ひまわりさんより(6月28日)
私が今、毎朝読んでいる日課は、エレン・G・ホワイト著『キリストを映して』という本ですが、
今日の所にも、とても考えさせられる文がありました。「アブラハムの家には、千人以上の人々がいた。
彼の教えを受けて、ひとりの神を礼拝するようになったものは彼の天幕に住むようになった。
彼らは、ちょうど学校のように、ここで真の信仰の代表者となるための教育をうけた。・・・彼は、
偽りの宗教のどんな形のものも閉め出し、真の礼拝の対象である生きた神の栄光と威厳を人々の心に深く印象づけようと、
最大の注意を払ったのである」。
私はこれを読んで、純粋なものを求めていかないと、知らないうちに霊的にマヒしていくのだと感じました。
聖書の道は、あれもいいしこれもいい、というようなあいまいなものではなく、唯一、真のものだと思います。
あるゆる不純なものを切り捨てないと、すぐに不純と同化して、そのことを気がつきもしないようになってしまうのです。
心していきたいと思いました。
(昨日はログは書いていたのですが、うまく投稿されていなかったようです。
開いてくださいました皆様、申し訳ありませんでした)
14万4千の人々(デビット・カン講演13)
生ける神の印を研究しなくてはいけませんが、生ける神の印とは何でしょう。
黙示録7章の1節から4節をお読みします。
「この後、わたしは4人の御使いが地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風を引き止めて、
地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もう1人の御使いが生ける神の印を持って、
日の出る方から上って来るのを見た。
彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使いにむかって、大声で叫んで言った。
『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは地と海と木とをそこなってはならない』。
私は印をおされたものの数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は14万4千人であった」。
これはとても重要な聖句ですね。
ここに、14万4千がえがかれております。この14万4千の人は、聖書で2ヶ所だけ登場します。
黙示録7章と14章です。黙示録7章では、この14万4千の人たちが、いつ登場するかが書かれています。
14章では、14万4千の人たちの特徴、彼らがどういう人たちか、どのような品性を持っているかが書かれています。