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デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー、海外旅行記、吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

腎がんのメモリー 30(5年間のまとめ)

2016-09-30 14:29:31 | 腎ガンのメモリー
 
   QPの描く遠景の人物...いつも心癒されます(上左) そしてなんとまあ優しく可愛い子(右)

 このブログを訪ねてくださる、たぶん腎がんの方がしばしば「腎がんのメモリー」の過去ログを開かれ、嬉しく思います。同時に、長くて恐縮に存じ、この5年間のメモリーを抄録しました。QPのPC画、シマジロウのスナップと併せてご覧ください。

 Ⅰ.がん告知~病院選び

 ① ある日 突然!
 不整脈で掛っていた医師が或る日「健康診断のつもりで胸腹部の単純CTを撮りませんか」と。「がんにはならない」と思っていましたが、熱心に奨められその気になって大きな病院で検査を受けました。告げられたのは「腎臓に腫瘍があります」 「更に精密検査を要します」。CT(造影)とMRIを撮り告げられた診断は「3cmの腫瘍」「細胞診で確定しますが、たぶんガンです」。結構!冷静に聞きました。

 ② 選択肢は手術のみ
 そう告げられたのが2011年6月17日、妻が函館の実家に帰省中でした。電話で告げると、周章狼狽し「すぐ帰る」。妻が平静でなくなる分、私は寧ろ平静になり、PCで「腎臓がん」を検索しました。「3cmの腎がん」は 「第1期前半」、ホッとしました。がんの三大療法 「手術」「化学(抗がん剤)」「放射線」のうち、化学と放射線療法は腎がんに効果がなく、「手術しかない」ことも初めて知りました。

 ③ 親友の泌尿器科医の紹介で某医大へ
 検査を受けたのは市内で1、2の大病院ですが、「腎臓がんの手術はウチではできません」 と言われました。そこで隣市で泌尿器科医院を開業している高校時代の親友に電話すると、「すぐ来い!」。行くと、「母校の後輩で、腎がんに精通した准教授を紹介しようか?」に、即 「頼む」 。その場で准教授に電話して貰い、受話器から「M先輩のご依頼なら喜んでお受けします」 との声が聞こえました。

 ④ 主治医「最善を尽くします」
 同月21日、紹介された大学病院の泌尿器科に妻と参りました。診察室に入ると准教授は笑顔で「M先生(私の親友)から伺っています。最善を尽くします」。それだけで不安がとけ信頼が生まれました。腫瘍は小さいが動脈に近いことなど絵を描きながら丁寧な説明がありました。「腹腔鏡下で部分切除手術。状況によって開腹、全摘に切替える」との結論。心から信頼し、「すべて先生にお任せします」。

 Ⅱ.入院~手術

 ① 入院・手術日 
 入院・手術は「概ね1か月後」と決まり、その間、自己血の貯血(400cc)、麻酔医の説明、入院の準備・留意事項の説明を受けました。入院まで平常通りに仕事をし、各方面への挨拶、引継等をしました。翌7月20日、携帯にメールが入り、手術は1週間後の27日、入院はその前日となりました。その電話で初めて「がんの手術を受ける」実感がわきました。「処刑直前の人ってこんな感じかなぁ」なんて。

 ② 入院の日の儀式
 「北へ帰る人の群れはみんな無口で(津軽海峡冬景色)」。病院に入院する者もみんな無口だと思います。ナース・ステーションに行くと担当看護師さんが現われ、個室に案内され説明を受けました。妻が帰った後、看護師さんからヘソ掃除など羞かしい儀式の洗礼を受け、早くも午後5時には最期の晩餐?を頂きました。頂いたものが漸く消化される午後9時、看護師さんが現われ「浣腸しま~す」。

 ③ 手術室にて
 翌朝も、若い看護師さんが明るい声で「今から浣腸しま~す」。 午前9時、看護師さんと手術室まで一緒に歩きました。手術室を出る看護師さんにハグしたい心境でしたが、手を振ってお別れしました。「私は独り連絡船に乗り凍えそうなカモメみつめ泣いていました(津軽海峡冬景色)」。私も独り手術台に乗り無影灯みつめ観念して目をつぶりました。麻酔をかがされると僅か数秒で意識が遠のきました。
 
