思惟(しい)って言葉が好き。
なんだか「深く」考えるって感じがして。
思索よりも深い感じ。
思惟的な生活を送りたい。思惟に耽りたい、って思うこともしばしば。
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かつてこんな分類を書いていた。若松英輔さんをパクって。
思考:アタマで考える
思索:こころで考える
思惟:いのちで考える
こちら(2022年過去記事)
こちら(2020年過去記事、何度も書いている)
こちら(2008年過去記事、皇太子殿下への批判)
たしか内田樹も思惟って言葉を使っていたのでは、、、 池田晶子だったか、、、
「思想」が最もオツム的。
次が「思考」。少し身体の下に下がって、自分で考える」という肉体感を伴ってくる。
さらに下に下がると「思索」。脳よりも心で考える。思う。感じる。
一番下が、「思惟」。脳ではなく、心よりもさらに下の、「肚」で感じるみたいな。
思想と思考と思索と思惟。
この辺の言葉に敏感でいたい。ビジネス書ばかり読んでいるとこの4語の区別はできない。
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書き手が、こういう言葉に敏感かは、読んでいるとわかる。
若松英輔さんなんかは、詩人だけあって、このへんの言葉選びが絶妙。
他に彼に匹敵するような言葉の敏感さを持っている人は、、、 思いつかない。
執行草舟さんは似たようなところがある。
池田晶子とか中島義道とか、世間に媚びない思想家が、こういう言葉の鋭敏さを持っていそう。
ウケる言葉を使うのではない。
自分が肚落ちする言葉のみを使う。
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Twitter(X)では140字しかないし、コンパクトに刺さることを言わざるを得ないので、思惟的になることはできない。
だからXにのみ生息している人は思惟的であることはできない。
媒体が思考様式を決める。