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揺籃の場

 集団の力によって急激な環境悪化を乗り切ろうとした人々は、日干し煉瓦を利用して家をつくり都市をつくっていきました。それらは人工の洞窟ともいうべき内なる空間を生み出すのですが、人口が増え、多くの仲間とその内なる空間を共有するようになると、その空間は、仲間に〈理解〉を即し〈理解〉を操作することを可能にする空間となっていったのです。
 
長いあいだ氷に閉ざされていた洞窟の内なる空間の中で人類は、31000年前、自らの心の中につくられていた動物たちのヴィジュアル・イメージを、“見”て“考え” 、仲間たちの〈理解〉を操作するために〈かたち〉として壁面に描き出しました。それは人類が〈考える“自己”意識〉を持つきっかけとなった出来事だったのですが、そのときこの洞窟の空間はそれを可能にするキャンバスとして機能していたのです。
 
それから2万数千年後、チャ夕ルホユックÇatalhöyük)には、人々が集団の力を利用してつくりだした人工の内なる空間としての巨大都市が生まれていました。そこには、人為的に手を加えることのできる人工の壁が存在し、繰り返し描いては塗り直すキャンバスとして利用されていたのです。
 
その人工の壁に描かれた壁画は、“見”て“考え”ることのできる〈かたち〉を人々に伝えるものでしたが、そこに描かれたものには、単に彼らが同一環境を共有していることによる具体性、現前性の表現に止まらず、人口が増えたために同一の環境を共有できない人々に伝えるための抽象的で、普遍性のある表現も合わせて求められたのです。そこに描かれた人々の様々な姿は、まさに〈意味〉を表すことのできる図像、ピクトグラム(pictogram)であり、“文字”誕生の直前の状況をそれは示していたのです。このチャタルホユックでおきたことは〈かたち〉に抽象性を与えるきっかけとなった出来事だったのです。
 
苛酷な環境を乗り切るためにつくりだされた家や都市が、大集団となった彼らの〈理解〉の操作を促進させる場を提供し、より抽象的で、普遍性のある伝達手段〈かたち〉を生み出し、育てていく〈揺籃の場〉となったのです。


抽象的で、普遍性のある伝達手段を育てる〈揺籃の場〉としての都市

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