 ④ 予定通りの手術
 突然の喧騒に、「何事?」と思ったのが麻酔からの目覚めでした。目をあけるとそこは病室で、「終わったんやなぁ」と思いました。妻が「予定通りの手術でした。時間は6時間、貯血は使っていません」と。手術直後、主治医から妻に「細胞診まではわかりませんが、見た目に悪性度の高いガンだと思います」と告げられ、切除した現物!も見せられたそうです。勿論、私がそれを知ったのはかなり後です。

 
  (上左)愚息の独身寮時代のシマ (中)QP描くまるで天上の風景 (右)藤田嗣治画伯風?シマ

 Ⅲ.絶対安静~退院まで

 ① 計算外の苦痛
 硬膜外麻酔はしませんでしたが、術後、耐えがたい痛みは殆どありませんでした。「私は痛みに弱いから」と心配される方がいらっしゃるでしょうが、麻酔と鎮痛処方は年々良くなっていると思います。しかし術後3日間の絶対安静は想像を超える苦痛でした。その三日つづくふくらはぎのマッサージも、気持ちよいどころではありません。手術した箇所の痛みよりず~っと苦痛だったのは計算外でした。

 ② 人間の回復力
 3日後、ベッドから立とうとしましたが、立てません。絶対安静の三日が「立つ」感覚を忘れさせていました。一方、人間の回復力もすごいです。数時間後には廊下を普通に歩き、翌日は階段を上り下りし売店まで歩きました。生活のリズムも日常に近づき、午前6時の検温で目覚め、洗面・食前の歯磨き・髭剃り・・・。5日目に普通食になり、匂いさえ厭だった病院食は苦にならず待ち遠しくなります。 

 ③ 8月10日「家に帰れるんやなぁ」
 術後1週間で入浴許可が出ました。 早い! でも傷口(孔)に絆創膏が貼ってありおっかなくてシャワーのみ。10日目、「明日、退院OKです」。しかしどうにも不安で「せめてあと数日」とお願いし、了承いただきました。そういう経緯で入院から2週間後の8月10日、かんかん照りの空を眩しく見上げながら退院しました。晴々!の心境というよりも、「家に帰れるんやなあ」と感慨深いものがありました。

 ④ 入院の期間 看護師さんの仕事
 4日~1週間で退院させる病院があります。私の感覚では「一週間では無理!」。そもそも抜糸(抜鉤)が6日目、内視鏡等を入れる「孔」5か所は退院した2週間後もガーゼに血や膿が滲んでいました。それにしても看護師さんの仕事はハードです。汚くて危険で力仕事、夜間・休日の変則勤務、医療技術や機器の進歩にも対応を求められます。まさに天使、献身的な仕事ぶりに感謝、感動でした。
 
 Ⅳ.「細胞診」結果とリタイア

 ① 術後1か月 「細胞診」結果
 退院から1週間、8月17日に「お試し出勤」し、皆さんから温かい声をかけて頂きました。日常に戻った8月30日には細胞診の結果を聞きに病院へ。 pT1a:第1期前半。大きさ:25×25mm。G2≫G3:悪性度高く一部最悪。INFa:予後良い膨張・非浸潤型。v0、ly0:血管・リンパ管浸潤無。eg:膨張的発育、非ガン部と明確な境界。fc1、rc-inf1:周囲に明確な結合繊性被膜。margin(?):ガン細胞の取残し?

 ② それって なに?
 気になったのが 「G2≫G3」。組織報告書には「一部にG3相当の核種大や核形不整を示す異形細胞を認める」との記述。初期に見つかり一部摘出できたが、悪性度が高く再発転移の可能性が高い!って?。 『margin(?)』については『切除断端ごく近傍まで腫瘍を認めるが、断端面に割(電気メス)を入れ固定されたため検体が変形し組織学的評価は出来ない』。がん細胞を取り残し? それって なに?
 
