Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

智泉院(2018年2月17日参拝)

2018年03月16日 | 仏閣


続いて法華経寺の山門横にある智泉院へ。

こちらは塔頭かと思っていたが、
帰宅してから調べると単立寺院のようですね。



所在地:千葉県市川市中山2-3-6
宗派:日蓮宗・単立
御本尊:曼荼羅
創建:不明



【境内】



【紅梅】


満開の時はかなり凄く綺麗なようですよ。


【本堂】





【白梅】







【智泉院事件】
大奥には絵島・生島事件という大スキャンダルが有名ですが、
他にも智泉院事件というスキャンダルがあったそうです。

詳細はここでは省きますが、
こちらのサイトで分かり易く書かれていますので、
興味がある方はどうぞ。

http://hidesun.slmame.com/e1014386.html


【御首題】


何故、葵の御紋を使用出来るのか不思議でしたが、
智泉院事件を知ってよーく分かりました。

正中山遠壽院(2018年2月17日参拝)

2018年03月15日 | 仏閣
安世院の次は隣の遠壽院へ。

こちらは塔頭の中でも荒行が本格派らしい。


所在地:千葉県市川市中山2-3-2
宗派:日蓮宗
御本尊:鬼子母神、日蓮聖人
創建:天正19年(1592)
開基:経王院日祥上人


【縁起】


正中山遠壽院は根本御祈祷系授的傳加行所と称され、
また荒行堂とも通称されるように正中山修法の相伝を使命とする加行道場をして、
約四百年の伝統と歴史を有する日本仏教界でも特異な寺院である。

法華経寺の開基日常上人には宗祖日蓮聖人より、
末法の行者息災延命所願成就の祈祷として、
撰法華経祈祷肝文をはじめ、全ての祈祷秘法が直接相伝された。

この秘法は唯授一人の秘法とされ、日常上人より二代日高上人へ、
そして三代日祐上人へと、代々相伝されてきたが、十代にごちん上人の時に、
日蓮聖人の理想である一天四海皆帰妙法の意思に従い、
一門のなかから特に行力堅固、弘通の志念力の厚い者を選び、
神文起請のうえ相伝することとなった。

その選に選ばれたのが当院開基となる経王院日祥上人で、
新たに堂宇を建立して荒行堂としたのが遠壽院の前身円立坊である。

それは今から約四百年前の天正19年(1592)1月20日のことで、
荒行堂の始まりである。

初代修法伝師となったのが当院三代の遠壽院日久上人で、
正中山正嫡の大秘法をあまねく相承し、一千日の行法を成満した。

日久上人は行力堅固、修法練達の聞こえ高く、
今日の修法伝書のほとんど全てが日久上人の時に結集大成されたもので、
祈祷修法中興の祖と仰がれている。

当院四代の日行上人は日久上人の徳行を慕い、
その院号を取って寺号を遠壽院と改称した。
これが現在に至る遠壽院という寺号の由来である。


【参道】




参道を見るだけで格式の高さを感じますね。


【山門】


堂々たるごつい冠木門です。


【境内】



【古木梅】




越中富山藩第九代藩主前田利幹公の御手植え。

菅原道真公を祖先とする前田家には、
世継ぎ誕生を祈って梅の木を三本植樹するという古伝があるそうです。




一輪咲いていたので撮影したら、
ピントが梅の花じゃなく枝になってた。(^^;


【鬼子母神堂】




表堂とも呼ばれる鬼子母神堂は、
明治後期に皇后陛下のご実家、正田家が筆頭勧進となり、
寄進され建立されたもの。

鬼子母神は幕が下ろされ見えませんでしたが、
御祈祷を受ければ幕が上がって御尊顔を拝することが出来るようです。

この木芝人は幕末に京都に出開帳された際、
孝明天皇が拝まれたことから天拝尊神と呼ばれているとか。


【本堂】



【水行】


寒い時期に冷たい水を頭からかぶるなんて私には無理。(^^;

普通に凄いよなぁと感心する。


【観音像】



【荒行堂旧水盤】







【瑞門】


行堂へ入る唯一の門で1年の内に開かれるのは、
入行と出行のときの二度だけとか。


【日久上人御廟】



【御首題】


行僧面会所の入口でいただきました。(^^

法華経寺塔頭 安世院(2018年2月17日参拝)

