鈴木エイト氏は「ジャーナリスト」ではない。
今日、彼に会う機会があって、改めてそう思いました。
先月、この 「鈴木エイト氏はジャーナリストか」 については問題提起しました。
こちら
今日、私が出たシンポジウム(信者の人権を守る二世の会主催@市ヶ谷)で、鈴木エイトさんの、酷い発言を耳にしました。
そこで、感覚的に(帰納的に)、「彼はジャーナリストではないな」と思ったんですが、この私の感覚を、以下に、法律家らしく、演繹的に、三段論法で検証してみます。
みなさんも、演繹的思考=三段論法=大前提→小前提のあてはめ=論理的思考に、長いですがしばしお付き合いくださいませ。
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まず、「ジャーナリスト」の定義は:
A ジャーナリズムの仕事に携わる人。
B 新聞・雑誌・放送などの、編集者・記者・通信員などの総称
です(ネット辞書から)。「ジャーナリズム」の定義は「新聞・雑誌・放送などで、時事問題の報道・解説・批評などを行う活動」だから、上記AとBは同じことを言っている。
そこで、簡単に上記Bの定義を前提に掘り下げると、「新聞・雑誌・放送など」は、マスメディアをイメージしているようだ。ネット媒体を含むかどうかは不明。
いや、エイトさんのブログなんかは、「新聞」と謳っているが、一般人の感覚では、あれは普通にイメージする「新聞」ではない。ネットだ。ブログだ。
そこで、「新聞」の定義を調べてみると:
「社会の出来事の報道・批判を、すばやく伝えるための、定期刊行物。多くは日刊。」
です。エイトさんのブログは「定期」に刊行されてないし、「日刊」でもない。
そして、「刊行」は「印刷して出版すること」だから、紙媒体に限る。
だからネット新聞は「新聞」ではない。
こう考えると、ジャーナリストとは、「(ネット媒体を含まない)新聞、雑誌、放送の仕事に従事する人」と言い換えることができる。要するに、マスメディアに従事する方なんですね。
では鈴木エイト氏はどうか。
はい。彼は、マスメディアに従事したことはない。マスメディアの上司に仕えたことがない。
なお、エイト氏が「雑誌の仕事に従事している人」と言えるかどうかは微妙だが、自分の記事が雑誌に載っただけでは「ジャーナリスト」はない。
私は、何度も私の記事を雑誌に載せたことがあるが、それで私が「ジャーナリスト」になるのか? いや、ならないだろう。
記事を雑誌に載せるだけでは、「雑誌の仕事に従事している」とはいえない。
だから、「ジャーナリスト」の定義から考えても、鈴木エイト氏は「ジャーナリスト」ではない。
ネットの定義を基に三段論法を展開するだけで、「鈴木エイト氏はジャーナリストではない」という結論が簡単に出てしまった…
つまり、「ジャーナリスト」「新聞」「刊行」の3つの言葉をググるだけで、三段論法すれば、鈴木エイト氏は「ジャーナリスト」ではない、と結論づけられました。
鈴木エイト氏は、「ジャーナリスト」と名乗っていますが、こうやって定義をきっちり三段論法すると、肩書詐称になりそうですね。
ここまでの三段論法は、大学生でもできそうですが、異論があればコメント・DMをお待ち申し上げております。
後記:私が用いたネット辞書の定義の問題だと思いますが、この三段論法からは、いわゆるマスメディアに属していないと「ジャーナリスト」ではなくなる。やや狭いといえる。
ま、エイトさんのように、マスメディアに属しないフリーの人は、「フリージャーナリスト」だ、ってことですね。これならしっくりきます。
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鈴木エイト氏はジャーナリストではない。マスメディアで鍛えられていない。活動家・ブロガーとして、やりたいことをやってきただけ。
社会の荒波に揉まれていない。大衆を相手にする、社会の木鐸たるマスメディアに属したことはない。
要するにアマチュアさんだ。
だから、今日7月30日のシンポジウム(信者の人権を守る2世の会@市ヶ谷)で明らかになったような、非常識な言動をしてしまう。
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その非常識発言を紹介します。
鈴木エイト氏は、今年55歳。企業なら、早期退職する年齢。ロートル。
そんなオジサンなのに、公開シンポジウムで質問を受けて:
「どーでもいい」
と吐き捨てるような一言を公然と吐いた。ちゃんとした企業に務めた人なら絶対にしない失言。
会場&オンライン視聴者全員が、唖然、愕然、呆然とした発言。
内容が、12年半も拉致監禁された後藤徹さんを、エイト氏が「引きこもり」呼ばわりしたことへのコメントだっただけに。しかも、数メートル離れた先に、その拉致監禁被害者の後藤徹さんが座っているだけに。
人非人か。
jaw-dropping (顎が落っこちるほど衝撃的)というのは、こういう場合の形容詞なのでしょう。
鈴木エイトさんは、このへんの常識、含羞、社会人として持つべき当然の誠実さ、というものを持ち合わせていらっしゃらない。まあ人間性、ともいえる。
ジャーナリストではないから。マスメディア経験がないから。上司に叱られたことがないから。
エイトさんの経歴を隈なく把握しているわけではないが、昨日のエイトさんの態度から、彼は、「きちんとした会社に勤めて、きちんとした上司に、きちんと叱られたことがない」のだなと思いました。
要は、失礼ながら、おこちゃまのまま、55歳まで育ってしまった、ということではないでしょうか。
彼のためにも私は憐れむ。
今の時代、フリーランスもいい。フリーターもいい。アントルプルナーもカッコいい。ゼロイチで自分で事業始めるのは居心地いいぞ。会社仕えなんかダサい? なんて風潮だ。
しかし。
人は、きちんとした会社に勤めて、きちんとした上司に、きちんと指導されないと、鈴木エイトさんみたいになってしまう可能性がある。
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エイトさんのヒドイ発言をもう一つ。
極めつけは、シンポジウムのパネリストに対して、録音&ネット中継されているのに、
「あなたには興味ない」
と捨て台詞で暴言。
別途Tweetしましたが、シンポジウムのパネリストに対しては、どんな立場の違いがあろうとも、一定のリスペクトを支払うのが、この社会の常識。
例えば。
小学生が、教室の教壇の上で、とぐろを巻いたウンコをしない。
ウンコはトイレでしろ。
それと同じくらい、「シンポジウムのパネリストに<あなたには興味ない>と捨て台詞を吐かない」というのは、社会で揉まれた社会人なら、当然に持っている常識。
そんな常識をも持ち合わせていない、鈴木エイトさん。
55歳なのに、パネリストを「あなた」呼ばわりする。失礼な捨て台詞を吐く。パネリストに「興味ない」との無礼なマウント発言をして、その場にいた人の心胆を寒からしめる。
そんなあなたは「ジャーナリスト」ではない。
私はそう認定させていただきました。
鈴木エイトさん。どんな立場、意見の違いがあっても、パネリストには一定のリスペクトを払う。
それが社会の常識です。
その常識を守らない人を、我々は「反社会的」と表現します。