~昨日の続き~野良(野生)とペットの違い~
昨日のベストアンサーはこれ・・・①ペット(しかも我が家の) ②野良(野生):右耳の先っぽを食い千切られています。 野に生きると言うことは、かくも過酷なんですね。 ③ペット:民家から裏山へ親子で出てきました。 ④ペット(いつも探鳥に行く田園地帯でよく見かけます。・・・昨日も雨の中遠出をしていたので、家の近くまでまで誘導してあげました。) ⑤ペット:知り合いの家猫です。 ⑥野良(野生):松江城山の林の中に何時もいる野良猫です。 ⑦ペット:友人宅のワンコです。 ⑧ペット(家畜)です。:数年前白とこのアヒルを飼っているお家で撮りました。 ⑨野良(野生):松江城山の林の中に何時もいる野良猫です。(林を拠点とした野良猫は3匹います。) ⑩完全に野生です。(アナグマ:偶然遭遇しました) ⑪野良(野生):日本野兎(探鳥中、林道で遭遇し撮りました。) ⑫ペット:民家から裏山へ親子で出てきた中の子犬です。
動物とペットの違いとは?
心の発生に関してはゾウリムシから人間までたぶん同じではないでしょうか。 人間が他の生物と違うのは認識の仕方そのものとそこへ致る心の発展の仕方とその内容。 現実に生活しているリアルな環境での空間認識と心理はアナロジカルにも人間と動物で共通するところは少なくはないかもしれません。 そんなワケでアバウトですが、ペットの動物と野生の動物の違いが、ある面ではヒントになるかもしれないですね。 ペットの動物と野生の動物の違いは空間(性)の認識の違い。
野生の動物の空間認識の基本は、対象との距離(感)で、それは認識上の空間性と物理的な空間とが比例?するような空間認識です。 認識とマテリアルが一致しているワケです。 簡単にいうと対象との距離が遠ざかれば認識上も遠ざかる様なものです。 便宜的に3段階の距離(感)が想定できます。
内(空間)・中(空間)・外(空間)の3段階です。
・内空間は即自的空間。
自分の身体であり、いつも触れ合ってる子供やパートナーも含む空間。
・中空間はナワバリの空間。
自分たちの活動の範囲であり、いつも把握できている空間。
・外空間はナワバリの外の空間。
敵も獲物も存在する、アプローチするまで把握できていない空間。
野生の動物はこの空間認識がほぼ物理的な空間性によって規定されるワケです。 野生の場合、外空間に何かが現われれば情報としてキャッチし、それが中空間に侵入してくれば敵として闘争するでしょう。 ペットだと外空間がなく中空間と内空間の差もあるかないか程度で、認識は変容してます。ペットの変容した空間性(距離感)では物理的な空間性としての内・中・外の区別がありません。 飼主は認識上は内空間の存在なのでペットを触ってもいいワケです。
また本来飼主以外の人間は外空間の存在ですが、ペットは飼主以外の人間に対しても闘争的ではないです。理想的なペットというのはすべてを内空間として捉えてるような状態の存在でしょう。
ここで大切なのはペットがすべてを内空間としてしか捉えていないように見えても、実際には物理的な3段階の差異をすべて内化してしまっているだけで、認識上は3段階の差異があり、各段階に基づいた反応もあるということですね。 つまり物理的な3段階の差異をすべて内化して内空間性だけになっているように見えますが、現実には3段階のレスポンスを示すということです。 たとえばすべてが内空間性だけに見えるペットですが、近づいたり触れたりしたら突然鳴いたり、噛みついてきたりしたことがあるでしょう。 この場合、通常ならば人間に対して内空間認識しかないハズのペットが外空間の対象として人間を認識し、近づいたり触ったりしたコトで警戒や闘争の反応を示したワケです。 (出典:吉本孝明)
少し、、難しかったですね。>< 要するところがペットは・・・・内空間は即自的空間。 自分の身体であり、いつも触れ合ってる子供やパートナーも含む空間。 であるからしてなついてくるのでしょうね。 昨日、頂いたコメントの中に、「目が違う」とありましたが、前述の 「野生の場合、外空間に何かが現われれば情報としてキャッチし、それが中空間に侵入してくれば敵として闘争するでしょう。」と、言うことで自然と目が鋭くなるんでしょうね。
さて、気を取り直して昨日取り上げたワンコですが、探鳥中これによく似たワンコが、道に迷ったのか、雨の中をとぼとぼと歩いて居る所に遭遇しました。 車で並走しつつ手招きすると、ついて来るではありませんか。 発見した所から約3キロ、無事送り届けることが出来ました。
それが、これ (④)
少しお腹が大きい様ですが、まさか妊娠中・・・何れにしても。。。良かった 良かった!