デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー、海外旅行記、吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

空よ・・・

2018-10-22 13:32:10 | 人生の棚卸し
 十八で郷里を出て半世紀たちました。郷里を出るときも郷里を出てからも、いつか郷里に帰りそこで暮らしたいと思ったことはただの一度もありません。郷里が憎いからでも厭だからでもなく、そして珠玉の思い出がいっぱいにつまった郷里ではあっても・・・

    

 郷里の海を見るのが好きでした。山を見るのはもっと好きでした。満天の夜空の星は文字どおり銀河!でした。高度経済成長真っ只中の都会にはない空でした。かび臭も塩素臭もない水道水をごくごく飲んでいました。それは今も殆ど変りはないと思います。

    
       朝日に映えて聳え立つ紫深き大山を日毎に仰ぎ励みつつ若き学徒の集う園(母校の校歌より)

 加山雄三「夜空の星」。ラジオから流れる歌を聴きながら「都会の子はほんとうの夜空の星を知らんだろうなぁ」と思っていました。如何にも都会育ちでコンプレックスを煽られる加山雄三より、詰襟を着て律儀に歌う舟木一夫の歌謡曲がよほど好きでした。

 高校時代、ベンチャーズのテケテケがはやり幾つものロックバンドがありました。文化祭ともなると、どのバンドも「ブルドッグ」「パイプライン」などを競って演奏する中、「キエン・セラ」「鈴懸の径」などを演奏するエレキバンドもあり多彩でした。




 郷里は境港市。漁港ですが、時々ラワン材を積んだロシア船が入港しました。ロシア船には女性船員もいて、真冬でも港から遠く離れた砂浜でビキニで日光浴をしていました。白磁器のような肌が眩しく、ハラショー! スパシーボ! の二語で交流しました。

    
        「弓が浜」にふさわしい青松白砂の向うに出雲半島。弓が浜と出雲半島の間の海峡が境港。

 対岸の出雲半島山上に極東をカヴァーするレーダー基地があり、私の高校時代は米軍管理下にありました。ESSで訪ねた基地内のロビーにはスロットマシンが置かれ、コーラを自由に(タダで)飲めました。当時の日本社会には存在しない遊具、飲料でした。

    
       山上にある白い建物が森山レーダー基地。現在は自衛隊と米軍の共同管理下にあると思います。

 郷里の方言を「浜弁」と言います。鳥取県の東部は旧因幡藩、優しく穏やかな言葉です。西部は旧伯耆藩、米子は商人風の角(カド)のない言葉ですが、境港は荒っぽい漁師言葉です。卒業時、その浜弁を「都会に出ても忘れまい」と同期で誓い合いました。

 浜弁の高校生の会話。『〇〇くん ウチのこと好いちょう?』『いや 別に・・・』『かくしたらいけんけんね』『別にかくしちょらんけん』『好いちょうなら好いちょうって言うだがや』『まあ 少しは好いちょう』『ウチは〇〇くんをいっぱい好いちょうけんね』

    
       浜を埋立てた先にヨットハーバーが造られ、様々な大会が催されます。後方の山並は中国山脈。

 郷里で暮らした年月の三倍近くを関西で過ごしていますから、浜弁は忘れていませんし聞く分には問題ありませんが、喋るのには抵抗があります。どちらがネイティブか?と問われれば、どうにも難しく答えられません。二重国籍のような感じでしょうか・・・

    
        弓が浜の真ん中あたりは田畑が広がり、ラッキョウやネギが特産です(絵は亡き叔父の作品)

 郷里を出るときの「帰ろうとは思わない」には青雲の志もあったかもしれません。しかし長く関西で暮し、二重国籍のような或いは浮草のような感覚の所為でしょうか、もうたくさん!といった少しやさぐれた感覚もあります。わかりづらいでしょうが・・・

    

