今ネットの記事を読んでいたら私の大好きなドーバミンの役割について、過去の認識を変えつつあると言うのを読んだんだが・・・学者ってのは意外とムフフフフなのか? とか思ったりして。
・・・以下引用・・・↓
Universitat Jaume Iにて心理学者として働くMerce Correa氏は、「ドーパミンは『楽しみ』や『報酬』といった要素をコントロールしており、人間が何か目標を達成した際などに体内で放出されるもの、と考えられていました。しかし、最新の研究データなどを集めてみると、このドーパミンという神経伝達物質は『目標を達成する前』にすでに放出されており、人間が何かを得たり目標を達成したりするための行動を促進していることが分かりました。これは、言い換えればドーパミンは何かしらの良いものを得たり、嫌なことを避けたりするために放出される、ということです」と語ります。
・・・以上引用・・・↑
いや、長距離ランナーには常識となっているランナーズハイ、と言うのが有る訳なんだけど、その犯人はドーパミンな訳です。
で、ドーパミンはいつ出るのかと言うと、ゴールしてから出るなんて事は無い訳で、走り切ったご褒美に貰えるモノでは無い訳です。
ンじゃぁ、何時出るのかと言うと、人それぞれですが、概ね、走り始めて20分~30分以内、と、言うのが多いようであります。
で、試してみると、運動強度が高い・・・要するに限界近くで走ったりしている場合はドーパミンが出ないか、若しくは出難いか、と思う訳です。
この事の理由は、私の勝手な推測なんですが、強い運動強度では長く保たないと言うか、脳味噌が経験的に持続出来ないのが分かっているんで、持続させようとする効果のドーパミンは出ないんじゃないか?と、思う訳です・・・心拍数とランナーズハイの出方を調べた時に、自分はATポイント以下でしかドーパミンは出ない、と言うのが分かっているんで、心拍数で制御されるのか?と、思ったんですが、しかし、ドーパミンもいつまでも出続けるモノでも無いので、シロートの勘なんですけど、グリコーゲンの代謝と関係があるのかと思う訳であります。
後一つは・・・レースなどで限界近くで走る時には既に大量のアドレナリンが先に出ていると思う訳で、そう言うのが先に出ちまうと、控えめなドーパミンはタイミングを失って隠れちまうのかとも思います・・・コレは全部自分の経験からの勘であります。
・・・以下引用・・・↓
研究が明らかにしたところによると、ドーパミンは「楽しい」といった感情以外に、ストレスや痛み、喪失感などにも反応するとのことで、「ポジティブな影響を持った物質」として強調されてきたドーパミンに対する認識とは少し異なる結果が得られた、とCorrea氏。
・・・以上引用・・・↑
いや、私としては「楽しい」と思う時にドーパミンが出て居ると言う感覚は持った事がない訳です。
それよりも、ランニングの時、入り始めに少しキツいな、と思いつつ、スピードを抑えて身体が温まるのを待っていると、だんだんと辛いのが消えて快感に変わる訳です。
走っているのが楽しくなっちまう訳でして・・・そして、その間に一度は「どこまででも走れそう」と言う力も湧いて来ると言いますか、脳が麻痺させられちまっている瞬間が来る訳です・・これが巷で言う所の「ランナーズハイ」な訳ですが、一方、コレに長い事浸りますと、ドーパミン中毒と言われる、走らないと気が狂っちまう、と言うドツボに嵌る事もある訳です・・・私はそれ程ではありませんが、私のまわりにはこの手の中毒者がナンボでも居ます。
と、言う事で・・・ランニングは基本的に辛い物なんですけど、それを錯覚させる麻薬物質がドーパミンで、そう言う勘違いを脳内で起こさせる必要が人類の歴史の中にあって、そう言う仕組みが残っているんだろうかなぁ~・・・なんて思いつつ、私は走る訳であります。
で、その人類がそんな脳内麻薬を必要としていたのは、恐らく「狩猟採集的生き方」をしていた時代に、狩りの辛さや野山に分け入っての持久力など、そう言う所で必要だったんじゃないのか? ナンて想像する訳ですが。
・・・以下引用・・・↓
なお、これまでドーパミンは目標を達成したり、満足感を覚えた後に放出されるものと考えられていたわけですが、この考えは間違っていたことが今回発表された論文で明らかになっています。このことからCorrea氏は、「これまで精神病などに用いられてきたドーパミン作用を阻害するドーパミン拮抗薬は、恐らくまったく思ったようには作用していない」とコメントしています。
・・・以上引用・・・↑
いや、ドーパミン拮抗薬というのがどんな物なのか知らないんですけど、少し具合が悪いとき、気持ちが落ちたときなど、ドーパミンを目当てに運動してみるんだけれども・・・自分何ぞは少年期から還暦前のこの歳までほとんど運動を欠かさず来たのでコツが分かるんで自分でドーパミンを出せるんで重宝しているんだが・・・いや、上記のドーパミン拮抗薬は出さなくするなり、出ても意味無くしちまうと言う物ですか?
