方々のブログで「紫陽花が咲いた」と。で、わが庭を探索すると(探索するほど広くないが・・・)確かに咲き始めていた。つい先日まで咲き誇っていたバラはみな枯れてしまっていた。まことに美人と花の命は果かない(最近は元気で長生きの美人も多いが・・・)
私は団塊の世代の真っ只中、戦争を知らない世代である。それでも数!が多いゆえ受験戦争は熾烈だった。苦学というほどではなかったが、いつも腹をすかし花より団子、花にも花の名にもとんと関心がなかった。が、関心がない私でも紫陽花には結構!心躍る。
私は腎がんの手術を京都の某医大附病で受けた。高校時代の友人がそこの出身で「准教授を紹介」してくれたことによる。かつてその友人がわが下宿にきて「おい!いっしょにストリップを見に行こう!」と下宿のすぐ近く、住宅街にある「〇宮劇場」に誘った。
「女体になれておかんとイザ!って時に恥をかく」からだと・・・。そこのダンサーとは近くのラーメン屋で顔見知りだった。割引券も貰った。が、ハッキリ言ってその気になれなかった。「俺が払うから」と言われても、劇場(激情?)には彼一人で行って貰った。
フォークルの北山修は、少し年長だが当時そこの医大生。フォークルの活動中は休学し解散に伴い復学した。だから私の友人と医大生時代が重なる筈だ。その北山修は自伝的な著「コブのない駱駝」で、『ストリップに行った』と。一緒に見ていたかもしれない。
学生時代、下宿の自室にTVはなかった。だからよくラジオ・・・当時は「近畿放送」という地元の民放をよく聴いていた。まだ四十代だった桂米朝のトークと歌、百貨店のサテスタからの生放送、深夜には鈴木美智子アナの「聊斎志異」という色っぽい朗読も・・・。
その頃ラジオでよく聴いた歌はタイガース「花の首飾り」、五つの赤い風船「遠い世界に」、フォーク・クルセダース「帰ってきたヨッパライ」、あのねのね「赤とんぼの唄」、赤い鳥「竹田の子守唄」・・・いずれも「消えてなくなる」ことなく今も活躍している。
タイガースは全員が京都出身だが、沢田研二の生まれは私と同じ鳥取(自慢にはならんが・・・)。名曲「廃墟の鳩」は作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、赤い鳥「翼を下さい」と同じコンビによる。この時代の名曲に共通するのは、深い「思想性」があることかな。
それにしてもフォークル「帰ってきたヨッパライ」、あのねのね「赤とんぼの唄」はどう考えても一発屋の歌。半世紀たってもなお生き残っているのが不思議だ。不思議だが、北村修も加藤和彦もやはり天才。清水國明も原田伸郎もそこらへんの個性ではない。
北山修は精神科医であり九州大学大学院教授でもあった。その所為か著書の精神分析的な言葉が印象に残る。『人は昔から、生きることは空しいこととして暮らしているのではないか』『自分をみつめるもう一人の自分、自分を応援するもう一人の自分がいる』。
北山がしばしば使う「サバイバーズ・ギルト」は、言わば「生き残った者の罪悪感」。病気でも言えるかも知れない。生き残っている者は亡くなった人に負い目を感じる。がんで言えば、再発も転移もしていない者は再発転移と闘う人に負い目のようなものを・・・。
敗戦の翌年に生まれた北山は「戦争を知らない」世代。敗戦の翌年あたりに青年だった世代は「焼跡闇市派」。焼跡闇市派は『誰も信用するな。自分だけを信じろ。いや自分すら信じるな』という世代だと、北山は言う。その価値観も団塊世代で終りそうだが・・・。
胸にしみる空の輝き/今日も遠く眺め/涙を流す・・・白い雲は流れ流れて/今日も夢はもつれ/わびしく揺れる・・・深い森の緑にだかれ/今日も風のうたに/しみじみ嘆く・・・悲しくて悲しくて/とてもやり切れない/この燃えたぎる苦しさは/明日もつづくのか・・・。
【過去ログ目次一覧】
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
