執行草舟さんが、オリジナルで、養常論ってのを展開している。
「養常」ってのは執行草舟の造語。常を養う。
そのココロは…
■ 非日常を日常化するその過程
■ 超越的日常
以上『超葉隠論』
とか
■ 生命エネルギーが燃え尽きるための生き方(『生命の理念Ⅰ』)
■ 成長そのものを段階的に捉える考え方であり、一つひとつの段階ごとに本にんが「当たり前」と感ずる状態を作り上げていくこと。
これが無限に(中山註:螺旋状に)発展していく姿。
■ 「当たり前」を高度化していく
■ 自己の生命の限界を絶えず「超克」するために、死に向かって進み続ける不断の活動エネルギー
■ 常が、生命の不断の自己超克である
■ 高まることが、自己の生命活動として当たり前の考え方になる
以上『生命の理念Ⅱ』
■ 生きている人間にとって、価値ある特別のことを、自分にとって普通となし、当たり前にしていく過程
『生くる』の養常記
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…などと説明している。
とても分かりにくいと思いますが、何しろ執行草舟さんは「わからぬがよろしい」と自ら仰る人。
理解できなくても受け取れるものがあればいい。そういうお方。万民に理解されるようなことは書いても価値はない。
そんな執行草舟さんが説く「養常」ってのは、要するに、不完全な人間が、完全を目指して常に謙虚に向上心を持って自分の限界に挑戦するインテグリティと同じですね。