2018年03月14日 | 仏閣
法華経寺と奥之院を参拝し終わったので、
これから塔頭巡りをしたいと思います。




まずは参道にある高見寺に行ってみたが、
細長い庭と墓地、小さな社と普通の家があるだけ。

こちらで御首題をいただけるけど、
ピンポンを押すことも無く早々と退散。

高見寺の隣りにある塔頭へ。




奥に赤い門が見えます。

こちらが四院家の一つである安世院です。



所在地:千葉県市川市中山2-5-1
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅・日蓮聖人
創建:不明



【赤門】



【境内】


こちらは高見寺よりも細長い境内で、
四季折々の花が咲くようです。

しかし、冬の今は仕方ないですね。


【妙法大善神】



【本堂】



【内陣】




堂内には入れませんでしたが、
ガラス越しとはいえ見て拝めて良かった。(^^


御首題は上人がお留守でいただけませんでした。

残念。(^^;

法華経寺 奥之院(2018年2月17日参拝)

2018年03月13日 | 市川七福神めぐり
続いて奥之院へ。

大阪の日蓮宗の奥之院といえば山奥にあって、
結構しんどいのですが、
こちらの奥之院は住宅街にあって苦労は無さそうです。(^^


【泣公孫樹】




絵馬堂の裏手で道路を一つ隔てた場所に見事な銀杏の大木がある。


【石柱】


厳格であった日常上人は法要に遅刻した日頂上人を勘当。
15年後、日常上人危篤の報に接し、面会を求めたが叶えられず、
この銀杏の下で上人の回復を祈願。

しかし上人が遷化すると遺品の小袖を首に巻いて号泣したとされる。

そのことによりこの大木は泣き銀杏の名が付いたそうです。


【五重塔】


ちょっと木が邪魔だけど、
ここから見る五重塔もいい。(^^

さて、奥之院へ歩いて行きますか。

約5分ほどで到着。

目印を頼りに進むと迷う事はありません。


所在地:千葉県市川市若宮2-21-1
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅・日蓮聖人
創建:文応元年(1260)
開基:日蓮聖人
開山:日常聖人
札所:市川七福神めぐり


【縁起】



【境内入口】


山門は無いようです。


【日蓮上人初転法輪之霊跡】



【日常聖人】





【本堂】




たいがい奥之院の本堂は殺風景な社殿ですが、
こちらの本堂はさすが大本山だけあって立派なものです。

早速本堂に上がらせていただく。

内陣も予想以上に立派で素晴らしい。

拝み甲斐がありました。(^^


【庫裏】



【弁財天女尊】







境内には日常上人御廟所である常修堂もありましたが、
墓地の所にありましたので写真撮影はしておりません。


【御首題帳】


日蓮宗大本山に訪れて御首題を一つもいただけないのは、
何だか寂しく感じたので御首題帳を購入。

普通の小さいサイズでした。

これだったら法華経寺の本院で、
新しい御首題帳を買えば良かったとちょっと後悔。(^^;

御首題料は別で千円でした。


【御首題】


待望の御首題をいただきました。(^^

法華経寺、奥之院では御首題、御朱印代は志納方式ですので、
500円を支払いました。

御朱印は300円が相場ですが、
御首題は書く方も大変だと思うので500円を支払うことにしてます。


奥之院では弁財天女尊の御朱印もいただけます。

法華経寺(2018年2月17日参拝)

2018年03月12日 | 東国花の寺百ヶ寺
以前から参拝したかった法華経寺をメインに、
一泊二日で千葉と東京に遠征です。

前回千葉の成田に行った時は、
いろんな個性溢れる寺社があり参拝していて楽しかった。

千葉ってそんなに知られていないけど、
素晴らしい寺社が多いんですよね。

今回参拝する法華経寺は日蓮聖人霊跡にして大本山。
伽藍もとても立派なので参拝するのが楽しみで仕方ない。(^^


【富士山】




今日は綺麗に富士山が見れました。

やっぱり富士山は美しいね。(^^

雪は思ったより少ないけど、
この時期はこんなもんなのかな。

東京駅から市川駅経由で最寄駅の下総中山駅下車。
ちなみに京成中山駅の方が近いです。


さぁ、いざ参る。


所在地:千葉県市川市中山2-10-1
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:文応元年(1260)
開基:常修院日常
札所:東国花の寺百ヶ寺