 ③ 3月毎にCT 骨シンチ
 結果、本来なら半年か1年毎の術後検査が「3月毎に検査します。胸腹部CT、骨シンチ(骨転移を調べる)も受けて下さい」。「終わった」との安堵感が崩れた瞬間でした。ただ、ここを紹介してくれた親友のM医師によれば、がん細胞の取残しの懸念については、『電気メスで広い目に焼き切るから取り残しはない」に少~し納得しました。それにしても3月毎にCTやら骨シンチ、おちおち仕事できません。

 ④ 心躍る日々と 術後検査
 再発転移すれば務まる職務ではなく、仕事については強い気持ちで辞職を申し出ました。仕事の節目もあり、3か月ほどたった12月26日付で辞職しました。私の前任者は副腎ガンで辞職、そして私は腎がんで辞職でした。リタイアすると、生活は一変。淋しさはあるものの、「時間にも人にも束縛されない」日々に心躍りました。一方、長い長~い「術後検査」と向き合う日々の始まりでもありました。

 
  (上右)QP描くシマ。首飾り?が Good! (中)QPの描くお地蔵さん...亡きmintさんに寄せて

 Ⅴ.術後検診の始まり 

 ① 3月毎検診~6月毎検診~1年毎検診
 骨シンチは術後3月と6月の2回行い、主治医「以後2年に1回でいいでしょう」。術後2年に「再発転移を認めず」になった時点で、CT検査が「以後6月毎でいいでしょう」に。術後検診の「厭~な感じ」が3月毎と6月毎とでは雲泥の差、かなり嬉しかったです。そして9月13日の術後5年2月検査をクリアーした時点で、「以後、血液検査と診察は半年毎、CT検査は1年毎でいいでしょう」。
 
 ② 「完治」と「寛解」
 本来なら「完治」と言いたいところですが、メカニズムが未解明で分子レベルのがん細胞ゆえ、いつ再び現れ増殖を始めるかわかりません。ですから「完治」と言わず、「寛解(概ね治った)」と表現されます。そして殆どのがんが5年間「再発転移なし」を以て寛解とされますが、腎がんは関西風に言えば「ひつこいヤツ」で術後10年まで顔を出すため「寛解10年」、医師(病院)によっては20年!もあります。
 
 ③ 採尿採血検査
 採尿採血は術後検診の都度あります。手術前のようなエイズや梅毒、B・C型肝炎等を含む数十項目に及ぶ検査ではなく、健康診断よりやや詳しい程度です。腎がんでは腎機能をみる「クレアチニン」「e-GFR」が重要で、私は一部切除でしたが、全摘(いわゆる「片腎」)の方には特に重要です。なお私は「30%超でがん細胞が死滅する」数値として「Lymph%(免疫力指数)」にも注目していました。

 ④ 食生活・サプリメント・運動
 食生活について私は大幅に変えました。鶏肉を除き肉類は殆ど食べなくなりました。魚は以前より寧ろたくさん食べています。野菜・果物はもともと好きでしたが、たぶん倍増です。各種のサプリメント、スギナ茶など水分摂取も含めたお茶の類、よく言われるキノコ類など様々な療法も結構かと思いますが、敢えて具体的なお奨めは控えます。運動は、始めは少し苦痛でしたが、今は欠かせない愉しみです。

 Ⅵ.「終わりの始まり」から

 ① 患者と医師(医療関係者)
 医師と病院は決定的に重要ですから、信頼感を持てなければセカンド(サード)オピニオンを求めていただきたく思います。医療関係者につい!不満、怒りを持つのは兎も角、術後長く執拗な批判、非難をつづけられる方は本当にお気の毒に思います。一方、医療関係者にも余りに無神経だったり杜撰だったりする方が少なからずいらっしゃいます。再研修(教育)を含めてご検討いただきたく思います。

