Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

須佐神社(2018年2月11日参拝)

2018年03月03日 | 神社
國津神社から約2キロ、5分程で式内社の須佐神社に到着。

こちらは宮司さんが常駐されていることが多いようなので、
御朱印は期待出来ます。(笑)


所在地:和歌山県有田市千田1641
御祭神:素戔嗚尊
創建:(伝)和銅6年(713)
社格:式内社(名神大)、県社


【由緒】


古事記、日本書紀において日本列島に樹木の種を播き、
紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に、
訪ねたとされる五十猛神を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として、
和銅6年(713) 10月に大和国吉野郡西川峯より勧請されたのが、
当社の始まりであると伝えられている。

当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、
海上往来の船舶等が事故が多く発生した為、
元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。

従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から、
剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、
江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、
社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。

元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、
建武2年(1336)須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、
天正の兵火で焼失した。

明治維新後、明治4年(1871)に近代社格制度において県社に列し、
明治40年(1907)に近在の22神社を、翌年には星尾一ノ宮神社を合祀した。

戦後は神社本庁に属している。


【二の鳥居】


写真は撮っていませんが、一の鳥居は少し離れた場所にあり、
なかなか大きな鳥居でした。


これは二の鳥居。
横に大き目の無料駐車場がありました。

それにしても、
この石段はしんどそうだな。(^^;


【境内社】




金比羅社・子安社。




南龍社・湊川社。




湊川社の屋根が渋すぎますね。(^^


【石段】


まだまだ登ります。(^^;


【伊太祁曽遥拝社】



【須佐駿馬瑞光】



【三の鳥居】


ようやく到着です。

最近運動不足だから疲れた。


【裏門】


これはお寺の匂いがプンプンする。

たぶん鐘楼堂だったんじゃないかな。

この近くまで車で来れて停めれますが、
ここまで行く道が細い道で、初めてだと超不安になります。

だから私も下の駐車場に停めたのです。(^^;


【風景】


遠くに風力発電機が見えますね。

長閑な所です。(^^


【絵馬堂】



【砲弾】



【境内】



【神馬舎】



【石燈籠】



【境内社】


神谷社・住吉社・厳島社。


【稲荷社】



【白鹿】




鹿ということは春日系の神社かな。


【神楽殿】



【鈴門】




実に豪壮な門です。

こちらもお寺の匂いを感じますね。




めちゃくちゃ太い紐がインパクト大です。


【拝殿・祝詞殿】



【伊弉諾社】



【皇大神宮社】



【御朱印】