【縁起】
正中山法華経寺は日蓮聖人の足跡が認められる日蓮宗の霊跡寺院、大本山です。

中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である
富木常忍と太田乗明が館を構えていました。

彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。

時に鎌倉時代の中期、建長年間(1249-1955)頃のことです。

彼らの館には持仏堂が建立され、後にそれが寺院となったのが、
法華経寺の濫觴です。

若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、
当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。

この両寺が合体して法華経寺と名乗るのは、
戦国時代の天文14年(1545)以後のことです。


【黒門】




江戸初期に建立されたもの。


【参道】


奥に見えるのが三門です。

この辺りまで有料駐車場がありました。


【赤門】




大本山に相応しい堂々たる山門で見事です。

仁王像は撮影しにくかったので写しておりません。

扁額は本阿弥光悦筆とのこと。


【日蓮聖人】



【参道】


参道の左右には塔頭が並んでいますが、
塔頭は後ほど参拝させていただきます。


【境内】


広々とした境内に五重塔が見えます。


【絵馬堂】



【五重塔】




元和8年(1622)建立の重要文化財。

関東にも幾つかの五重塔がありますが、
こちらの五重塔は素晴らしいですね。

冬の時期は葉っぱも無く殺風景ですが、
春になると桜が咲き乱れ、五重塔と素晴らしい写真が撮れます。


【祖師堂】




延宝6年(1678)建立の重要文化財。

こちらも堂々たる大堂で、日蓮聖人が祀られています。


【御朱印】


御首題帳が切れて新しい御朱印帳を出したら、
御首題では無く御朱印をいただきました。


【大仏】


享保4年(1719)に造られたもので、
阿弥陀如来となります。


【鐘楼堂】




12時になったら僧侶の方が鐘を撞かれていました。

参拝者は近くに寄る事が出来ません。


【方丈門】





【交通観音車両祈祷所】


交通観音が祀られていました。

この辺りは無料で車が停めれるようですね。


【荒行堂】


100日間にわたって荒行が行われるお堂です。

こちらには入れませんでした。


【本院・鬼子母神堂】


靴を脱いで中に入れます。(^^

こちらで御首題帳やお守りが授与されており、
御首題、御朱印をいただけます。


【ひな壇】


雛祭の時期はこのようなひな壇が飾られています。


【廊下】


本院と鬼子母神堂は廊下で繋がっており、
堂内に入れるようです。


【ひな壇】





鬼子母神堂の入口は豪壮な蔵の扉みたいで、
堂内に入ってみると祈祷所のようでしたね。

残念ながら撮影禁止でした。


【御朱印】


こちらでも御首題では無く御朱印をいただきました。

やはり御首題帳で無ければ御首題はいただけないですね。


【十三重石塔】





【宝殿門】


太客殿、荒行堂、祖師堂を結ぶ回廊で、
とても印象的な門です。

門の下をくぐって進むと聖教殿があります。




振り返るとこんな感じ。




太鼓が置かれていました。


【聖教殿】




何かスゲーのがあります。






モダンというかイスラム風というか、
お寺にしては斬新なデザインですね。

嫌いではないです。(^^


【狛犬】



【瑞門】


世界三大荒行の一つともいわれる厳しい修行に挑む入行僧が、
瑞門をくぐり、荒行を終えると出てこられる門です。


【回廊】



【宇賀神堂】


法華経寺守護の宇賀徳正神が祀られています。




梅の花が咲いていました。

こちらでも御首題をいただけるようでしたが、
今回は閉まっていましたので、いただいておりません。


裏手にある清正公堂や太田稲荷は見逃しました。(泣)


【法華堂】






重要文化財。


【四足門】




重要文化財。


【刹堂】


こちらのお堂は中に入ってお参り出来ました。(^^

大黒天、十羅刹女、鬼子母尊神が祀られていましたが、
撮影不可でお見せ出来ないのが残念。


【御朱印】


こちらでも御首題では無く御朱印をいただきました。

御首題をいただきたい方は必ず御首題帳を持参してください。

このあたりは徹底されています。


【妙見堂】


関東地方ならではの11月の酉の日には妙見堂は開いていますが、
普段はこのように地味なお堂です。

妙見堂の横は墓地だったので先に進みませんでしたが、
奥の方に龍王池と八大龍王神があったようですが、
今回は完全に見逃し。

次回の宿題となりました。

次は奥之院へ。

明恵上人誕生地<明恵紀州遺跡>(2018年2月11日参拝)

