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悠翠徒然

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昼間食べすぎたために、、、

2016-06-01 22:48:28 | Weblog
晩御飯が食べられない~(笑)

あまりにもBBQの食事が美味しすぎたので、食べすぎてしまいました。

晩御飯はアイスとゼリー、、、

デザートがメインであります。

と言うか、デザート食べてんじゃないよ!って事ですね。

みなさん、食べすぎには注意いたしましょう。




『目黒シティラン』

2016-06-01 20:59:28 | Weblog
目黒区が10キロマラソンを始めるそうです。

短いのもあるそうですが、10キロマラソンは駒沢通りや目黒通りに交通規制かけて数千人規模で走らせるそうです。

目黒区も流れに乗り遅れまいとしているんですね~

目黒区在住の塾生が早速応募していたので、記念に書いてみました。



重苦しくなってしまいました(笑)

楽しいお昼ご飯でした

2016-06-01 17:17:34 | Weblog


暑くなく、寒くなく、風も強くなく、かといって心地よい海風は吹いてくる、一年に何日かしかないBBQ日和でした!

BBQの神様に祝福された一日でした~

さて、今夜は書道の神様に微笑んでもらえるよう頑張ります!


@潮風公園

2016-06-01 12:17:19 | Weblog


ノンアルコールビール、いけるやん!

結局雰囲気だよね~

宝くじを買ってしまった

2016-06-01 11:16:33 | Weblog
呼び込みのおばさんの声が大きくてとても元気!

しかも

『今日は大安吉日!』

なーんて言うもんだら、思わず買ってしまったというわけです~

当たる確率は低いと知っていながら買ってしまったのですが、なんとなくその呼び込みのおばさんの後ろ姿に後光が差しているように見えたのです。

後ろ姿から後光が見えたということは、前光かな?(笑)

七億円あ当たったらみなさんにご報告させていただきますね!

その時はどうぞ、たかってください(笑)


今日は天気もそこそこよいので、これからお台場に行ってきます~


あ、本日から千字文のですが予約受付開始です!

皆様のご参加お待ちいたしております~

今年の打ち上げでのビンゴ一等賞品にに、私のお宝を出す事に致しました!

どんなお宝なのかは、当日までのお楽しみということで~


本日の一文字

2016-06-01 07:10:43 | Weblog
欧陽詢の『感』を臨書してみました。



そして欧陽詢と『感』をリスペクトして、書いてみたのがらこちら。



どっしり感がなくなりましたが、軽快感が出ました。

上級者の方に『私ならこう書くシリーズ』を、時々お稽古していただいています。

その目的は、まず先人の書いた書体を臨書して学んだ後、その特徴と自分が書きたい書体とを融合させて、それまで自分でも書いてこなかった書体を創り出していただきたいところにあります。

書きたい漢詩や漢文を探し、字書で書きたい字を検字する。

検字したらそれをコピーして並べる。

これが集字。

集字したらそれをお手本にして臨書(形臨、意臨)してみる。

臨書はその後、背臨へと続きます。

その背臨の先にあるのが、この『私ならこう書くシリーズ』なのです。

それは創作への第一歩であります。

『私ならこう書くシリーズ』は、偉大な先人と対決することです。

大抵は負かされてしまいます(笑)

だって相手は書聖だったり、唐の四大家だったり、三筆だったり、三蹟だったりするのですからね、、、、、

偉大な先人の胸を借りて、投げ飛ばされても、ギブアップしても、『もう一丁!』『もう一丁!』

果敢にチャレンジすることが肝心です。

諦めてはいけません。

書は先人の残してくれた墨跡や書簡、作品などを真似る臨書がとても重要です。

ここに時間をかけることで、道が求められるからです。

そして臨書の先には『オリジナリティの創造』と言う、芸術の究極の目標があります。

道を求めながら稽古を積んでいけば、山の頂上に何かがあるはずです。

先人たちがいろんなルートで登り極めたその行為を、それぞれのルートで登っていけば良いのです。

登ってきた道程を、途中で振り返った時、うねうねとくねった、でもしっかりとした道が出来ていることを知るでしょう。

そしてその道を拠り所に、林間学校のハイキングのように、ワイワイと楽しそうに後に続く者たちが登ってくる姿を見つけることができるはずです。

さて、たどり着いた頂上には何があるのでしょうか?

偉大な先人と同じ場所に立てた喜びでしょうか?

それとも何も無いのかも、、、、

見下ろせば、雲海ははるか下にあり、そこからは雷鳴も聞こえてくるでしょう。

遠くを望めば、高い山々や海を見ることもできるはずです。

でもそれが求めていたものなのでしょうか?

『道』は求める者にだけ存在し、求めた時に現れるものでしょう。

『道を求めた時が頂上』

私はそう思います。

つまり、お教場にいる人の数だけ頂上があることになります。

それぞれが和翠塾のお教場にいるのに、それぞれが富士山の頂上にいることになるのです。

わかったような、わからないような(笑)

『道』はそんなものだと私は思っています。