社会福祉法人の受難

2015年05月05日 | 日記
学校長の民間人採用というのが一時期すごく流行った。

銀行の頭取や会社社長なら学校長だって務まるだろう、という考えらしい。

医師でない者に病院の院長は務まらない、弁護士でない者に弁護士法人の所長は務まらないと思われているが、教育や福祉ならできると思われているようだ。

人材を育てる代わりに、なにがしかの謝礼を払って元社長とかを調達してもらうのが斬新と思われているようだ。あるいは、そういうやり方しかもはや残っていないのか。

教育評論家の尾木ママこと尾木直樹氏が、このような風潮に対し、珍しく皮肉を言っていた。

会社社長に学校長が務まると言うなら、学校長にだって会社社長が務まるのではないか?

もっともな屁理屈である。

社会福祉法人に勤務する知人が、元社長とかいう新しい施設長の「斬新な」やり方に疲弊・困惑し、長年務めた職場をやめたいと言っていた。

元社長の数々のエピソードを聞かされ、知人を気の毒に思いながらも、そのような人間をトップに据えなければならないその法人の先行きを思うと暗かった。

特養の凄まじい介護報酬減額や新保育制度で存続の危機にさらされている保育所など、社会福祉法人への逆風が激しい。

公正取引委員会で社会福祉法人への優遇が問題化されたりすると、「そうだそうだ」と営利企業などからはやんやの喝采があったり、いまこそ改革のときとばかりに、商機ととらえて売り込みをするコンサルタントなども出てくる。しかし、公正取引委員会とは何を扱うところなのかを考えれば、社会福祉法人優遇への攻撃はおかしい。保育や介護において私たちは「消費者」なのだろうか?

とはいえ、社会福祉法人がこのままでいいわけではない。良くも悪くも世間から厳しい目を向けられている。このままでは倒れてしまう、生き残れないと煽られ浮き足立ってしまっては本当に沈んでしまう。

自ら立つという人間として当たり前のことができなくなってしまえば後は死を待つばかりである。組織だって同じだ。一職員であろうと経営トップであろうと、最終的にこの人とやっていこうと決めるのは自分たちである。「評判がいい」「やり手と聞いている」などのはかないうわさをもとに人事を決めてしまうとは、もはや終焉が近いということではないか。

知人を悩ます元社長だが、職場は混乱を極め、知人曰く「全く使えない」そうだ。にもかかわらず1年の契約を更新している。「他にいない」からだそうだ。

「交換してください」って言ったらいいんじゃない?
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