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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演2

2012年07月27日 | 日記



    ひまわりさんより(7月27日)

暑い毎日が続きますが、皆様お元気でお過ごしのことと思います。
今日は午後から休みを取って、子供たちが使う、ぬいぐるみ人形を買うために出かけたいと思っていました。
ところが、いつも金曜日は使っている車を息子が使うということで、急きょ夫が使っている車を、日中使うことにしました。
そして、人形を買うために、いつも行っているM市のダイソーでなく、
今日は大きなショッピングセンター内のダイソーへ行くことにしました。
そこのダイソーへは、あまり行ったことがなく、途中で道を間違ってしまいました。
何度も思いがけないことが起きると、つい、不満やつぶやきが出てきてしまいそうになりましたが、
つぶやかない、不満を口にしない、ことを実行して行きました。そして、ショッピングセンターのダイソーへ着くと、
ちょうど手頃な人形がありました。回り道をしましたが、
つぶやかないことがとても大切だということを改めて感じました。



 クリスチャンの品性完成とは?(デビット・カン講演2)

クリスチャンの品性完成とは何でしょう。間違いを犯さなくなるということですか。弱さがなくなるということですか。
全然倒れなくなるということですか。イエス・キリストのように完全になるということ、品性完成とはどういうことでしょう。
皆さんどのように理解しておられますか。
ある人達は、完全主義と品性完成を混同してしまっているかもしれません。
私たちは完全主義を信じるわけではありません。これはパリサイ主義と同じです。完全主義ではなく、品性の完成を信じています。



後の雨に備えて デビット・カン講演1

2012年07月26日 | 日記



ひまわりさんより(7月26日)

職場から我が家へ持ってきた亀(7月23日の記事参照)は、衣装ケースの水槽の中で、
落ち着かない様子で、ごそごそ動き回り、エサも食べずに不安そうにしていました。
それで、今朝、また職場へ持って帰り、水槽に放しました。
すると、すごく安心した様子で、やっと自分の家に帰れたというような雰囲気を出していました。
亀は見るからにのろくて、利口そうには見えないのですが、実は、すごく繊細で、
豊かな表情をしているのではないかと思わされました。亀が、もとの水槽の中で、
安心していい表情をしているのを見て、「私たちの故郷は天にある」という聖書の言葉を思い出しました。
クリスチャンも帰るべき故郷があり、そこで私たちは本当にリラックスすることができるのです。
私たちも早くそこへ行きたいと思いました。
(デビット・カン先生のメッセージが再開されました。楽しみにお読みください)

  後の雨に備えて  デビット・カン講演
   
 先の雨と後の雨

これから「後の雨に備える」、という題でお話ししたいと思います。
できるだけ簡潔にこのお話ができるように努めます。あまり詳しく話さないようにします。
ゼカリヤ書10章1節に、「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ」とあります。
聖書によると、私たちは野の草のようなものであります。
成長して生き続けるためには、雨が必要なのです。聖書の中では、神の言葉は雨を表しています。
そして今、私たちは、前の雨の時代ではなく、後の雨の時代に生きているのです。
ですから私たちは今、後の雨を求めなくてはいけません。では後の雨の目的は何でしょう。
次のような質問をしてみましょう。
 「私たちの品性完成というのは、後の雨のもとで実現するものでしょうか」。決をとってみましょうか。
前の雨で品性完成に至ると思う方、いらっしゃいますか。
決をとるのがこわいですか。手をあげるのがこわいですか。
では、後の雨のもとで品性完成に到達すると思う人は? 皆さんのほとんどは後の雨ですね。
皆さんをちょっとがっかりさせましよう。私たちの品性完成というのは、前の雨のもとで実現されるものなのです。











   

ひまわりさんより①

2012年07月25日 | 日記




ひまわりさんより(7月25日)
今日の日課の言葉は、今の私にとって、とても大きなチャレンジになるものでした。
「主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが喜びなさい」と使徒は言っている。
私たちが行くところへはどこへでも、わたしたちはクリスチャンの希望にあふれた快活な雰囲気をたずさえて行くべきである。
そのとき、キリストのうちにいない人々は、わたしたちの告白する宗教のうちに魅力を認める。
不信者たちはわたしたちの信仰の一貫性を見るようになる。
・・・もしわたしたちが絶えず、「望みをいだいて喜んでいる」ならば、
わたしたちは出会う人々に励ましの言葉を語ることができる。ほんとうに、このような者とならせていただきたいと思いました。
(デビット・カン先生のメッセージはしばらくお休みとなります。ご了承下さい)