 郷里で父の三回忌をしました。お坊さんは『三回忌を以てほんとうに喪があける』と。父は、喪が明けなくても明けても「ワシに構わず自由にしていいよ」と優しく言ってくれているように思います。しかし健在!の母は容易に自由にはさせない風情です(笑)
 
      ふるさとの野山で初めて芽生えた あどけない二人の 小さな愛 空よ 教えてほしいの・・・




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16 コメント

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故郷は遠くにありて思うもの (遠音)
2018-10-22 16:13:36
デ某さん お疲れ様でした。 三回忌は やはり逝ってしまった人への一つの節目のようなものでしょうか・・
心の始末は なかなか出来ませんが・・
故郷は 何処にしようかな?と考えるほど
父の転勤であちこち歩きましたが・・
でも 言葉はほとんど違いませんから
戸惑いはありません。
いまは故郷なしで良いかな
って考えています。  
ようやくパソの環境が整い、なーんだの生活です。
さて ¥100円の水を買いにチトセピアに
行って来ましょうか! 長く生きていると
水を買う生活にも出会うんですね~~
摩周湖の伏流水が懐かしい?です。
では また。
返信する
Unknown (mikihana)
2018-10-22 16:58:36
お父様の三回忌で帰省されたのですね。
ご自分のことも含めて
いろいろ考え感じることも多かったのでしょうか。
本当の喪が明けてほっとされたことでしょう。
故郷と言われると私もどこかな。
親の転勤や学校の関係で実家の辺りには
母がいても詳しくありません。
宙ぶらりんの私です。
返信する
・郷里・がある! (ふじのりんご)
2018-10-22 17:15:11
デ某さん、お父様の3回忌 お疲れ様でした。
思い出に残る優しいお父様と、健在で頑張ってくれているお母様と、
どちらも同じ重みを感じますね!
法要の都度 色いろ思い出すのが供養になるとか・・

境港市、素敵な町ですネ
郷里をお持ちで羨ましいです、憧れます

大阪生まれ、大阪そだち、そのまんまです 笑
結婚した相手が宮崎出身で、初めて帰省した延岡市は人が温かくて優しい町でした
以来、第1の故郷と思っています
返信する
故郷の想い出 (夢ちゃん)
2018-10-22 21:30:00
父を送り丸9年、母を送り丸6年の歳月が過ぎました。時の流れとは早いものですね。
夢子の心を置き去りにして時間はどんどん過ぎていきます。
夢子の場合、故郷はすぐそこにあるのに・・・なかなか行くことが・近寄ることができない遠~い所です。
両親の思い出も姉との他愛のないやりとりも未だに忘れることができずに一人涙することもあります。
どうしようもないことですよね、無理に忘れる・忘れなければならないことでもないと思うから。
前を向いて自分自身に与えられた命をまっとうすることが一番大切なことだとは、、、姉の分も生きると決めたから、いろんなことも辛抱してきたし、今もできているんだと思います。
上手く言葉にすることができずもどかしいのですが・・・

お母さまの介護いろいろと大変だとは思いますが大切にしてあげてください。
夢子のように後悔しないために。
返信する
Re : 遠音さん「故郷は遠くにありて・・」 (デ某)
2018-10-22 22:24:44

遠音さん
旅先の長崎からコメント、ありがとうございます

> 三回忌は やはり逝ってしまった人への一つの節目のようなものでしょうか・・
> 心の始末は なかなか出来ませんが・・

逝ってしまった人それぞれに対して それぞれに節目を感じるように思います。
それでも お坊さんに「ほんとうの喪が明けた」と言われて
思わず 仏壇の父の遺影を見つめました。
「心の始末」は お坊さんの引導にて亡き父がつけたくれたように思いました。

> 故郷は 何処にしようかな?と考えるほど 父の転勤であちこち歩きましたが・・
> 言葉はほとんど違いませんから 戸惑いはありません。

私には 故郷はいつも重く窮屈で 転勤族のご一家を羨むところさえありました。
法務局、海上保安庁、税務署などの子の転校を見送るたびに「いいなぁ」と。
私は 「故郷」というより 家族や親類縁者あるいは地域の人々の存在そのものを
いつも重苦しく窮屈に感じていたのかもしれません。