 ② 最大の治療法
 私が腎がんを手術した5年前と今では抗がん剤、手術機器など医療は大きく変わりました。がんの検査技術・システムも進化し、とりわけ腎がんでは早期発見が急増しています。腎がんカテゴリーのブロガーも急増しています(笑)。総てにおいて5年前の更に5年前とはもっと大きく変わり、術後5年の生存率一つとっても様変わりしています。なんとしても長生きすることが最大の治療法たる所以です。

 ③ 人生の選択
 もしがんにならなかった私がいるとすれば、それはどんな私でしょう。がんになって失ったものはたくさんありますから、がんにならなかった私が取り戻せるならどんなに嬉しいでしょう。但し、がんになったからこそ得られたものは・・・失われます。新たな人生観と人間観、日々の出来事に対する微妙な皮膚感覚、そして腎がんの仲間.・・・それは失いたくありません。しかしそんな選択などできないのが人生です。
 
 ④ 「新しい始まりの始まり」に
 腎がんを告げられた時、結構!淡々と受け容れました。そしてわが人生について「終わりの始まり」と。それまで様々な検査でビクついていたのに、結果が出ると案外そんなものかもしれません。5年たった今はどうでしょうか。術後検診のたびにいつもどきどきする私ですが、「終わりの始まり」ではなく、「始まりの終わり」にかわりました。そして今、「新しい始まりの始まり」に出発したいと存じます。



  【補遺】… 2023.2.27 記
      「逃げる二月」… 明日で二月も終わり。わが家の蝋梅も 色褪せてしまった。
       三月、四月… 梅や桜の季節を迎えると「あと何回 見られるかなぁ」とつい!思ってしまう歳になった。 
       腎がんは10年で "卒がん" としたけど まだ術後検診はつづき(年二回) 今月 12年検診をクリアーした。
       一生!検診がつづく腎がんだけど これだって「あと何回受けられるかなぁ」と思うのだ。


 【「腎がんのメモリー」目次】
    http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
  

8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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おお、gleeだ! (Simco)
2016-09-30 17:52:14
告知のときからの話を読ませていただきました。
たいへんわかりやすかったです。
健康診断のつもりでと言われて、がんが発覚、それを冷静に受け止められたというの、すごいですね。
そして日々の順調な回復、やっぱり歩けるようになるとぐんと早くなりますね。

病理検査結果の“一部悪い”を乗り越えて、無事に5年経過。
嬉しいですね!
10年先も20年後も喜びのメモリーを拝見できると思っています。


そして・・・シマジロウくん可愛いわぁ~~、たまらないです。
ちょっとわめいてしまいました(^◇^ ;)

glee、大好きです。
Beatlesのときの、良かったな~
返信する
Re:simcoさん「おぉ Simcoさんだ!」 (デ某)
2016-09-30 21:13:49
Simcoさん
早速のコメントありがとうございました
此頃 「腎がんのメモリー」を訪ねて下さる方が多く 抄録にしてUPしました。

> 告知のときからの話を読ませていただきました。
> 健康診断のつもりで...がんが発覚、
> それを冷静に受け止められたというの、すごいですね。
「冷静」と記しましたけど、どこか他人事のような不思議な感覚で...
健康診断、ドックなどで見つかる方が、私の周りでも増えています。

> そして日々の順調な回復、
> やっぱり歩けるようになるとぐんと早くなりますね。
人間の身体の脆さとともに 備えもった強靭さを実感しました
人間の独立歩行にまで思いが至っては...至りすぎですかねぇ

> 病理検査結果の“一部悪い”を乗り越えて、無事に5年経過。
> 10年先も20年後も喜びのメモリーを拝見できると思っています。
嬉しいお言葉ありがとうございます
がん友のみなさんそれぞれ難しい状況に勇敢に臨んでいらっしゃいます。
厳しい方にほど容易にお声をかけがたいのですが、
いつも心こめて声援をおくっています

> そして・・・シマジロウくん可愛いわぁ~~、たまらないです。
> ちょっとわめいてしまいました(^◇^ ;)
ありがとうございます、シマになりかわり 歓で喚いています(笑)
此頃のシマはすっかり人間になって 大抵のお話、意思疎通ができます。
この子にいつも救われいます

