goo blog サービス終了のお知らせ 

川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

東洋は演繹的 西洋は帰納的

2022年01月29日 | 歴史
演繹と帰納。「東洋が演繹的で,西洋が帰納的」なんじゃないのって仮説を立てている。

理由:西洋にはソクラテスとプラトンがいるから

対話を重んじたソクラテスと,その弟子プラトン(ソクラテスの22歳年下)は帰納的。対話とかソクラテスメソッド(とかそこから発展したみたいなコーチング)ってのは,要するに帰納的な感じ。

プラトンが帰納的だったって記述はネットにはないけど,『ソクラテスの弁明』を書いてほとんど師のソクラテスになりきったプラトンも,帰納的ってことにしておく。

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」って言った。それくらい,プラトンってのは圧倒的。西洋にはプラトンの影響は強い。

だから,ソクラテスとプラトンという二人の聖人を持つ西洋は,たぶん,東洋より,「帰納的」に親和性がある。

____________

一方,プラトンの弟子アリストテレス(プラトンの43歳年下)が演繹法を生み出した。アリストテレスは「万学の祖」。

私が法曹界にいるからか,演繹的思考に馴染みやすい。法律とか三段論法って,演繹的だから。世界の180か国くらいの大陸法は,演繹的。英米の植民地の17か国くらいだけ,判例法で,その点で帰納的。

海外のビジネス本を読むと,いきなり,「ジョージはそのとき…」みたいな,具体的事例から始まる。小説みたいに。これは帰納的な書き方。事実から書く。ファクトから書く。

日本のビジネス本は,こういう海外の本みたいに,いきなり具体的事実から書かない。読者に直接語りかける。いわば演繹的。

ソクラテスやプラトンと同時代の,孔子とか孟子とかそのへんの先賢も,対話とかまどろっこしいことしてない。直截的に「~すべし」的に,説教調に,大前提を,演繹的に押し付けてくる。東洋は演繹的。

____________

日本に帰納的発想が薄いとすれば,東洋に帰納的な考えが薄いとすれば,それは,東洋にソクラテスがいなかったから。

コーチングが根付かないのも,コーチングが,帰納的で,西洋的だからかも。

以下の本をAudibleで何度も聞いている。上のようなことをひらめいた。似たことを言っている人はネット検索ではあまりヒットしない。



 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モーニング・ページ | トップ | オススメ本 『ライフハック... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事