書店



ぶらぶら病?

2011年08月30日 00時30分03秒 | 放射能
2011年8月30日-2
ぶらぶら病?

 岩上安見氏による一昨日の話では、放射線のせいか鼻血のでる子どもが多いというのはデマ(4月中旬あたり)ではなく、福島(県? 市?)では、実際に多くの子どもが、鼻血、発熱、下痢、体調不良になっているということだった。広島やチェルノブイリで起きた「ぶらぶら病」の症状なのか?

 さっき、「鼻血 放射能」で検索すると、6月16日に東京新聞が「子に体調異変じわり 大量の鼻血、下痢、倦怠感 「放射線と関係不明」 原発50キロ 福島・郡山は今」と題する記事が掲載されたようである。

 「上の子が一週間くらい毎日大量に鼻血が出続けていたので心配で…。下の子も、時期は違うけれど、やはり一週間くら鼻血が出て」。思い詰めた表情で母親(三九)が、医師に相談していた。
 NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」が十二日、福島県郡山市で開いた医師による無料問診会。放射線被害を心配する親子連れ計五十組が参加した。同市は福島第一原発から約五十キロ。
 この親子の場合、震災後いったん埼玉県内に避難したが、三月下旬に郡山市に戻った。すると小学校一年の長女(六つ)が、四月上旬から三週間、鼻血が出た。このうち一週間は両方の鼻から大量に出血。耳鼻科で診察を受けたが、「花粉症では」と言われた。「花粉症なんて初めて言われたし、普段は滅多に鼻血を出さないんですけど…」と母親は言う。長男(二つ)も四月下旬から五月に鼻血を出し続けた。〔略〕
 問診会場近くの植え込みで、放射線測定器をかざすと、毎時二・三三マイクロシーベルトの値を示した。地面から離すと一マイクロシーベルト台に下がる。郡山市内の十二日の最大値は一・三八マイクロシーベルト。東京都内で計測された同日の最大値が〇・〇六三五マイクロシーベルト。約二十二倍だ。市内の最大値は三月十五日の八・二六マイクロシーベルトで、五月中旬からは一・三マイクロシーベルト前後で推移している。
 文部科学省では三・八マイクロシーベルトが計測された学校では屋外活動を制限するとしているが、一方で年間の積算線量の子どもの上限値を一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルトとしている。これは毎時一・三マイクロシーベルトの場所で一年間暮らせば十分に到達してしまう値でもある。」(東京新聞2011年6月16日)。