> glee、大好きです。
> Beatlesのときの、良かったな~
いずこにもファンがいらっしゃるものですねぇ
この「Let It Be」の邦訳も素晴らしいと思いました

Simcoさんのますますのご活躍を心よりお祈りします
返信する
デ某さんらしい (SORA)
2016-09-30 21:45:52
5年のまとめでした。

発覚~5年経過までの合間に覗くデ某さんの気持ちを感慨深く拝見しました。デ某さんの腎がん発覚からの5年は、デ某さんが腎がん発覚当初からのお付き合いとなった私にとってもある意味 共に歩んだ5年間でした。

ブログを通じて沢山の仲間に出逢い共に励まし、時には笑い、時には涙し、同じ空の下・・・色んな事が本当に色んな事がありました。
こうして、術後5年を歩んでこられた方の足跡を共に分かち合えて本当に嬉しいです。

同じ腎がんを患った仲間でも一人一人状況は違いますが、私やデ某さんの背中を追いかけてきてくれる仲間の為にもこれからも元気に6年7年8年9年10年・・・と報告出来ることを信じています。

冷静で正確で詳しくわかりやすいデ某さんの軌跡は、きっと仲間の励みとなることと思います。

デ某さんの「新しい始まりの始まり」強い思いを感じます!

これからもどうぞ宜しくお願い致します
返信する
Re:SORAさん「Let It Be!」 (デ某)
2016-10-01 00:26:33
SORAさん
あたたかなコメントこころにしみました、ありがとうございました

> 発覚~5年経過までの合間に覗くデ某さんの気持ちを感慨深く拝見しました。
初めてSORAさんブログに出会って5年...何もかもSORAさん目標の5年でした

> デ某さんの腎がん発覚からの5年は...発覚当初からのお付合いとなった私にも
> ある意味 共に歩んだ5年間でした。

SORAさんを「運命の人」として背中を追い駆けてきた私にとって
そう仰っていただけるだけでありがたく光栄に思います

> ブログを通じて沢山の仲間に出逢い共に励まし、
> 時には笑い、時には涙し、同じ空の下...本当に色んな事がありました。
mintさん、kumaさん、そしてSORAさんにはもっともっと多くの仲間が...
時に静かに 時に駆け抜けるように 虹をわたって行きました。

> こうして術後5年を歩んでこられた方の足跡を共に分かち合えて本当に嬉しいです
ともに生きてこそ分かちあえる歓び ほんとうに仕合わせに思います
これからもSORAさんはじめたくさんのがん友と共有したいと願っています

> 同じ腎がんを患った仲間でも一人一人状況は違いますが、
> 私やデ某さんの背中を追いかけてきてくれる仲間の為にも
> これからも元気に6年7年8年9年10年...と報告出来ることを信じています。
厳しい闘いの途上にある友に どう声をかけるべきか いつも悩むとき
SORAさんの素の優しさにふれ 深く学んでいます。
私は 追われるほどの背中ではありませんが
それでも追われる背中であるなら いつも背中を晒し歩みたいと念じています。

> デ某さんの「新しい始まりの始まり」強い思いを感じます!
> これからもどうぞ宜しくお願い致します
ありがとうございます
こちらこそどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ともにいつまで 斯くあるがままに・・・

Judy Collins 「 Let It Be 」
https://www.youtube.com/watch?v=1z86kNemfGg
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ごもっとも! (himiko)
2016-10-01 13:32:55
>私が腎がんを手術した5年前と今では抗がん剤、手術機器など医療は大きく変わりました。総てにおいて5年前の更に5年前とはもっと大きく変わり、術後5年の生存率一つとっても様変わりしています。

2011年7月に手術をされたデ某さんの5年前のくくりだと2006年7月~2011年6月
そうなると、私はそのもうひとつ前のくくり2001年7月~2006年6月に入るのですね。

前の前だもの。
分子標的薬なんてなかったもの。
腹腔鏡下術なんて選択肢なかたもの。
部分切除なんて知らなかったもの。
ダヴィンチって何よ?
免疫チェックポイント阻害薬って何よ?

