私が中学生の時、親父と口論したこと。
『仕事をしなくても生活が出来る社会になるといい。』
この発言に親父が顔を真っ赤にして怒り出した。
そして言った『共産党みたいなことを言うな。』
親父は短気で、自分が正しいと思うことは絶対譲らない人だった。
即ち、正しくないことを言う私が気に入らなかったのだ。
親父が幼少の頃は中流階級の坊ちゃんだった。
幼稚園にお供が付いていったり、
大祭りの屋台踊りに、今出るとすれば数百万円かかるが、それに出た人だ。
ところが、じいさんが事業にこけて貧乏の底に落ちた。
工場などは全部取られたらしいが、家だけは残った。
商業学校に行くつもりだったらしいが、高等小学校を出て働き始めた。
友人達も『何故行かないのか』と言うぐらいの秀才ではあったらしい。
その親父は終戦で武漢辺りで捕虜になったものの、意外と早く帰国した。
同じ会社に再就職して、私が生まれた直後に独立した。
大きな借金を抱え、小さな店を持ったのだ。
そして姉と私を育て上げてくれた。
『仕事をしなくても』、この言葉に親父は反応したのだと思う。
私は社会保障のことを言おうとしていた。
私は小学校の時に特殊学級を経験している。
当時は身体に障害のある子も神経系に障害のある子も一緒のクラスだった。
そうしたクラスで2年過ごした私は今になってみれば良かったと思う。
本当の意味で優しく思いやる心が自然と身についた。
働きたくても働けない人が居ることを私は知っていた。
今でこそ障害者に対し理解する人が増えてきている。
しかし、当時障害者は社会の影に隠れて暮らしていた。
そうした人も普通に生活できる社会であって欲しい。
子供の純粋な気持ちだった。
親父は理解できなかったが。
残念なことだが、60年以上経った今でも変化は少ない。
それでも障害者が外に出るようになったことは良い傾向だ。
けれども相変わらず、無理解者は多い。
福祉と言う言葉は聞くようになったけれど、政治家は無頓着だ。
福祉に金さえ回せば良いと思っている。
障害があっても障害者と呼ばれたくない人が沢山居る。
だから、障害者手帳の発行さえ要求しない。
そうしないと、まともな給与を受け取れないからだ。
いろいろな人がいろいろな形で力を発揮できる社会。
言葉だけで無く・・・