私は団塊の世代の真っ只中、戦争を知らない世代である。それでも数!が多いゆえ受験戦争は熾烈だった。苦学というほどではなかったが、いつも腹をすかし花より団子、花にも花の名にもとんと関心がなかった。が、関心がない私でも紫陽花には結構!心躍る。
私は腎がんの手術を京都の某医大附病で受けた。高校時代の友人がそこの出身で「准教授を紹介」してくれたことによる。かつてその友人がわが下宿にきて「おい!いっしょにストリップを見に行こう!」と下宿のすぐ近く、住宅街にある「〇宮劇場」に誘った。
「女体になれておかんとイザ!って時に恥をかく」からだと・・・。そこのダンサーとは近くのラーメン屋で顔見知りだった。割引券も貰った。が、ハッキリ言ってその気になれなかった。「俺が払うから」と言われても、劇場(激情?)には彼一人で行って貰った。
フォークルの北山修は、少し年長だが当時そこの医大生。フォークルの活動中は休学し解散に伴い復学した。だから私の友人と医大生時代が重なる筈だ。その北山修は自伝的な著「コブのない駱駝」で、『ストリップに行った』と。一緒に見ていたかもしれない。
学生時代、下宿の自室にTVはなかった。だからよくラジオ・・・当時は「近畿放送」という地元の民放をよく聴いていた。まだ四十代だった桂米朝のトークと歌、百貨店のサテスタからの生放送、深夜には鈴木美智子アナの「聊斎志異」という色っぽい朗読も・・・。
その頃ラジオでよく聴いた歌はタイガース「花の首飾り」、五つの赤い風船「遠い世界に」、フォーク・クルセダース「帰ってきたヨッパライ」、あのねのね「赤とんぼの唄」、赤い鳥「竹田の子守唄」・・・いずれも「消えてなくなる」ことなく今も活躍している。
タイガースは全員が京都出身だが、沢田研二の生まれは私と同じ鳥取(自慢にはならんが・・・)。名曲「廃墟の鳩」は作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、赤い鳥「翼を下さい」と同じコンビによる。この時代の名曲に共通するのは、深い「思想性」があることかな。
それにしてもフォークル「帰ってきたヨッパライ」、あのねのね「赤とんぼの唄」はどう考えても一発屋の歌。半世紀たってもなお生き残っているのが不思議だ。不思議だが、北村修も加藤和彦もやはり天才。清水國明も原田伸郎もそこらへんの個性ではない。
北山修は精神科医であり九州大学大学院教授でもあった。その所為か著書の精神分析的な言葉が印象に残る。『人は昔から、生きることは空しいこととして暮らしているのではないか』『自分をみつめるもう一人の自分、自分を応援するもう一人の自分がいる』。
北山がしばしば使う「サバイバーズ・ギルト」は、言わば「生き残った者の罪悪感」。病気でも言えるかも知れない。生き残っている者は亡くなった人に負い目を感じる。がんで言えば、再発も転移もしていない者は再発転移と闘う人に負い目のようなものを・・・。
敗戦の翌年に生まれた北山は「戦争を知らない」世代。敗戦の翌年あたりに青年だった世代は「焼跡闇市派」。焼跡闇市派は『誰も信用するな。自分だけを信じろ。いや自分すら信じるな』という世代だと、北山は言う。その価値観も団塊世代で終りそうだが・・・。
胸にしみる空の輝き/今日も遠く眺め/涙を流す・・・白い雲は流れ流れて/今日も夢はもつれ/わびしく揺れる・・・深い森の緑にだかれ/今日も風のうたに/しみじみ嘆く・・・悲しくて悲しくて/とてもやり切れない/この燃えたぎる苦しさは/明日もつづくのか・・・。
【過去ログ目次一覧】
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
我が青春の残像に 泣けてくるでないか
ところで『とよ』にドキリとしませんか
しなければ 気にせずスルーされたし
おはよーございます。
私は、42歳なので、まだまだオチビですが。
母は、デ某さんと同じくらいかな???
