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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演4

2012年07月29日 | 日記



    ひまわりさんより(7月29日)

新しい家には、いろんなものが無造作に転がっています。
夫は、庭の隅から、大きな睡蓮用の鉢を見つけてきました。
それで睡蓮を育てたいというので、近くのコメリへ行くと、睡蓮の値札に、
「メダカと一緒に育てましょう」と書いてありました。私はメダカを飼いたいと思っていたので、
結局メダカを入れることにしました。
わずか2センチほどの小さな小さなメダカですが、神様は命を与え生かしていて下さるのだなと思って、
命の尊さを感じました。

   完全とは知っている罪に勝利すること

では、完全を信じることとは、完全とはどういうことでしょうか。
できるだけ単純に説明したいと思います。私たちは天国に行った後も、もっともっと成長しますか?
 救われて天国に行っても、永遠に成長し続けるのではないでしょうか。
だとするならば、完全というのは、私たちが到達してそこでおしまいというものではないですね。
天国に行ってもさらに、もっと親切に、もっと愛情深くなっていくものですよね。
もっともっと忍耐強くなり、柔和になっていきます。さらに成長していくわけです。
ですからそこには、もう到達すべき地点に達した、というところはないわけです。
そのようにいう事が完全主義です。そのようなことを私たちは信じていません。
ではクリスチャンの品性完成とは何でしょうか。これはその人の状態なんですね。
私がどのようなものであるか、私の心が神様との関係においてどのような状態であるかということです。
あるレベルに達するというよりは、その人の存在の状態なんです。では聖書による完成とは何でしょう。
神様の戒めに完全に従うということです。それでも少しはっきりしないところがありますね。
それについては何といえるでしょう。すべての知っている罪に勝利するということです。
知らないことについては、神様はそれを罪とはみなされません。
私たちがすべての知っている罪に勝利するならば、神様はその人を完全とみなされます。