5月19日(火)晴れのち曇り
九州の雨予報を避けて急遽来てしまった沖縄でありましたが、三泊四日・・・自分としては意味深い旅になったと思う所が有りました。
日本であって日本じゃ無いような沖縄・・・まっ、いいでしょう、ナンでアレ、変な日本で有りました、と。
で、今度は沖縄地方の天気が怪しくなって来たんで鹿児島へ戻る事に。
もっと長居をしたかったか? と、言うとそんな事も無く、島全体がリゾートなので独り者は余り楽しくも無い感じ。
朝7時出港のフェリーなんで6時に来てみたらやっと夜明け頃
二度目と言うのは余り燃えない訳で、帰りの船中は寝て過ごした
故に写真の一枚も無く、特別記する事も無い24時間であった
5月20日(水)快晴 今日のメインは開聞岳
鹿児島でフェリーを降り、開聞岳を見に指宿を目指し226号を行く
すると、突然ロケットの頭が見え、アレっ?内之浦ってここ?と混乱
やっぱし内之浦は大隅半島でアッチ側・・・アレは何だったのか?
226号を行くと石油備蓄基地に20万トン級か?巨大タンカーが
そして指宿着・・・フェリー乗り場で時刻を調べると、午後3時、と
未だ九時半では予定外の待ち時間、開聞岳を見て来ても待ち過ぎ
これは当てが外れた、で、鹿児島へ戻り桜島フェリーで渡る事に
指宿往復80キロを無駄に走り鹿児島から桜島フェリーに乗る
これが市民の足として24時間運行のしかも低料金・バイク込み330円
桜島フェリーから沖縄から乗って来た「あけぼの」が見えた
桜島上陸・・・丁度昼飯時、すぐ近くの道の駅へ立ち寄る
桜島は独特な雰囲気の島で異次元世界を感じた・・・殺気?
国道224号を行くと、道の脇には火山灰、そしてシェルターが
戦争になっても、通常兵器なら桜島市民は生き残るか?なんて
国道220号を鹿屋市・志布志市・日南市と抜けて宮崎市へ
日南海岸の所々は良い波が立って、やっぱしサーファーがいた
そっかぁ~ここら辺が昭和中期の新婚旅行のメッカかぁ~と、通過
5月21日(木)晴れ 宮崎から四国の松山へ
いや、走った・・・一目散とはこの事かと言う程良く走った
宮崎を早めに出て大分県の佐賀関を目指し、愛媛県の佐田岬に渡る
そして、道後温泉の真っただ中の裏道の「どうごや」を探すも苦戦
その宿は、道後温泉の風俗街の坂道の上にひっそりと隠れていた
5月22日(金)晴れ 松山から徳島、そして和歌山へ
帰ると決めたら一目散・・・脇目もふらずにひた走る
国道11号から192号に乗り換えて一本道、のはずなのだが不安
国道192号は吉野川と並走するのだが、良い感じであった
徳島市が意外と大きな町でフェリー乗り場に行くのに手こずる
しかし、着いてみれば出港1時間前と余裕でポールポジションに
いや、これを外すと次は3時間後の船になり和歌山着が夜になる
和歌山でこの旅最後の独り宴会・・・良い店でした
5月23日(土)曇り 和歌山から名古屋港まで
早朝の和歌山城では鳩を狙う猫と対面して来た
早朝、宿から近いので和歌山城へ行くも開門前であった
本日は最後の走りの日であり、しかも、名阪地区を行く
大都市のバイパスは小型バイクには辛い走りを要求する
ナビが無いので国道の番号と通過都市を記入した紙片を貼付ける
本来最短で行くなら国道25号なのだが来る時に迷ったので外した
ゆえに、選択したのは遠回りでも分かり易そうに見えた国道165号
しかし、伊勢自動車道の看板が出始めるとややこしくなり少し迷う
自動車道に入れればナンて事も無いのだが、辛いのぅカブッチ!
心配した四日市から先の国道23号は意外にも走り易くホッとする
そして、フェリー乗り場への誘導看板も分かり易くすんなり到着
着いてみれば出港まで3時間待ちと言う間抜けな早着、焦り過ぎた
総仕上げ
まっ、この後フェリーに乗って翌日の午後四時半頃には仙台港に着いて、5時半頃我が家に帰り着き、全行程2750キロの旅は終わった訳であります。
で、走ってみて感じた事は・・・時代が違うな、でありました。
まず、都市部では一般国道が自動車道になっちまって原付二種では入れない憂き目に遭って困惑する事しきり、でありました。
そして、国道の誘導看板も、コッチがバイパスと国道の番号入りで誘っておいて入り口に行くと、無料では有っても自動車道でして原付二種は通る事が出来ない訳であります。
そんなこんなでナビもその手の道へ導くし、精細な道路地図も持たない自分は方角的に見てコッチだなと言う「勘ナビ」を駆使して抜けて行く訳であります・・・が、やっぱし不安だし、迷います。
そして、何よりも・・・俺、もう歳だわ、でありました。
テントと寝袋を背負っていると言うのに、夕方が近づくと、熱いお湯の風呂が欲しい、布団で寝たい、と思い、キャンプ場など眼中に無くなる訳であります。
いや、これがまた格安スマホの気が利いてまして、宿の検索サイトを開くと、GPSの位置機能が作動して近くの安い宿を提示して来る訳であります・・・しかも、そのまま予約可能と。
まっ、それが仇となり宿代がかさんで資金的に思ったよりも早く切迫して帰りも早まったと言うのは否めない訳ですが。
で、フェリーの移動距離がバイクの走行より多い3000キロになる訳でして、今回の旅は、フェリーとフェリーの間をバイクでつないだ感じの、題して「四国・九州フェリーの旅」みたいなもんであったなと思う次第であります。
まっ、16日間、お天気にも割合恵まれまして、110CCのカブッチと還暦のオヤジコンビ、良く走りました、と。
完