2012.12.10に小沢昭一さん亡くなって、早いもので1年と1か月過ぎてしまった。
TBSラジオのトーク番組で、1973.1.8~2012.12.24まで40年10,355回の長寿番組であった。
わが町では、ラジオ福島からの放送で、12:20~30までの、あの晴れやかな声で「小沢昭一的こころだ」と聞こえなくなって寂しい思いをしているが、時代の流れである。ハーモニカ演奏の達人でもあった。
小沢さんは、東京生まれで俳優、タレント、芸能研究者でもあり、噺家でもあり、変哲の俳号を持つ俳人でもある。
「竹トンボ握りたるまま昼寝の子」
などはユーモアの中に、小さきもの、弱きものへの優しさがにじみ出ている。40代から集めた大道芸や露天商、見せ物小屋など消えゆく惜別でもある。
1万回の記念番組では、万葉集の大友家持との対話のようにお話をしたり、万は世の中を表現しているとか。しかし、千の風が流行ったころの放送では、ぼちぼちとお墓の話になり、千の風になるのは嫌だと生への執念があったという。
TBSラジオのトーク番組で、1973.1.8~2012.12.24まで40年10,355回の長寿番組であった。
わが町では、ラジオ福島からの放送で、12:20~30までの、あの晴れやかな声で「小沢昭一的こころだ」と聞こえなくなって寂しい思いをしているが、時代の流れである。ハーモニカ演奏の達人でもあった。
小沢さんは、東京生まれで俳優、タレント、芸能研究者でもあり、噺家でもあり、変哲の俳号を持つ俳人でもある。
「竹トンボ握りたるまま昼寝の子」
などはユーモアの中に、小さきもの、弱きものへの優しさがにじみ出ている。40代から集めた大道芸や露天商、見せ物小屋など消えゆく惜別でもある。
1万回の記念番組では、万葉集の大友家持との対話のようにお話をしたり、万は世の中を表現しているとか。しかし、千の風が流行ったころの放送では、ぼちぼちとお墓の話になり、千の風になるのは嫌だと生への執念があったという。