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分かれ道

 数十万年にわたって人類を洞窟に閉じ込めていた長い氷河期が終わり、温暖化が始まった1万5000年前、彼らは多くの動植物たちと同様、氷のなくなった大地へ一斉に飛び出していきました。アブ・フレイラに代表される西アジアの人々も同様で、豊かな生態系が育まれた環境で暮らす彼らは、周囲の動きのあるものの〈意味〉ある〈振る舞い〉を受け止め、〈理解〉し、〈考える〉ことによってそれらにつけられた〈しるし〉を時間の経過とともに大量に蓄積していったのです。
 ところがこうしたアブ・フレイラの「春」を謳歌していた人々に突然ヤンガー・ドライアスの寒冷・乾燥化が襲います。まさに氷河期への逆戻りがおこったのです。氷河期時代、獲物を追って移動せざるを得なかった狩猟・採取生活から、居ながらにして手に入る豊富な食料のために定住生活へと移行し、人口も大幅に増えていた彼らを、その大規模な寒の戻りが襲ったのです。
 
ヤンガー・ドライアスは主にヨーロッパを中心に急激な寒冷化をもたらしました。海から蒸発した水が雪や氷となって大地にとどまり海に戻らなかったために、雪のない中緯度以南の地域では急激な乾燥化が進行し、深刻な干ばつが西アジアなどを襲ったのです。森が失われ、豊かな生態系が崩壊するなかで、定住化し人口が増えていた彼らは、まさに存亡の危機を迎えたのです。
 
こうした状況に対し彼らは、それまでに蓄積していた膨大な知識(=〈しるし〉)を活用し、かつ仲間同士をつなげる“言葉”を利用してこの難局を乗り切ろうとしました。植物を栽培し、家畜を放牧し、水を貯め、水を流し、ときとして荒れ狂う水から身を守る手段などを、まさに集団の力を利用することによって獲得し、生存につなげていったのです。
 
彼らが住む家についても同様でした。入手が困難になった木材を使った竪穴式住居にかわり、乾燥しているからこそつくることができ、強い日射の中でも快適な内部環境をつくることのできる日干し煉瓦を用いた住まいを、これもまた集団の力を利用してつくり上げていったのです。
 
寒冷・乾燥化によって激減した生態系と、ほとんど雨が降らず日照りが続くなど、苛酷になる一方の気象条件。このような極端に変化が少なくなった自然環境の中では、環境の中にある〈意味ある振る舞い〉との相互関係によって生まれるコミュニケーション量も激減していきました。そして対外的な課題に集団で対処せざるを得なくなった状況の中で、人々の関心は、彼らの仲間同士の関係性に集中していったのです。その中で彼らは家をつくるための“言語”都市づくりのための“言語”を発達させていきました。
 
一方、ヤンガー・ドライアスの影響をほとんど受けなかった日本や東アジアの人々の関心は、引き続きまわりの環境へと向いたままでした。多人数の集団の〈理解〉を操作するための手段-“文字”を必要としない世界が続いていたのです。
 
氷河期以降、豊かな生態系の中で、周囲の環境との相互作用によって〈理解としてのイメージ〉と〈考える自己意識〉を育んできた人類は、環境を激変させた気候変動によって、その進む道が大きく分かれることになったのです。


〈理解としてのイメージ〉と〈考える自己意識〉を育んできた人類は、彼らを取り巻く環境の変化によってその進む道が大きく分かれることになったのです。

 

 

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