女性の某有名弁護士とランチ。
ちょこっと宗教(キリスト教)の話題。その彼女は、親から「キリスト教はいいぞ、これでも読んで勉強しろ」と言われて、阿刀田高『新約聖書を知っていますか』を読んだ。
たしかにこの本は読みやすかった記憶があります。入門編としてはおすすめ。まぁ、今の時代には、Twitterで活躍のMaroさん(上馬教会)とかいらっしゃるから、入門本ははるかにたくさんありますが。
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「私中山がクリスチャンか」って問いで話をした。この 揺らぎ (迷い、スッキリしなささ) を話した。
イエスの復活までは信じるけど、あの磔刑が全人類の贖罪云々まではちょっと…って話。
すると、その彼女から「そういう迷い、逡巡、ためらいがある方が信頼できる。◯◯です! ◯◯を信じてます! ってよりも」と言われた。
なるほど。
裁判の尋問でも、「絶対◯◯です!」って言い張る奴よりも、「たしか◯◯だったと思います」っていう迷い・ためらい・逡巡・揺らぎを示す方が、かえって信頼性が上がったりする。
「絶対」って言う奴が、一番信用できない。
この世に「絶対」なんてものはない。
人は絶対死ぬ、ってこと以外は。
だから「絶対」を連呼する野郎が、「絶対」信頼できなかったりする。