井上洋治のライフエッセイ『余白の旅』。
これを若松英輔が激賞している。
「余白」って何なの、、、 巻末に少し説明があり、そこを取り急ぎ抜粋:
~~~以下引用~~~
生きとし生けるものは、「生きとし生けるものの余白」ともいえるものの力によって生かされ在らしめられ、それぞれその場をえさしめられているのであって、それぞれの生命と役割を力一杯生きぬくことによって、己れ自らをではなく、己れ自らをもつつむ全体を表出していくものなのである。
そしてこの生きとし生けるものの余白の力をこそ、芭蕉や一遍はこれを「風」ということばでよんだのではなかったか。
イエスがもっとも大切にした「幼子の心」とは、この余白の風に、ふわっと目をつぶって委せ切る心に他ならない。
一人一人の人生というものが、己れ自身を表出するものではなく、生きとし生けるものの余白をふくむ全体を表出するものであってみれば、己れの生命と役割を完全に生きぬくということは、逆説的のようではあっても、己れを無にして余白の風をして己れの人生を吹きぬけしめることとなるはずである。
聖者とは、まさに己れの人生において余白を輝かしめている人に他ならないのであろう。
~~~引用終わり~~~
一見、ちんぷんかんぷんだけど、なんとなく、分かる。
いや、分からないけど、伝わる。
人間が、大きな全体の中の卑小な一部にしかすぎない、ってことだろうか。
井上洋治の言うこの「余白」って何なのかを、これからの私の人生で、考え続けていきたい。