生ける神の印  デビット・カン講演39

2012年07月24日 | 日記



 ひまわりさんより(7月24日)

去年の秋から訪問している70代後半のおばあちゃんは、要介護5で、入退院を繰り返し、
1か月以上家にいたことがないという方でした。何もすることがなくて退屈だというので、
今年のお正月ぐらいから、9センチ角の布地でパッチワークをしていただくことにしました。
1週間に1枚づつ作り始め、今日それが全部で96枚になりました。並べてみると、お花畑が広がったみたいで、
とても素敵なものになりました。まだ全体を縫い合わせたり、裏地をつけたりと作業は残っていますが、
おばあちゃんは、「これがどんどん完成していったら、楽しいね。毎日が張り合いがあって楽しい」と言って、
とても生き生きとしていました。そして、この半年間、一度も入院することがなかったのです。
介護度5で、何もできないと思える人でも、やればこんなにできるようになるんだということを、改めて感じました。
人は、ただ天井を向いて寝ているだけで、ご飯を食べさせてもらってしもの世話をしてもらうというだけでなく、
達成感とか、人の役に立っているという実感がとても大切なのだということを感じさせられました。

 生ける神の印・最終回 デビット・カン先生の祈り

お祈りいたしましょう。「天のお父様、聖書や証の書からの、明確な教えを感謝いたします。
私たちは、恐れをいだくものであります。ですから、私たちを守ってください。
聖霊を通して、私たちの心に、神様の愛を注いでください。
そして、私たちの品性を、主のご再臨に備えることができますように。
天からの、「金の油を」をいただく経験をすることができますように。
イエス様、ここにおられる兄弟姉妹方を祝福してください。彼らに、真理のための勇気と大胆さを与えてください。
私たちの額に、ぜひとも、生きる神の印が必要であります。どうぞお助けください。
イエス様の御名を通してお祈りいたします。」アァメン 
(生ける神の印は今日で最終回です。お読みいただきありがとうございました)




生ける神の印  デビット・カン講演38

2012年07月23日 | 日記



    ひまわりさんより(7月23日)

新しい家には、大きな池があります。長年手入れがしてなかったようで、ドロドロの水になっていました。
息子がお風呂用のポンプで水を汲み出したら、ザリガニがたくさん出てきました。
そこで、古い衣装箱2つに水をはり、砂や石を入れて、15匹ぐらいずつ捕まえて飼うことにしました。
近くに行くと一斉にパッと身をかくし、とてもすばやいのです。そういう機敏な動作が、
私にはとてもかわいく見えます。
衣装箱がもう一つあったので、職場で飼っている亀も1匹もらってきて飼うことにしました。
我が家は家族がふえて大賑わいとなりました。

   古代イスラエルの足跡をたどるSDA(デビット・カン講演38)

では、愚かな乙女はどうしたでしょう。市場に行って油を買って戻ってきました。
しかし、戸はすでに閉じられていました。婚礼のドアをたたきました。「あなたは、もはや入れません。
悪いけど、私はあなたを知りません」と言われました。
これが多くのセブンスデー・アドベンチスト教会員の運命となってしまうでしょう。
後の雨が、神の民に降り注がれるとき、あの人たちは危険だ、あいつらは狂信者だ、
あそこに行かない方がいい、というわけです。
そういう人たちと付き合ってはいけない、話してはいけないと言われます。
彼の集会に行ってはいけないと・・・。
あることを説明したいからなんですけど、目を覚ます必要があります。
各時代にわたって、特別な時に、神様は、ノアを送られたり、バプテスマのヨハネを送られました。
ノアの時代の人々は、メッセージを拒みました。バプテスマのヨハネを殺しました。
神の子イエス・キリストも殺害しました。
現代の霊的イスラエルが、古代イスラエルの足跡をそのままたどっていると、ホワイト夫人は言いました。
天使はさらに、あなたがたはもっと悪いことを行っていると言ったのです。