ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

天晴れ聖光学院8連覇で甲子園へ

2014-07-27 13:02:53 | 日記
第96回全国高校野球福島大会の最終戦は26日開成山球場で決勝が行われ、聖光学院が延長11回7-6サヨナラで日大東北に勝ち8年連続11回目の優勝を決めた。

従来の福島大会、福島商が、そして日大東北と学石が常連校であったが、いつの間にか聖光学院が常連校に、日大東北は2年続けて聖光学院に敗れて涙をのんだ。

日大東北020 011 110    この9回の裏、日大東北のエース大和田は0点に抑えて、甲子園の切符を手にしたと誰もが信じて疑わなかった。しかし
聖光学院100 001 00    その裏聖光学院は8,9番に代打で、1番八百板のレフトヒットで1死1,2塁、2番藤原の遊ゴロで、2死1,3塁、ここで4点差終わりと思ったが、3番柳沼の2塁打で2点差に、更に4番安田3塁打で1点差に、5番伊三木の3塁打で同点にして、飯島の2ゴロで延長、10回は0,0、11回1番八百板エラーで出塁、佐藤が内野安打で1,2塁、3番柳沼がまたも2塁打で八百板が生還サヨナラの劇的な幕切れで大会が終わった。

好投手大和田を打ち砕いた聖光学院の不屈のねばりが、特に、4点差を跳ね返す2点タムリーの柳沼、そして、11回にはサヨナラ打の最高殊勲選手であったと思う。この逆境での踏ん張りを甲子園で全員野球の底力を発揮してほしいと願う。

四倉ねぶたといわき踊りの夕べ

2014-07-27 08:31:09 | 日記
ねぶたといわき踊りが7/26(土)昨夜、四倉の暑い夏の祭りが四倉夏祭り実行委員会主催で始まった。

もともと四倉の夏のイベントと言えば、海岸で砂の芸術展や歩行者天国のホコ天、花火大会であった。1986年四倉高校美術部の応援を得て、青森のねぶた研修、買い求めてのねぶた祭りが始まった。http://sky.geocities.jp/x468043q/の四倉ねぶたと四倉風土記をご参考に。

よつくら港道の駅ふれあい広場で開会式18:00、18:30花火の合図で、四倉第一幼稚園児の先頭でいわき踊りが出発、小学生、中学生部活、高校生、町の柔道や剣道、商工会、青年会、婦人会など18団体1000人が、四倉築港から新町通り、仲町、元町を踊り流し四倉駅前までのコース。警備員や飲み物を同行させる人たちと観客で昨年の雨とは違って人人であふれた。

続いて、ねぷた3基、ねぶた4基6団体が続き、21時四倉駅前まで練り歩いた。8/3仲町ホコ天、8/16四倉震災鎮魂・復興花火大会で祭りを締めくくる。

郡山北工ロボットコンテスト世界一

2014-07-26 05:31:28 | 日記
昨年も北工の準優勝で載せている空でもないが、どうしても明日へのことばを聞くと忘れたくないからつい載せてしまう。

20日仙台市東北大で開かれた「第5回国際ナノ・マイクロアプリケーションコンテスト世界大会」で並み居るそうそうたるメンバーで、大学も抑えて郡山北工のコンピューター部が優勝した。この大会で高校生グループの優勝は初めての快挙である。

震災や戦争という過去の経験で人間に光学レンズや鋼など多くの知恵を授けてきた。今回の3・11震災と原発事故を体験した福島県民、そして郡山北工のアイデアも「防災・減災」のテーマで、微小電気機械システム活用を競うもの、10の国・地域から選抜23テームで、英語のプレゼンテーションと作品の説明でその魅力を伝えた。

北工の他にドイツのダルンシュタット工科大も1位になった。北工メンバーは3年鈴木部長、伊藤、上田、2年渡辺、1年渡辺の5人で創ったアイデアロボットでセンサーが異常を感知すると警報とランプで知らせるのである。更に接続したタブレット端末を経由して、事前に登録した家族などにメールで異常を伝えると、逆にタブレット端末のカメラを通して家族の様子が確認であるもの。

TV電話としても活用ができ、家族や地域でのコミュニケーション、特に震災で仮設住宅に住む孤独死の防止にもつながるものと期待されることが審査員から高く評価されたようだ。

親鸞完結編「自然に還る」2を読んで

2014-07-25 09:02:15 | 日記
第358回、五木寛之の完結編がいよいよ今月末で終わる。「私は長く生きてきた。これまでにいくつかの文章を書き、人にも念仏のことを語ってきた。・・・煩悩絶ちがたき凡夫なのだ。だからこそただ一筋に他力をたのむしかない道はない。仏でも菩薩の生まれ変わりでもないのだよ。ただ、一人の人間として,まもなくこの世をさるであろう。そこをまちがえてはいけない」連位は小さくうなずきながら・・・

親鸞に私のことをどう思うかと聞かれた覚信は「親鸞さまにとって念仏する方々は家族や近親者と同様みな家族で、恵信や善鸞様に冷たい方と思っていましたが、そうではなく観音菩薩の生まれかわりで大慈悲がすべての人々にそそがれていると感じます」・・・と、少し長いので意訳しましたが、

五木寛之「歎異抄の謎」で、親鸞は、本当は何を言いたかったのかの問いに、前文に見える。しかし、五木さんは「善人なおもて往生すいわんや悪人にをや」の悪人正機と言えば親鸞、そして「歎異抄」と誰しも思うのですが私はそこに重点をおいて歎異抄を読んだことはないと。それよりも人間とはなんと不安定なものだろうと。

あとがきでは、不思議な歎異抄は大きな思想を抱え込んだ書物で私はほかに知らない。その意味で歎異抄に触れたのでなく、噛まれたと言っていいだろうと。学生時代に「ドストエフスキーに噛まれた」と仲間が表現していたことを思い出したからで、今私たちは大きな時代の変わり目に立っている。これから来るであろうヒューマニズムの終わりに歎異抄は見えだされるものと思う。

小池真理子・今親の死に思う

2014-07-24 08:47:35 | 日記
24日今朝明日へのことば、小池真理子の親の死に思う(2)を4:20から聞いた。

作者の本当の言いたいことの本心を読み取ってほしいと。しかし、経験を重んじ現実主義の私はフィクションは好きでないから聞くともなく聞いていたが、空想や虚構を表現する心にも触れてみたいという思いから聞いた。

東北大卒昭和石油勤務の父(朝日花壇に投稿)を持つ1952年東京生まれ、詩や散文のガリ版刷りのプリントを街角で1冊100円で売ったが、売れなくても話しかける人もいたとか、英米文学卒業後出版社に努めたが、1年半で辞め、出版社に掛け合いながら自分で書いたらと言われて、1978年知的悪女のすすめでデビュー一躍マスコミにあがり、講演では結婚もしていない子もいない者が何が分かるかと会場の女性からバッシングされ、30歳ころから作家に本腰を入れ始めたと。

愛人がいるフランス人と結婚していた夫(宜永)と意気投合、夫の離婚の手続きで一緒にフランスに行ったり、母には話しているが父にはあまりお話の機会がなく、エッセイを見た父はショックで寝込んでしまったとか。しかし、1995年恋で直木賞をとったときはうれしく、夫も2001年に小説「愛の領分」で直木賞をとったときは自分より嬉しかったという。

そして今62才になり、老後の終末を考えるようになったと結んだ。