ふふふ、ふふふふふ・・・そして、再度ふふふ、と小さく笑って私は俳句の季語を見限った!!!
もとい・・・季語を見切ったのであります!!!
その切っ掛けは新しい参考書を買ったことから始まったわけですが、これを読み進むうちに閃いてしまったのであります。
その本とは・・角川学芸出版編「俳句歳時記」新版 ¥924 であります。
いや、これは本のタイトルがおかしい、でありましょうぞ。
これ、私に言わせるとほとんど辞書であります!!!
なんとなれば、春夏秋冬に季語が羅列されそこにもっともらしい解説が少しと作例としての俳句が2〜3つ載っている様はドー見ても辞書なのであります。
さて、読み始めは頷きつつも何処かに引っ掛りを感じながら読んだのですが、まるで受験用の暗記物でしてはっきり言って飽きます。
いや、季語の羅列にげっぷが出たとでも申しましようか、まず、例として載っている俳句もスルスルっとは理解できないのであります。
それでもわかりやすく好きだなと想うものもありまして、この句はすんなりと飲み込めました。
「春眠のつづきのやうに死があらば」作者・渡辺昭さん。
これなどは季語である春眠の持つ語感と雰囲気がビリビリと伝わり、自分にとっては直球ど真ん中であります。
さらに例を挙げると、夏の季語だとされる「紙魚」でありますが・・・。
いや、本物の紙魚の説明などはドーでも良いのであります。
自分としてはこんなものが季語になった俳句の背景を想像し、かすかに記憶の底にある句の中から馬小屋に寝る芭蕉を想い、成る程なぁ〜と頷くのであります。
いや、話は逸れますが「蚤虱馬の尿する枕もと」の尿を「ばり」と読ませる解説に私は納得できません。
まっ元は「いばり」なんでしょうけれども、字面を合わせるために「ばり」と読ませてるんじゃないのぉ〜と勘ぐるのであります。
いやいや、この地方の方言で「ばり」と言うのはこじつけでありましょう。素直に「しと」じゃだめなのかと思うのでありますが、まっ、いいでしょう。
そして、紙魚を使った例として挙げられた「鷗外も茂吉も紙魚に食はれけり」の藤田湘子さんの句も、わかる気がするなぁ〜こー言うの、好きだなぁ〜と、楽しくなるのでありました。
と言う事で、この辺まで読んで私の脳みそが閃きました!!!
紙魚、蟻、蜘蛛、蛞蝓と続くんですが、こーなったら次は蝸牛か?と思いつつページをめくれば、そこにはなんと蝸牛が居たのであります。
いや、驚くには値しないと云いますか、やっぱしこの程度のことであったか、と私は俳句の、少なくても季語は見切ったと思ったのであります。
してその心は、なんでも有りだな、と。
さらに、季語を見切った私はその背景も見破ったのであります。
それは特定の単語に季節ごとの意味をもたせ、限られた文字数での表現を豊かにする苦肉の策ではなかったか、でありました。
いや、本当を言うと、例えば春の季語であるらしい「寄居虫」と書いてヤドカリと読ませるらしいこれなどは、芭蕉が隠密であったと言う説を採ると、何がしかの暗号であり、この文字が大切な役目をしていたのではなかったかと思うのであります。
さて、まったくの勘違いを晒した気もしますが、この本で季語のあれこれを読んで想ったことは、自分の俳句の楽しみ方は普通の人とは角度が違うのだな、と言うことであります。
自分は句を捻り出すよりも出来合いの句を読んであれこれと解釈したり背景を想うのが今は楽しく、言って見れば言葉遊びのなのであるなと、・・・まことに支離滅裂な話でありました。