だとしたら勿体無い気がしますけど・・・こんな良い物を消しちまうなんて。
でも、いろんな本を読むと、ドーパミンは酒を飲んでも出ると言うし、セックス依存症の人なら、それでも出ると言うし、モノを食べても出るドーパミンは、それの快感に嵌まれば過食症とかも言われている訳で、厄介なんでしょうなぁ。
まっ、私が知っているドーパミンはランニングの時に出会う訳でして、とても良いもんであります。
で、私は、間違い無く「ドーパミン中毒」でして・・・それは、運動フェチと言う事で、走っても泳いでも登っても・・・少しキツい運動をしてると幸せなんであります。
で、蛇足ですが、ドーしてもドーパミンが出なかったのが「お仕事」ですね。
あと,社会貢献などして認められる・・・要するに褒められる自分に酔って出るドーパミンも私には無いようであります。
私はアレです・・・社会と向き合うと闘争本能の方に行っちまってアドレナリンが湧いちまうんですかね?
なので社会的役割などになっちまうと、やり遂げた達成感より疲労度が凄い訳です。
まっ、脈絡が亡くなった所で駄法螺はお終い、と。
・・・以下引用・・・↓
Universitat Jaume Iにて心理学者として働くMerce Correa氏は、「ドーパミンは『楽しみ』や『報酬』といった要素をコントロールしており、人間が何か目標を達成した際などに体内で放出されるもの、と考えられていました。しかし、最新の研究データなどを集めてみると、このドーパミンという神経伝達物質は『目標を達成する前』にすでに放出されており、人間が何かを得たり目標を達成したりするための行動を促進していることが分かりました。これは、言い換えればドーパミンは何かしらの良いものを得たり、嫌なことを避けたりするために放出される、ということです」と語ります。
・・・以上引用・・・↑
いや、長距離ランナーには常識となっているランナーズハイ、と言うのが有る訳なんだけど、その犯人はドーパミンな訳です。
で、ドーパミンはいつ出るのかと言うと、ゴールしてから出るなんて事は無い訳で、走り切ったご褒美に貰えるモノでは無い訳です。
ンじゃぁ、何時出るのかと言うと、人それぞれですが、概ね、走り始めて20分~30分以内、と、言うのが多いようであります。
で、試してみると、運動強度が高い・・・要するに限界近くで走ったりしている場合はドーパミンが出ないか、若しくは出難いか、と思う訳です。
この事の理由は、私の勝手な推測なんですが、強い運動強度では長く保たないと言うか、脳味噌が経験的に持続出来ないのが分かっているんで、持続させようとする効果のドーパミンは出ないんじゃないか?と、思う訳です・・・心拍数とランナーズハイの出方を調べた時に、自分はATポイント以下でしかドーパミンは出ない、と言うのが分かっているんで、心拍数で制御されるのか?と、思ったんですが、しかし、ドーパミンもいつまでも出続けるモノでも無いので、シロートの勘なんですけど、グリコーゲンの代謝と関係があるのかと思う訳であります。
後一つは・・・レースなどで限界近くで走る時には既に大量のアドレナリンが先に出ていると思う訳で、そう言うのが先に出ちまうと、控えめなドーパミンはタイミングを失って隠れちまうのかとも思います・・・コレは全部自分の経験からの勘であります。
・・・以下引用・・・↓
研究が明らかにしたところによると、ドーパミンは「楽しい」といった感情以外に、ストレスや痛み、喪失感などにも反応するとのことで、「ポジティブな影響を持った物質」として強調されてきたドーパミンに対する認識とは少し異なる結果が得られた、とCorrea氏。