2018年03月11日 | 旅行・その他
歓喜寺から歩いて150メートルの場所に、
明恵上人誕生地があります。



周辺はみかん農家が多く、
このようにみかんが鈴なりに実っていました。

地面に落ちてるみかんを見て、
勿体ないなぁと思った貧乏人です。(笑)

でも、さすがに落ちてるのを拾うまで落ちぶれてません。(^^;


所在地:和歌山県有田郡有田川町歓喜寺



【案内板】





【明恵上人誕生地】


高僧の誕生地ということだから、
お寺や社殿があって上人を祀っているのかと思ったら、
意外と何も無くあっさりとした感じ。(^^;

車は隣の護摩炊きする広場に停めれます。


【吉原卒都婆】






このような石造の卒都婆があるだけ。

しかし、幾つもの花が供えられているように、
上人を偲ぶ方々が今もおられるようです。


これにて本日の参拝は全て終了。

寒かったけど充実した一日であった。


【かなや明恵峡温泉】


寒くて冷えた身体を温める為に温泉へ。

入湯料は600円でリーズナブル。
お湯は普通でしたけど、露天風呂は最高でした。(^^

歓喜寺八幡神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月10日 | 神社
歓喜寺の真横に神社があります。

恐らく歓喜寺の鎮守社なんだろうけど、
地味で少し暗い雰囲気が漂う。

とりあえず参拝してみよう。


所在地:和歌山県有田郡有田川町歓喜寺249
御祭神:八幡大神
創建:不明


【割拝殿】



【鳥居】



【拝殿】




夕方ということもあって雰囲気は暗い。

しかし、このような神社はよくあるので、
嫌な気持ちは全くありません。


【御神石】


いわゆる本殿と呼ばれるような社殿は無く、
八幡大神と刻まれた石があるだけでした。

こういうタイプは余り見かけないですね。


【境内社】




もう一つの境内社も同じように石が祀られていました。

こちらは御祭神は分かりませんでしたね。


これにて八幡神社参拝終了。

御朱印はありません。

歓喜寺(2018年2月11日参拝)

2018年03月09日 | 仏閣
先ほど参拝した中言神社で本日の参拝は終了。

その帰りに明恵上人誕生地0.6KMという看板を見た。

明恵上人を知らない人が多いと思いますが、
京都高山寺を開山した凄い高僧です。

その上人の誕生地とあっては行かない訳にはいくまい。

すると明恵上人所縁の寺である歓喜寺を発見。

こちらを先に参拝してから誕生地へ行くことにした。


【バス停】


お寺の前に車を停めれるのですが、
横はバス停です。




何と言う本数の少なさ。(^^;

路線バスの旅だったら徒歩決定だな。(笑)



所在地:和歌山県有田郡有田川町歓喜寺159
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:(伝)寛和2年(986)
開山:(伝)恵心僧都



【縁起】
当山は比叡山横川の恵心僧都が熊野参詣の為紀伊に下向、
この地に九品の浄土を感得し、衆生済度の誓願をたて開基、
浄土念仏の信仰が当地に入った最初の道場である。

かつては九品浄土を模し上品堂、中品堂、下品堂、その他諸堂を擁していたが、
保元の頃、衰微していたのを明恵上人寂後、地頭湯浅宋氏が、
「この地は上人の誕生地である」として、
上人の遺弟義林房善海を迎え中興し歓喜寺と称した。

湯浅家の庇護のもとに寺領も多く隆盛を極めたが、
その後衰退していたのを永禄年間に松誉素川が再興し、
浄土宗となり今日に及ぶ。


【境内】


このお寺には山門は無いようです。


【鎮守社】



【収蔵庫】




重文の阿弥陀如来座像と地蔵菩薩坐像、
他に明恵上人坐像、恵心僧都坐像が安置されているそうです。

事前予約すれば拝観させていただけますが、
知らないお寺だったので勿論拝観はしていません。

情弱だなぁ。


【下品堂】


上品は良いけど下品は無いなぁ。(^^;