> いまは故郷なしで良いかなって考えています。
故郷らしきものがない方は故郷のある人を羨み
逆に 関西弁で言う「コテコテの故郷」がある者にはいつも故郷が重くのしかかる・・・。
「故郷なしで良いかなっ」っていうのが 一番!良さそうです(笑)

> ようやくパソの環境が整い、なーんだの生活です。
よくぞお一人でパソを上手に操っていらっしゃいます
私は 本来!機械オンチで不器用ですから、今だにスマホを持たずガラケー&タブ、
遠音さんに心から敬意を表します。

> さて ¥100円の水を買いにチトセピアに行って来ましょうか!
札幌の「千歳」ではなく長崎の千歳なのですね
水・・・「奥大山の名水」などといった類のペットボトルは、 
関西ではすでに2ℓを70~80円で販売しています。
 
> 長く生きていると水を買う生活にも出会うんですね~~
> 摩周湖の伏流水が懐かしい?です。
郷里の水道水は 大山からの伏流水を大深度配水管で各戸に送っています
ですから摩周湖の伏流水に負けないぐらいの名水が普段に飲めます。
その点は 郷里が一番!と自慢したくなります(笑)

> では また。
遠音さんのひとり旅の幸いを心からお祈りしています
くれぐれもお風邪など召されませんようにね。
返信する
Re : mikihanaさん (デ某)
2018-10-22 22:47:37

mikihanaさん
コメントありがとうございました

> お父様の三回忌で帰省されたのですね。

27日が命日ですが、一週間ほど早く・・・。
まる2年、アッという間でした。

> ご自分のことも含めて いろいろ考え感じることも多かったのでしょうか。
> 本当の喪が明けてほっとされたことでしょう。

父は 生きているときは勿論 認知症になり自分をなくす過程にあっても そして亡くなっても
なにもかもを教訓として遺しました。
ただ 認知症になり亡くなるまでの10年余、
一度でいいですから 昔の父に戻ってほしいと願っていました。

> 故郷と言われると私もどこかな。
> 親の転勤や学校の関係で 実家の辺りには 母がいても 詳しくありません。
> 宙ぶらりんの私です。

mikihanaさんも転勤族のご一家でいらっしゃいますね。
私にとっては 「憧れ」であり 「羨望」のご一家です(笑)
故郷は リセットしたくても出来ないところが 一番!辛いところではあります。
「宙ぶらりん」・・・ぴったり!の良い表現、無重力空間の響きがあります。
そういう故郷、郷里であれば!と思います、
ないものねだりのゼイタクかもしれませんが・・・

mikihanaさんの次にコメント下さったふじのりんごさんは大阪の方ですが、
おつれあいは宮崎のご出身、mikihanaさんがこの前まで住まれた第二の故郷の由。
こういうこともブログの面白い一面でしょうか・・・。
でも mikihanaさんには 今お住まいの富士山を仰ぐ絶景の地が やはり一番!かと存じます。
返信する
住んでるところが一番かな? (pukariko)
2018-10-22 22:49:01
こんばんは。
東京のT市で暮らし始めて20日が経ちました。
まるでこの町にずっと住んでるような顔して
オートロックを通り抜け、出会う人と挨拶を交わし、
スーパーのレジのおばちゃんとおしゃべりし、、、
で、あんなに恋しかった横浜よりも大阪に帰りたい
と思っている自分に驚いています。
何なんでしょうね。
私も根無し草の居心地の悪さというか、
中途半端さをずっと感じつつの人生ですが、
逆にどこでも生きられそうな、
イヤになったらよそへ行けばいいだけのこと
身軽でいいやん、と開き直りつつあります。
デ某さんのお母さまほど我が母には頼られてもいませんし(・_・、)
返信する
Re : ふじのりんごさん「・郷里・がある」 (デ某)
2018-10-22 23:19:05