・・・以上引用・・・↑
いや、私としては「楽しい」と思う時にドーパミンが出て居ると言う感覚は持った事がない訳です。
それよりも、ランニングの時、入り始めに少しキツいな、と思いつつ、スピードを抑えて身体が温まるのを待っていると、だんだんと辛いのが消えて快感に変わる訳です。
走っているのが楽しくなっちまう訳でして・・・そして、その間に一度は「どこまででも走れそう」と言う力も湧いて来ると言いますか、脳が麻痺させられちまっている瞬間が来る訳です・・これが巷で言う所の「ランナーズハイ」な訳ですが、一方、コレに長い事浸りますと、ドーパミン中毒と言われる、走らないと気が狂っちまう、と言うドツボに嵌る事もある訳です・・・私はそれ程ではありませんが、私のまわりにはこの手の中毒者がナンボでも居ます。
と、言う事で・・・ランニングは基本的に辛い物なんですけど、それを錯覚させる麻薬物質がドーパミンで、そう言う勘違いを脳内で起こさせる必要が人類の歴史の中にあって、そう言う仕組みが残っているんだろうかなぁ~・・・なんて思いつつ、私は走る訳であります。
で、その人類がそんな脳内麻薬を必要としていたのは、恐らく「狩猟採集的生き方」をしていた時代に、狩りの辛さや野山に分け入っての持久力など、そう言う所で必要だったんじゃないのか? ナンて想像する訳ですが。
・・・以下引用・・・↓
なお、これまでドーパミンは目標を達成したり、満足感を覚えた後に放出されるものと考えられていたわけですが、この考えは間違っていたことが今回発表された論文で明らかになっています。このことからCorrea氏は、「これまで精神病などに用いられてきたドーパミン作用を阻害するドーパミン拮抗薬は、恐らくまったく思ったようには作用していない」とコメントしています。
・・・以上引用・・・↑
いや、ドーパミン拮抗薬というのがどんな物なのか知らないんですけど、少し具合が悪いとき、気持ちが落ちたときなど、ドーパミンを目当てに運動してみるんだけれども・・・自分何ぞは少年期から還暦前のこの歳までほとんど運動を欠かさず来たのでコツが分かるんで自分でドーパミンを出せるんで重宝しているんだが・・・いや、上記のドーパミン拮抗薬は出さなくするなり、出ても意味無くしちまうと言う物ですか?
だとしたら勿体無い気がしますけど・・・こんな良い物を消しちまうなんて。
でも、いろんな本を読むと、ドーパミンは酒を飲んでも出ると言うし、セックス依存症の人なら、それでも出ると言うし、モノを食べても出るドーパミンは、それの快感に嵌まれば過食症とかも言われている訳で、厄介なんでしょうなぁ。
まっ、私が知っているドーパミンはランニングの時に出会う訳でして、とても良いもんであります。
で、私は、間違い無く「ドーパミン中毒」でして・・・それは、運動フェチと言う事で、走っても泳いでも登っても・・・少しキツい運動をしてると幸せなんであります。
で、蛇足ですが、ドーしてもドーパミンが出なかったのが「お仕事」ですね。
あと,社会貢献などして認められる・・・要するに褒められる自分に酔って出るドーパミンも私には無いようであります。
私はアレです・・・社会と向き合うと闘争本能の方に行っちまってアドレナリンが湧いちまうんですかね?
なので社会的役割などになっちまうと、やり遂げた達成感より疲労度が凄い訳です。
まっ、脈絡が亡くなった所で駄法螺はお終い、と。