沢田研二の変わりようにショックを受けていましたよ。。。
私は、がん発覚から転移も同時に見つかってます。
>がんで言えば、再発も転移もしていない者は再発転移と闘う人に負い目のようなものを・・・。
私は、皆さんが検査の度に、転移がありませんように。。。って願います。
こんな苦しい想いはしてほしくないと。
負い目のようなものを感じてるなんて、考えたことなかったな。
いつも、いつも、励ましてくださり寄り添ってくださり、ありがとーございますp(^-^)q
薔薇から紫陽花へと変わる様子がみれるお庭いいですね。
我が家の庭は、物置と車と仕事で使う足場とハシゴとかで埋め尽くされ、全く季節を感じる庭でないので、デ某さんのお庭想像したら羨ましい〜
ストリップと聞けば、沢田研二さんの「ストリッパー」を思い出します。
母がめっちゃカラオケで歌ってました。(^q^)
当時、幼稚園か小学校低学年の私には歌詞の意味はわからないけれど、この曲カッコいいなぁーと思って聴いてました。笑
ストリップ劇場、上野公園行く途中にあり、小さい子供が脇をキャッキャ騒ぎながら通ってた様子をみて、親ヒヤヒヤだろうなーと思って観察してました。
私の横には娘達がいたので、私が「ストリップだわ。上野って エロが普通に街中にあるんだね。」と言い、娘達は、一言「キモっ!」と吐き捨て公園に入って行きました〜。
デ某さんの記事読みながら、好奇心旺盛な父は見に行った事あるだろうなーとふと思いました(^q^)
デ某さんが紹介してくれ曲、聞いてみます。どんな曲なのか楽しみです♪
コメントありがとうございました
> ツーカーで 胸に染み入る内容です
> 我が青春の残像に 泣けてくるでないか
ふきさんとは いつも「われらが時代」と言うべき同時代性を思います
あの!時代の空気、或る種の匂い、希薄か濃厚かは別として存在感・・・。
哀しみと まして歓びとは 言い切れず
わが身の痛みとか 何ものかへの悼みとかとも 言いたくとも言いきれず・・・。
> ところで『とよ』にドキリとしませんか
> しなければ 気にせずスルーされたし
残念ながら(悔しいことに)ドキリとしませんでした
難波あたりのことか そんなホールなり飲み屋のことか はたまた・・・
想像を駆け巡らせるも 同時代性と雖も
世界は想像を超えて お互いに各々広そうです
機会がありましたら また世界を股に?かけた旅を
或いは ふきさんのシュールな?青春を ご紹介くださいね
おはようございます。コメントいつもありがとうございます
> 私は、42歳なので、まだまだオチビですが。
> 母は、デ某さんと同じくらいかな???
愚息夫婦が ほぼsachiさん世代ですから・・・
必然的に?私はsachiさんのお母さまとほぼ同世代ということに・・・
> 沢田研二の変わりようにショックを受けていましたよ。。。
お母さまも ジュリーファンの一人でいらっしゃいましたか・・・
数年前の彼の「還暦ツァーコンサート」、大阪ドームで聴きました。
頬はたるみ お腹は膨らんでも やっぱりジュリー!でした。
その意味で 私も やっぱりワタシ?と思いました。
> 私は、がん発覚から転移も同時に見つかってます。
sachiさんのブログ記、他の方のブログへのコメントなどずっと読ませていただき
はじめからあった厳しい状況にsachiさんが戸惑われつつ
やがてsachiさんの心がみるみる・・・強靭になって行かれるご様子に
私自身 いつも励まされる思いがいたしております。
> > がんで言えば、再発も転移もしていない者は再発転移と闘う人に負い目のようなものを・・・。
これは本当にいつもついてまわる思いで
私自身がそう!なるまで 変りようがないと思うほどです。
> 私は、皆さんが検査の度に、転移がありませんように。。。って願います。
> こんな苦しい想いはしてほしくないと。
総てのがんキャリア、サバイバーが そう思い そう願っていらっしゃと承知しつつ
それでもなお こころの何処かに・・・ですね。
> 負い目のようなものを感じてるなんて、考えたことなかったな。
なんか・・・自身つまらんことを思ってるんだなぁ・・・と思いつつ
なかなか拭いきれないような気も・・・いたします
> いつも、いつも、励ましてくださり寄り添ってくださり、ありがとーございます
できることが余りに限られていることを痛感しています
今朝の関西は 春先のような幾許か肌寒い しかし凛とした空気が感じられ
わが心にもまた そんな空気が流れてまいりました。
sachiさんに 今日が 快い 良い一日でありますよう 心よりお祈り申し上げます
norikoさん
おはようございます。コメントありがとうございます
今日はこれから学生時代の親しい仲間との集まりがあり出かけるところ・・・ですが
時間無視してコメレスしちゃいます(笑)
> 薔薇から紫陽花へと変わる様子がみれるお庭いいですね。
なんかすごく広い庭に思われてしまいますよねぇ
正味!狭い庭なんです、正味!
> 我が家の庭は、物置と車と仕事で使う足場とハシゴとかで埋め尽くされ、
> 全く季節を感じる庭でないので、デ某さんのお庭想像したら羨ましい〜
拙宅の庭・・・前記のとおり その想像は修整なさってくださいましまし。。。
小さくても 私は 季節の花より「季節の野菜」を植えたいのですが、
妻は 「野菜は他から手に入ります。お花はここの庭でなければ値打ちがありません」と。
なんか理屈になってない と思いつつ 言い返せないデ某です
> ストリップと聞けば、沢田研二さんの「ストリッパー」を思い出します。
> 母がめっちゃカラオケで歌ってました。(^q^)
お母さまとカラオケに行かれるんですか? 若いって素晴らしいですねぇ
前回ご紹介した「代書屋物語」で祖母役をされた倍賞美津子さん、
若い頃は飲み屋で囃されるとカウンターに上り 全スト!で歌を歌われた由。
まさか家族と!とはいえ カラオケで全スト!で歌われたりは・・・します?