ふじのりんごさん
コメントありがとうございました

> お父様の3回忌 お疲れ様でした。

一周忌は従姉妹、従兄弟全員に集まって貰い「いとこ会」の雰囲気でした。
今回は 平日でもあり 敢えて家族のみ、母と姉と妻と私の四人、
父にも より寛いでいただいたような気がしています。

> 思い出に残る優しいお父様と、健在で頑張ってくれているお母様と、
> どちらも同じ重みを感じますね!

父は 健在であった時も 認知症になっても いつも穏やかな人でした。
気難しいところも手がかかるところもなく
亡くなるまでいつも周りを癒してくれる存在でした。
ただ母はきついところ、我儘なところがあります。
母はいつも家が恋しく 外泊のためにほぼ毎月!に近い帰省を余儀なくされています。
心身共にかなりの負担ではありますが、そうした思いは棚に上げ鍵をかけています(笑)

> 法要の都度 色いろ思い出すのが供養になるとか・・

法要も然りですし、
帰省するたびに仏壇にお線香を上げますので、供養はいっぱい!しています(笑)

> 境港市、素敵な町ですネ
> 郷里をお持ちで羨ましいです、憧れます

お褒めくださり くすぐったいですけど嬉しいです。
郷里はいつも重荷のように感じつつも、
それでも郷里を褒められるのはまた格別の嬉しさがございます。

> 大阪生まれ、大阪そだち、そのまんまです 笑
コテ!コテ!の浪速女でいらっしゃいますね
学生時代の友人は不思議に地方出身が多いのですが、
コテ!コテ!の大阪人もおりまして、ほんまにコテコテです。
ただし吉本風?でも河内風?でもなく 言わば船場風と言いますか、穏やかなコテコテです。

> 結婚した相手が宮崎出身で、初めて帰省した延岡市は人が温かくて優しい町でした
> 以来、第1の故郷と思っています
宮崎出身の私の先輩、後輩はたくさんかつ多彩です
みんな一様に気候、風土の良さを感じさせます。
おつれあいも そうした雰囲気のある方でいらっしゃることと思います
第二!ではなく、第一!の故郷と仰るところに、
おつれあいのお人柄が浮かんでまいります
返信する
Re : 夢子さん「故郷の思い出」 (デ某)
2018-10-23 00:00:51

夢子さん
コメントありがとうございました

> 父を送り丸9年、母を送り丸6年の歳月が過ぎました。
> 時の流れとは早いものですね。

時の流れも時の速さも 生きている身には ままなりません。
私の父は95歳で天寿を全うしましたが、
父とおなじほどに敬愛した義父は70代半ばで旅立ちました。
もう20年余が過ぎ、私、義父の年齢に近づきつつあります。
遺された者の歳に 過ぎ去った年月の様々な思いが ぎゅっと重なりますね。

> 夢子の心を置き去りにして時間はどんどん過ぎていきます。
置き去りにされたように夢子さんが感じていらっしゃるとしても
けして置き去りにはされていらっしゃいません。
寧ろご両親の年齢に近づく日々・・・
今月 誕生日を迎えられた夢子さんに
『また一歳、近づいてきたね』と歓んでいらっしゃると思います。
ずっとず~っと先 ご両親の歳をこえてご両親にお目にかかってくださいね。

> 夢子の場合、故郷はすぐそこにあるのに・・・
> なかなか行くことが・近寄ることができない遠~い所です。

お墓参りに限らず、琵琶湖の様々な自然に触れられては如何でしょう。
私 かつて琵琶湖一周ウォーキングにチャレンジした際、
何処を歩いても琵琶湖は「いいところやなあ」とつくづく思いました。
いま 琵琶湖畔に愚息一家が住むようになり
ますますその感をつよくしています。

