少し大袈裟な表現ですが、書はそうあるべきと心得ます。
そこに必要なのことは、二つ
書技と感性
書技は臨書の積み重ねで得られますが、感性はそれだけでは得られません。
喜怒哀楽に揺れる心のひだを、意識して増幅したり、変化させたりする訓練が必要です。
喜怒哀楽は自然に親しむ事でも感じとることができますが、人間関係の中から生まれてくる事が多いと思います。
故に、ここを無くして書の感性は得られないと思うのです。
人里離れた山の中でただ一人、コツコツと書を行う行為は書技と感性を有した達人のみが行えることであって、我々凡人が真似をすることは無意味でしよう。
我々凡人は、喜怒哀楽のある人間が生活する街にいてこそ、感性が磨かれるのです。
もちろん、読書や観劇、美術館に行くことも大切ですが、それらの受け取り方も、より磨かれた感性が有れば変わってきます。
楽しみ方に奥行きや幅が出てきます。
そんなたのしみを、半ば強制的に奪われ、
多くの人々の心は傷つけられました。
人は一人では生きていけない。
多くの人々にとって、喜怒哀楽を感じる事が、生きる楽しみだからです。
真面目な人ほど終わりの見えない恐怖に、何ヶ月もさらされつづけているのです。
社会と関わり貢献している自覚を自己肯定することで、その恐怖心から心を解放できると私は考えています。
社会から必要とされている自分を認識自覚する事が大切です。
人が人と関わっている以上、必要とされていない人なんて、この世には一人もいないのです。
そのためには、疎外感や孤独感ない環境で、子供や学生は仲間と勉学に励み、社会人は仲間と働くことが重要です。
組織にはそこを考えてほしいです。
テクノロジーだけでは乗り越えられないのです。
遺憾な事ではありますが、コロナ渦だからこそ学べる事もあります。
自ら進んで得たいとは、コロナ渦前の私なら思いもしませんが、こうなった以上、とことん感じてやろう、そしてそれを書に生かせる感性にしてやろうと考えています。
貪欲ですね(^ω^)
マイナス食らった分以上、プラスにしないと、、、
いや、倍返しだ!!( ̄▽ ̄)
いや、千倍返しだ!!!( ̄∀ ̄)
そうしないと、私の気が済みませんから。