何でこんな名前なんだろうか。




御本尊の阿弥陀如来と1100体の阿弥陀佛像が
祀られているそうだが、暗くて見えませんでした。(泣)


【鐘楼堂】



【石段】


登るのを躊躇うキツイ石段。

ここで行かなければ後悔するので行ってみた。

ハァハァいいながら到着。

はぁ、しんど。


【上品堂】


この寂しげな場所にある簡素なお堂が上品堂らしい。

中を見たら何も無く荒れていてガッカリ。

あの石段を登って後悔した。(^^;

どうやら上品堂には重文の阿弥陀如来座像が安置してあったが、
防犯の都合上、収蔵庫に安置されています。


御朱印は無さそうな雰囲気ですが、
歓喜寺は御朱印対応されています。

でも、時間が遅かったので止めておいた。


また有田に来ることがあれば、
いの一番にこのお寺を参拝したいと思う。

中言神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月08日 | 神社
浄国寺の近くに中言神社があります。

この神社には駐車場がありませんので御注意を。

私は浄国寺から徒歩で行きましたが、
神社専の方は近くの黒牛茶屋で買い物か喫茶していただき、
店員さんに中言神社に参拝すると一声かければ、
少しの間だけなら停めさせてくれるでしょう。

くれぐれも無断で停めないようにして下さいね。


所在地:和歌山県海南市黒江933
御祭神:名草彦命、名草姫命、八王子命
創建:弘仁3年(813)


【由緒】


万葉の太古より歌枕として萬葉集に詠まれている黒牛潟は、
当神社の境内周辺の地で、紀伊続風土記にこの地古海の入江にて、
その干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ干潮には現る、
因りて黒牛潟と呼ぶとあり。

この小高い丘の上に嵯峨天皇の弘仁3年(813)に、
紀伊国司が鎮守の神として八王子命を祀る。

後に上代の海草地方の統治者名草彦命、名草姫命2柱の御祭神は、
五箇荘吉原村に鎮座したが、中世南北朝の頃、冬野村に動座し、
文和3年(1354)年国造左京大夫度会貞国が、
その霊爾を奉じて八王子社の側に奉遷し、中言神社と称した。

中言と称するは「中は中臣と同しく言は即事なり名草の国造として
神と君との御中を執持て事を執行う職なれば中言と称する」とされており、
子どもの生育成長を守り、縁結び、陰陽和合の神として、
人々に崇敬されている。

明治に至り神社統合により、
船尾地区の中言神社及び氏子内の諸社を合祀し現在に至る。


【神明靖国鳥居】


車も通れ無い路地を歩き神社に到着。


【境内】


普段は無人のこじんまりとした神社です。


【筆塚】





【歌碑】





【井戸】





【黒牛の水】





【境内社】





【拝殿】





【狛犬】



御朱印は普段は無人なのでいただけません。

祭りなど宮司さんや氏子さんがいる時にはいただけます。

浄国寺<黒江御坊>(2018年2月11日参拝)

2018年03月07日 | 仏閣
和歌山県のお寺に参拝してると、
たまに名前を聞くのが明恵上人。

明恵上人は有田出身で華厳宗中興の祖と言われる高僧です。

その上人が開基したとされる蓮花寺に寄りましたが、
閉まっている本堂と墓地があるだけの小さなお寺。

サクッと参拝し御朱印をいただかず次のお寺へ向かう。

海南市には黒江御坊と呼ばれる浄土真宗のお寺があります。

それが浄国寺です。

浄土真宗には御朱印をいただけるとこもあるけど、
こちらの浄国寺はございませんので、
御朱印目当ての方は訪れないお寺でございます。(笑)


狭い住宅街の道を進むと数台分の無料駐車場があり。

少し離れた境内にも停めれますが、
足が悪い方以外は利用しないでほしいとのこと。



所在地:和歌山県海南市黒江966
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:享禄5年(1532)


【クスノキ】


駐車場から坂道を進むと見事なクスノキがお出迎え。

御坊らしい雰囲気を感じることが出来ます。


【太鼓楼】


浄土真宗によくあるタイプの太鼓楼ですね。


【山門】



【本堂】




本堂の扉は果たして開いているのか?

