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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 2

2013年03月07日 | 日記

                               世界らん展より

     ひまわりさんより(3月7日)
今日の日課には、「わたしたちの救い主は、・・・彼らに愛の行為を静かに実行するように警告なさった。見せるためではなく、また人の賞賛や誉れを受けるためではなく、報いは後に受けることを期待し、神の栄光のために果たすのである」(E・G・ホワイト)私はこれまで、何かをする時、神様の喜ばれることをするという心より、人に理解してもらいたいとか、人に良く思われたい、褒めてほしいという気持ちが、心の奥底にはあった思います。その思いは、自分の細胞に染みついていて、無意識のうちに人に良く思われようとする行動をしているのだということに気づかせていただきました。では、今までの路線から外れていくにはどうしたらいいのだろうかと思っていたら、聖書では、「人の徳を高めるのに役立つような言葉を語りなさい」(エペソ29)とか、「悪い言葉をいっさいあなたがたの口から出してはいけない」と教えられていました。人の徳を高める言葉とは、人を励まし、理解しゆるす言葉です。そういう言葉を使うようにしていくと、上の聖書のみ言葉の重さとか深みを感じるようになってきました。

    二つの契約 2 その時我が名も呼ばれん
 
そして、第一のアダムは、このかぶせられた冠を地面において、イエス様の前にひれふして、「これはすべてあなたの恵みによるもので、私はこれを受けるに値しません」と言うのです。「これは私にはもったいないものです。これはすべてあなたの恵みのおかげです」と・・・。
 そのときイエス様は、アダムを抱きかかえられるわけです。第一のアダムと第二のアダムが、顔と顔を合わせます。救われた者、私たちすべての前で・・・。そのとき、「小羊こそ賛美を受けるにふさわしい」という歌声が、皆のものから上がっていくわけです。それからイエス様が天使たちに命じて、すべて救われたもの、あがなわれた者、全員の名前を一人ひとり呼ぶようにされるのです。その中に、天使たちの呼ばれる名前の中に、私の名前もあることを確信しております。片手には金の立琴を持ち、もう一方では、勝利を表すシュロの枝を掲げることでしょう。天使たちに名前を呼ばれるとき、どれほどの喜びに満たされるのだろうと思うと、私の心はワクワクいたします。