> 当時、幼稚園か小学校低学年の私には
> 歌詞の意味はわからないけれど、この曲カッコいいなぁーと思って聴いてました。
やっぱりねぇ・・・DNAと言いますか、飛んでるヒトやと思ってました、norikoさんて!
> ストリップ劇場、上野公園行く途中にあり、
> 親ヒヤヒヤだろうなーと思って観察してました。
か、か、観察!と?
> 私の横には娘達がいたので、
> 私が「ストリップだわ。上野って エロが普通に街中にあるんだね。」と言い・・・
きょ、キョーイクもシュールになさってはったんですねぇ
> 娘達は、一言「キモっ!」と吐き捨て公園に入って行きました〜。
娘さん、影響されず?しっかりしてはって良かったですね
> デ某さんの記事読みながら、
> 好奇心旺盛な父は見に行った事あるだろうなーとふと思いました(^q^)
私も好奇心旺盛ですが
〇宮劇場のおねぇさん方は 金髪に超!厚化粧のままラーメン屋に来られ
「にいちゃんもおいでや。サービスするでぇ」と割引券 配りはります。
とても・・・その気になれまセーヌ河でした。
> デ某さんが紹介してくれ曲、聞いてみます。どんな曲なのか楽しみです♪
ありがとうございます
でも キャパはそうありませんので、いずれネタギレしそうです
norikoさんの婦人科の検査結果、
紳士科からも 良いものであるよう 心より祈っています
幼かった私にとって衝撃!の歌でした
確か祖母にレコードを買ってもらい、
何度も聞いていた記憶があります。
たぶん…私…今でもしっかり唄えると思います(笑)
ひと昔のストリップと言えば
「ポールダンス」を想像します…
あ、私は行った事ありませんよ
でも今は、全身の筋肉を使ってダイエットできるスポーツと注目されていますね。
ポールダンス教室もあるのだとか。
ちょっと興味ありますが、ポールが折れてしまいそうなので、ヤメておく事にしました
< 再発も転移もしていない者は、再発転移して戦う人に負い目のようなものを…
これが、自分を悩ます原因なのかなぁ…と。
時には誤解を招いたり、傷つけたり、
また傷つけられたり…
お会いした事のない文字だけの繋がりだからこそ生まれる出来事もありますね
デ某さんちのお庭の紫陽花が満開になったら、
また、紹介してくださいね
わが家の紫陽花は干上がってしまいそう。
花や野菜の水やりも一苦労‥みたいです、父が
陽射しは暑いものの風はまだ爽やかさの残る初夏。
爽やかなブルーの花の写真がよく似合います。
「廃墟の鳩」はその頃好きでよく歌っていました。
懐かしいメロディーが蘇ってきました。
歌詞を深く考えることなく口ずさんでいましたが、その頃のフォークにはメッセージ性がありましたね。
最近の曲は取っつきにくい曲が多く、カラオケが流行ってからは五線譜も出回らなくなりぜんぜん歌えなくなりました。
下手なギターをつま弾いていた頃が懐かしい。
サバイバーズ・ギルト。
再発もなく10年が過ぎた私は、再発を繰り返していた友の消息を訪ねることさえできないほど、この言葉が刺さります。
会いに行っても「この辛さは分からないでしょう」と暗にいわれているような対応に、会いに行く勇気がそがれてしまい疎遠になって仕舞いました。
確かに、転移も再発もなく、検診も年に1度となると、普段はかつてがんだったという感覚はなく暮らしています。
毎日なくなった右胸を見ていてもです。
サバイバーズ・ギルトというんですね。
この気持ち。
代書屋物語は多部未華子ちゃんに惹かれて見ていました。
鳩ぽっぽとはーたんのお手紙交換がほほえましく、いろいろな紙やインク筆記用具が揃っているのにも惹かれました。
代筆屋だなんて、字の汚い私にはとても出来そうにないと憧れて見ていましたが、デ某さんはやってみたいとおっしゃる。
凄いです。
小川糸さんは、毎日新聞の日曜版にコラムを書いていらっしゃって、母親との確執など興味深く読んでいます。
本を読んで見たくなりました。
と言うか、よく思い出すと言うか…(≧∇≦*)
私なんか昔のことや同級生とかを考えたり、思い出したり、会いたくなったりしないから何だか不思議です(〃'▽'〃)
読んでいて、誰かが修学旅行で京都に行ったら、旅館であのねのねがアルバイトしていたって昔の話をしてくれたのを思い出しました!
それだけなんですけど…(^◇^;)
タイガースって関西だったんですかあ!
知らなかった(゜◇゜)