開いていました。(^^


【内陣】




いかにも真宗らしい内陣です。

どこの浄土真宗のお寺であっても、
内陣の雰囲気が同じなのはある意味凄いですね。


【御本尊】



【太子堂】



【鐘楼堂】



【石像】


これはよく分からん。(苦笑)


他に庭園があるそうですが、
毎年11月の第2土・日曜日に行われる漆器まつりが、
開催している二日間のみ公開とか。

浄国寺の参拝はこれにて終了。

薬師院 禅林寺(2018年2月11日参拝)

2018年03月06日 | 紀伊之国十三仏霊場
和歌山巡礼の旅もあと少し。

次は関西一円に広がる西国薬師四十九霊場の禅林寺。

こちらは聖武天皇勅願寺という由緒あるお寺です。


所在地:和歌山県海南市幡川424
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:天平年間(729-749)
開山:為光上人
札所:西国薬師四十九霊場、紀伊之国十三仏霊場、高野長峰霊場
ぼけよけ二十四地蔵尊霊場


【縁起】
今から千二百五十年以上前の天平時代、唐にあった青龍寺の僧為光上人が、
聖武天皇よりこの地をいただき、天皇の勅願所として建立されたのが始まり。

中世の頃には「はた幡がわ川でら寺」とも呼ばれ、谷あいに七堂伽藍をはじめ、
僧坊十二院・御社三社・承仕坊三院が立ち並ぶ精舎でした。

しかしながら建武以前に金堂をはじめ寺庫までも火災にあい焼失し、
さらに再興された後も天正13年(1585)に豊臣秀吉の南征による兵火の為、
再び悉く焼失し、広大な寺領もすべて没収されました。

その後、当寺は塔頭寺院の一つであった中之坊の秀慶法印により再興。

当寺は俗に幡川のお薬師さんと呼ばれ、広く人々に親しまれています。


【全景】


長閑な場所にお寺はあります。

大きめの無料駐車場に車を停めていざ参拝。


【鐘楼堂】


宝暦4年(1754)に再建されたもの。


【紀伊之国十三仏】



【本堂】


現在の本堂は天保3年(1831)に再建されたもの。

御本尊の薬師如来は三十三年に一度開帳される秘仏で、
為光上人が青龍寺より招来した七仏の内の一体だそうです。


【修行大師】



【ぼけよけ地蔵】



【大師堂】



【石仏】




不動明王。




太腿まであらわになった珍しい仏様ですね。


【新西国八十八ヵ所霊場】


ミニ霊場がありました。


【眼薬井戸】


石仏の前に井戸の蓋がありますが、
今でも水があるかは不明です。




地蔵尊の後ろの仏様はよく分かりませんね。


【鎮守社】



【御朱印】


四体ある内の紀伊之国十三仏霊場の御朱印をいただきました。

元伊勢・伊勢部柿本神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月05日 | 神社
元伊勢といえばご存知の方も多いでしょう。

今まで幾つかの元伊勢の神社に参拝した事がありますが、
和歌山にも元伊勢の神社があります。

和歌山にあるというのは余りイメージはありませんでしたが。

それが伊勢部柿本神社です。


所在地:和歌山県海南市日方1338
御祭神:天照皇大神
配祀神:素戔嗚尊、熊野久須毘命、市杵嶋姫命
創建:不明


【由緒】
当社御鎮座の由来は『倭姫命世記』に人皇第十代崇神天皇の御代、
皇女豊鍬入姫命が天照大神の御霊代たる八咫鏡を奉じ、
大神の御鎮座ましますべき所を求めて諸国を巡行遊ばされた際、
崇神天皇の54年(西紀前44)から4年間吉備の名方の濱の宮に、
鎮座遊ばされたとあり。

しかし高潮や津波の被害の恐れがあったので、いつの頃からか、
近くで安全な日方の東山、即ち現在の社地に御遷座なされ、
社殿は壮麗を極めたと伝えられている。

天正13(1585)年豊臣秀吉の紀州征伐の際消失し、
その後慶長9年(1604)に再興され、爾来当町の産土神、
氏神として氏子の安泰と地方の繁栄の為、御神徳を発揚されている。

