4月4日は息子の子ども(孫)の入園式、一歳半可哀そうだが嫁の両親、私どももまだ何とか応援できる。共働きで皆大変だが
頑張ってほしい。きっと年をかさねた後は、苦労の見返りがあると思う。たとえなくてもいいじゃない、今出来ること今
最善と思う事をやってほしい。
4月8日は福祉施設やすらぎの家、桜まつり2日目ふぁざーず倶楽部としてチョットお手伝い。チラシ寿司のパック詰め
三色団子を一本ずつ紙パックする。あいにくの雨天で桜のもとでは出来なかったが、室内で散る事のない桜絵柄の元
軽音楽(ウクレレ演奏)ふぁざーず倶楽部、渡辺さん30分頑張りました。10曲、客様を退屈させずに30分ほんとうに大変
なのです。二人三人で30分だと楽だと思いますが、・・・・・・次回この様な行事ではギター、ウクレレ、ハモニカ、よしぶえ
3人~4人で出来ないか検討提案してみたい。
ウクレレおじさん、渡辺さん頑張ってます。
9日は京都都をどり12時30分開演、若干早く行って呈茶の接待を受けて演芸場へ、プログラム紹介の冊子を売り子さんから買って
開演、左右の花道から置歌東西のをどりさんが10人づつ出てきて、囃子、長唄、浄瑠璃 総勢40数人のおもてなし、すごいね。
祇園甲部演舞場の入口、外国の人たちがほんとうに多い。9日は天気も良く春めいた着物姿の方も多かった。京都では外人であれ
日本人の男であれ、女性であれ、和服が何の違和感もなく受け入れられる。それにしても、ナントマーよその国の方が多くなりましたねー
都をどりの冊子には歴史から現在の舞妓さん芸妓さん、地方、長唄、浄瑠璃、囃子呈茶の方々が載っている。
ブログに乗せたい写真が一杯あるが、転載転用不可と冊子にありますので割愛します。
4月11日、9時~10時40分卓球を終えて自宅でゆっくりしてたら電話がなった。聞きなれない訛りのある声、弟の嫁の姉と言う。
嫌な予感どうり、弟が亡くなったとの知らせ。わかりましたと答えてすぐに新幹線の確認、午後の新幹線に乗るべく準備する。
非日常の事落ち着かずビール飲んでトイレ行って、もうそろそろかなと時刻を確認すると、5分ほど乗り過ごし博多まで行ってしまった。
小倉に戻り、日向の目的地に着いたら、23時前、まったくどうしょうもないね。自分を自分で笑っちゃうよ。
神式との事、12日通夜祭、13日発送祭、14日翌日祭10日祭慣れない祭事法事で弟の家族、嫁の親族等々におんぶに抱っこ
役立たずの兄貴だ。皆の計らいで親族代表の挨拶はさせていただいた。不思議となくなった事が悲しいとは思えず、むしろ
苦しい現状から解き放たれて、やっと、楽になれた、不謹慎だがほっとした。家族、殊に嫁は何と言う事をと思うだろうが
同じ血を分けた兄貴として、弟と同じような症状(気管支、呼吸系の病状)で苦しい思いをした事があり他の人よりは、弟の思い気持ちを
わかってあげられるように思う。されど、もう二度と会えず話せずとは、そう思うと目に涙が潤む、わたしも人の子、人間だ。
上の写真は、発送祭前の斎場。私達親族は右奥の控室にいます。湿っぽい話で申し訳ない。次回は明るいニュースを。 byebye。