> 両親の思い出も姉との他愛のないやりとりも
> 未だに忘れることができずに一人涙することもあります。

お姉さまが早くに旅立たれた悲しみが
夢子さんの心にずっと長くとどまっていらっしゃるのでしょう。
忘れないことも 涙されることも かけがえなく大切なことだと 私は思います。

> どうしようもないことですよね、
> 無理に忘れる・忘れなければならないことでもないと思うから。

はい。そう思います。
どうしようもない、というより、そのようにされることが寧ろ今は大切なことと思います。
忘れるエネルギーも忘れないエネルギーも たぶん同じ質量のような気がいたします。

> 前を向いて自分自身に与えられた命をまっとうすることが一番大切なことだとは、、、
私は 夢子さんは 意外と!前向きでプラス志向だと思っています、意外!と・・・(笑)
もしかしたら凡人さんもそう思っていらっしゃるかもしれません
お命、これから長~く十分!すぎるほどまっとうなさってくださいね

> 姉の分も生きると決めたから、いろんなことも辛抱してきたし、
> 今もできているんだと思います。
> 上手く言葉にすることができずもどかしいのですが・・・

そして・・・お姉さまの分も幸せになってくださいまし
まだまだもっともっと幸せになる余地、容量がありますよ、きっと!
言葉にするのは もっとずっと先で良いと思います。

> お母さまの介護いろいろと大変だとは思いますが大切にしてあげてください。
> 夢子のように後悔しないために。

私の場合 母のことはもう大変!過ぎて
母に対しては きっと後悔することはないと思います(笑)
血液検査の数値など私より立派な母ですから、
もしかして私より長く生き、
「先に逝く不幸をお赦し下さい」なんてことを私が言わなければならないかもしれません

夢子さん、コメントとても嬉しかったです。
そして 誕生日おめでとうございます
また来年の誕生日に向けて 素晴らしい一年を過ごされますようお祈りいたします
返信する
Re : pukarikoさん「住んでるところが・・・」 (デ某)
2018-10-23 00:24:40

pukarikoさん
久しぶりの切れ味おもろい?コメント、嬉しく読ませていただきました

> 東京のT市で暮らし始めて20日が経ちました。
pukarikoさんらしさ!って何なのか?よく存じませんが
なんとなくpukarikoさんらしくないなぁ・・・なんて思っていました。
意外と?フツ~の母親(おばあちゃん)っぽいなぁなんて・・・。

> まるでこの町にずっと住んでるような顔して オートロックを通り抜け、

はい!はい! シティマダム?っぽいイメージが浮かんでまいりました

> 出会う人と挨拶を交わし、スーパーのレジのおばちゃんとおしゃべりし、、、
はい!はぁい! そこは大阪のおばちゃんぽく!ですね

> で、あんなに恋しかった横浜よりも大阪に帰りたい
> と思っている自分に驚いています。
ほ、ほんと~ですか
私も そんなpukarikoさんに驚いています。

> 何なんでしょうね。
なんなんでしょうね、ほんまに・・・

> 私も根無し草の居心地の悪さというか、
> 中途半端さをずっと感じつつの人生ですが、
いぇいぇ、しっかりストレートに生きてはりま~す
セイタカアワダチ草の雰囲気を感じま~す。

> 逆にどこでも生きられそうな、
> イヤになったらよそへ行けばいいだけのこと
> 身軽でいいやん、と開き直りつつあります。
そうですそうです、そのちょ~しで~す!

> デ某さんのお母さまほど我が母には頼られてもいませんし
と言うことは pukarikoさんのほうが わが家よりまだマシ!ってことでしょうか?
まあ いずれにしても とうに腹は括り 肚もすわりましたから、動じません。

ではでは 大阪にお帰りになられ
お母さまとの日々の再会(再開?)を楽しみにさせていただきます。
いましばらくの東京人(シティマダム)暮らしを堪能なさってくださいまし 
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