当神社は日方浦の海運業が盛んであった徳川時代に、
海路安全と商売繁昌を祈願して奉納された千石船の模型並びに、
廻船絵馬8面及び基部に多数の船名が刻まれた燈篭2対は、
全国的にも希少なもので県文化財に指定されている。


【鳥居】


紀伊本線の高架線路が真ん前にあり、
元伊勢としてはちょっと残念な雰囲気。

車は境内に無料で停めれます。


【狛犬】



【石段】


社務所に御朱印帳を預け参拝開始。


【神楽殿】



【拝殿】






大正8年(1919)再建されたもの。


【若宮八幡宮】



【境内社】


妙見神社・金毘羅神社・秋葉神社・住吉神社




稲荷神社・山王神社


【戎神社】





【御朱印】



うーむ、遷座した現在地からは元伊勢としての品格というか、
独特の神域を感じなかったな。

私が過去に参拝した元伊勢の神社は、
例え小さな境内でもそういう雰囲気を感じたので。

浄妙寺(2018年2月11日参拝)

2018年03月04日 | 仏閣
式内社の須佐神社から浄妙寺という古刹へ。

浄妙寺は余り知られていないお寺ですが、
こちらには息を飲むような素晴らしい多宝塔があります。

この多宝塔を見るのがとても楽しみです。(^^


所在地:和歌山県有田市宮崎町1000
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建年:大同元年(806)
開山:如宝律師
発願:藤原乙牟漏
再興:徳川頼宣公


【縁起】
寺伝によれば大同元年(806)平城天皇の母乙牟漏皇后の勅願により、
鑑真の高弟・唐僧如宝を開基に迎えて創建された律宗寺院と伝えられる。

七堂伽藍の大寺で、室町時代には当地の豪族・宮崎氏の庇護を得たが、
天正年間、兵火にあい本堂と多宝塔を残して建物の多くが焼失した。

紀州初代藩主徳川頼宣が復興させ、臨済宗に改宗したという。

現存する薬師堂(本堂)と多宝塔は重要文化財に指定されている。


【石段】


無料駐車場から石段を登り境内へ。


【多宝塔】




境内に到着すると左手に美しい多宝塔が。

思わず凄いと呟いてしまったほど。

じっくり見たい欲求を抑え、まずは本堂を参拝です。


【薬師堂】




本堂にあたります。






薄暗い堂内で何とか薬師三尊像を拝む事が出来ました。(^^

慶派仏師による重要文化財。


しかし、1994年に悲しい事件があったらしく、
鎌倉時代作の十二神将六体と四天王四体が盗難に遭い、
今もなお発見されていないとのこと。






上の写真は在りし日の四天王四体が盗難される前の諸仏、
下の写真は盗まれた六体の十二神将。

闇の市場に流れて海外に流出したか、
盗難者或いは闇で購入したコレクターにより死蔵されるんだろうな。

特に十二神将は重要文化財だけに、
その損失は余りにも惜しい。

泥棒に対しては本当に腹立たしい。

確実に良い死に方はしないので、
少しでも良心の欠片でも残っていれば返して欲しいわ。


【多宝塔】




五智如来が祀られているとのこと。


【鎮守社】



【地蔵尊】



【高僧】




他の方のブログを見ると弘法大師になっている。

確かに弘法大師に見えなくも無いが、
このテの石仏を見ると有無をいわせず弘法大師と連想するからなぁ。

しかし、このお寺は臨済宗だし、かつては律宗だったから、
開山の如宝律師か鑑真和上なのかも知れない。


【鐘楼堂】



【多宝塔】


最後に見納めの多宝塔。

これは全く見飽きません。

実に素晴らしい。




少し咲いていた梅花とコラボ。(^^

もうちょっと経つと梅が満開に咲くのかな。

春は少しづつ近づいているけど今はとても寒い。(苦笑)


【御朱印】


御住職がお留守でしたので、
書置きをいただきました。


こちらの多宝塔は本当に素晴らしいので、
是非とも訪れていただきたいです。(^^

絶対に損はさせません。

須佐神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月03日 | 神社
國津神社から約2キロ、5分程で式内社の須佐神社に到着。

こちらは宮司さんが常駐されていることが多いようなので、
御朱印は期待出来ます。(笑)


