人間性から自然に湧き出たものではなく、書家が鑑賞者を意識した時に作ってしまう線のことを『作り線』というようです。
魯山人はそんな『作り線』書いた『虚』を売り物にしている書家を嫌っていたように思います。
この点で魯山人の発言は的を射ていると言えます。
書を商業デザインとして捉えるならば、全てが『作り線』であったとしても、クライアントが喜べば評価されるのでしょうが、普遍的な美はそこには存在しなくてもよいでしょう。
魯山人の言うところの評価されるべき書は、人間性から滲み出てくる『線』のことでしょう。
書を目指すものは、人間性を高める生き方を求めなければならないわけで、そこが私がながきに渡って葛藤してきたことなのです。
そしてそれはこれからもずっと葛藤し続けなければならない事であって、私の書は完成されない者の葛藤を表した『線』を書き続ける事になるのでしょう。
魯山人に評価されたいとは思いませんが、良寛さんと我が師には分かって欲しいのであります。
それは無い物ねだりというものなのかもしれませんが、、、。
辞めずに続ける事が、一番大切であることは間違いありませんけれどね。
魯山人はそんな『作り線』書いた『虚』を売り物にしている書家を嫌っていたように思います。
この点で魯山人の発言は的を射ていると言えます。
書を商業デザインとして捉えるならば、全てが『作り線』であったとしても、クライアントが喜べば評価されるのでしょうが、普遍的な美はそこには存在しなくてもよいでしょう。
魯山人の言うところの評価されるべき書は、人間性から滲み出てくる『線』のことでしょう。
書を目指すものは、人間性を高める生き方を求めなければならないわけで、そこが私がながきに渡って葛藤してきたことなのです。
そしてそれはこれからもずっと葛藤し続けなければならない事であって、私の書は完成されない者の葛藤を表した『線』を書き続ける事になるのでしょう。
魯山人に評価されたいとは思いませんが、良寛さんと我が師には分かって欲しいのであります。
それは無い物ねだりというものなのかもしれませんが、、、。
辞めずに続ける事が、一番大切であることは間違いありませんけれどね。