ブログ仙岩

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池田理代子「強く美しく振り返ることなく」

2017-10-13 08:47:02 | エッセイ
ラジオ明日へのことば漫画家音楽家池田理代子さんのトークをアンコールで今朝聞いた。1回目は途中から聞き、小学校では教科書の余白に絵を描いていた。中学では音楽にも、東京教育大文学部哲学科で、ギリシャ語中国語、勿論ドイツ語を学んだが、1年で父親からの金銭的援助が打ち切られ、生活の糧として漫画を描き始めた。出版社へ持ち込むが、技術の未熟さを指摘され、貸本屋向けの出版社で勉強した。

月1000円の授業料でも、大学を休学し学食を利用しながら、20才で出版社からスカウトされ、バラ屋敷の少女でデビュー、24才で週刊マーガレット連載『ベルサイユのばら』が空前のヒット。1年後フランスを尋ね、想像していた街並みは意外に大きかったと。そして、1ランク下におかれたマンガを保存版に、子供向けが大人にも人気が出て、アントワネットの同性護衛オスカになりたいという読者が多くいた。

石膏デッサンや油絵など本格的な絵の勉強をしながら連載を続けた。下地に高校2年生の夏に読んだツヴァイクの『マリー・アントワネット』があり、入学から7年で中退を2年間連載された同作品で少女漫画家としての人気は不動のものに。1975年からは『オルフェウスの窓』の連載を開始。1980年、同作品で第9回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。

40歳から更年期障害に悩まされ、残りの人生を5年間の思案後、45歳1995年東京音楽大学声楽科で勉強、母校の小学校で聖徳太子をテーマに授業を行ったりして、1999年に大学を卒業した。

60才で、25才下のオペラで知り合いのパートナーと生活、69才まで気を付けてきたことは、歯磨きで大切にしてきた。どうしても物書きは部屋に閉じこもりがち、出るように心がけ、床に就くと、明日生きているかと気になることが多いと。

でも、女子供は歴史に弱いから、触れないものと出版社から要求されても、意地をとうしてきたと。フランスの歴史、言葉、食文化などに触れたものを、短歌など年にあった仕事をしたい。仕事は人を輝かせるからと。