所在地:和歌山県有田市千田1641
御祭神:素戔嗚尊
創建:(伝)和銅6年(713)
社格:式内社(名神大)、県社


【由緒】


古事記、日本書紀において日本列島に樹木の種を播き、
紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に、
訪ねたとされる五十猛神を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として、
和銅6年(713) 10月に大和国吉野郡西川峯より勧請されたのが、
当社の始まりであると伝えられている。

当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、
海上往来の船舶等が事故が多く発生した為、
元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。

従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から、
剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、
江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、
社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。

元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、
建武2年(1336)須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、
天正の兵火で焼失した。

明治維新後、明治4年(1871)に近代社格制度において県社に列し、
明治40年(1907)に近在の22神社を、翌年には星尾一ノ宮神社を合祀した。

戦後は神社本庁に属している。


【二の鳥居】


写真は撮っていませんが、一の鳥居は少し離れた場所にあり、
なかなか大きな鳥居でした。


これは二の鳥居。
横に大き目の無料駐車場がありました。

それにしても、
この石段はしんどそうだな。(^^;


【境内社】




金比羅社・子安社。




南龍社・湊川社。




湊川社の屋根が渋すぎますね。(^^


【石段】


まだまだ登ります。(^^;


【伊太祁曽遥拝社】



【須佐駿馬瑞光】



【三の鳥居】


ようやく到着です。

最近運動不足だから疲れた。


【裏門】


これはお寺の匂いがプンプンする。

たぶん鐘楼堂だったんじゃないかな。

この近くまで車で来れて停めれますが、
ここまで行く道が細い道で、初めてだと超不安になります。

だから私も下の駐車場に停めたのです。(^^;


【風景】


遠くに風力発電機が見えますね。

長閑な所です。(^^


【絵馬堂】



【砲弾】



【境内】



【神馬舎】



【石燈籠】



【境内社】


神谷社・住吉社・厳島社。


【稲荷社】



【白鹿】




鹿ということは春日系の神社かな。


【神楽殿】



【鈴門】




実に豪壮な門です。

こちらもお寺の匂いを感じますね。




めちゃくちゃ太い紐がインパクト大です。


【拝殿・祝詞殿】



【伊弉諾社】



【皇大神宮社】



【御朱印】

國津神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月02日 | 神社




顯國神社から次の参拝地に向かう途中で、
栖原海岸の風景が綺麗だったので車を停めて撮影。

風がビュービューで超絶寒い。

すぐに車の中に戻ったのはいうまでもない。

ここから数分走って國津神社に到着。

ここも正月や祭りの時以外は無人っぽいので、
御朱印は期待しておりません。(笑)


所在地:和歌山県有田郡湯浅町大字田63
御祭神:大己貴命、少名彦命、大穴牟遅命
配祭神:少名彦命、天照大神、伊弉冉命、速玉之男命、奇御気野命、事解男命
創建:不明


【由緒】
伝説によれば素盞鳴命・大己貴命・建御名方命等、澳津島に至り給い、
その後、小浜の大蛇島に移りて大己貴命、宇気の巌窟に鎮座し給う。

元正天皇の御宇神託ありて、吾この地に居ること久し、
吾の為に一宇を創建せよ、とのことで祭祀された。

その後、村上天皇の天暦2年(948)三輪大神の神託ありて、
紀伊の海浜に大己貴命鎮座せり、汝すみやかにその他を尋ねるべし、と。

大和國國栖人三輪の臣の弟阿部橘司が、この神託をうけて海浜を尋ねたところ、
吾この地に住むこと久し一宇を創建して吾を奉祀せよ、と小浜の巌窟に遷祀した。

更に亀山天皇の文永7年(1270)宇賀の森(現在の地)に遷座。

当社は、もと國津呂の宮といい、國主大明神社といったが、
やがて國津神社と称され現在に至っている。


【駒札】



【社頭】


横に2,3台分の無料駐車場がありました。


【狛犬】



【稲荷社】



【狛狐】



【鳥居】



【拝殿】




地元に根差した小さな神社です。


【祝詞殿・本殿】


奥に見えるのが本殿です。


【恵美須社】



【神輿庫】


これにて國津神社参拝終了。

御朱印は予定通りいただいておりません。

正月三が日は授与所に常駐されるので、
御朱印はいただけるようです。