という事で、
>なんとしても長生きすることが最大の治療法たる所以です。

Dr 
「ああ・・・これがんですね。
じゃ、これ飲んで
2週間くらいで消えますからね」

そんな時代に早くなってほしいものです。

しかしながら・・・こうしてデ某さんの振り返りを一緒に読ませて頂いてみると、デ某さんも、SORAちゃんも、私も
頑張ってきたよね。
たまには自分をほめてあげようかな

そして、いってしまった仲間たちの事も、ずっと忘れないで、ともに進んでいきたいです。

返信する
Unknown (mikihana)
2016-10-01 18:39:43
この5年間の経過がとてもよくわかりました。
腎がんを患われて暫くは
私ごときがと思いコメントを入れることができず
拝見するだけでした。
自分が病気になったときには
心持ちから医療の受け方から
ぜひ参考にさせていただきたいと思います。
  >一方、医療関係者にも余りに無神経だったり杜撰だったりする方・・・
メチャクチャわかります~~。
私、とあることでトラウマになり
日々数値を測っているのですが
大変なことになっています。
毎年3月の健康診断も今から恐怖です。
そのことを茶化してブログにも書けません。トホホです。
返信する
Re:himikoさん「時の人」 (デ某)
2016-10-01 23:03:08
himikoさん
北の旅から戻られ お疲れ(ご満足!?)のところ コメント下さり有難うございます

> 2011年7月に手術されたデ某さんの5年前の くくり だと 2006年7月~2011年6月
> 私はそのもうひとつ前の くくり2001年7月~2006年6月に入るのですね。
SORAさんは私の「運命のひと」
そしてhimikoさんは私の「時のひと」でした
ほんとうに長い時間 過酷な試練と闘っていらっしゃいました。
ブログを読ませていただき 時に涙しながら 励まされてまいりました

> 前の前だもの...
> 分子標的薬...腹腔鏡下手術...部分切除... ダヴィンチ...免疫CP阻害薬...
その時代 ナイ!ナイ!ずくし...ながら、大きく変わった点が一つ!
原則「皆告知」になるほど がんは「治る」病気に入ってきました。

> という事で「なんとしても長生きすることが最大の治療法たる所以」です。
はい! 簡単には 言えん!ですし 容易に 癒えん!ですけど 所以!です

> Dr「ああ...これ がんですね。じゃ、これ飲んで...。2週間くらいで消えます」
> そんな時代に早くなってほしいものです。
人間五十年...それが今90!時代を迎えたのは、医療はじめ科学の力
遅かれ早かれそういう!時代がくると思います。
地球がちょっと狭くなりますけどね

> こうしてデ某さんの振り返りを一緒に読ませて頂いてみると、
> デ某さんも、SORAちゃんも、私も 頑張ってきたよね。
> たまには自分をほめてあげようかな
私の4倍を超える大きながんを宿されたSORAさん
私の3倍も長く しかもWがんと闘ってこられたhimikoさん
お二人は これまでもこれからも ず~っと 偉人であり 希望の星です。
どうぞ心おきなくご自分でご自分を褒め称えてください。
私たちも心からをおくります。

> いってしまった仲間たちの事も、ずっと忘れないで ともに進んでいきたいです。
そうです。そう思います。仰るとおりです。
天上にあっても 地上にあっても ともに!
返信する
Re:mikihanaさん「トラウマ」 (デ某)
2016-10-01 23:22:35
mikihanaさん
コメントありがとうございました
きょうは孫娘の小学校運動会デビューに行き お返事が遅れ申し訳ありません。

> この5年間の経過がとてもよくわかりました。
> 腎がんを患われて暫くは...コメントを入れることができず 拝見するだけでした。
ここではmikihanaさんは本当に長~い!おつきあいのお一人になりますね
いつも親しくおつきあいくださり 心より嬉しく お礼申し上げます

> 自分が病気になったときには 心持ちから医療の受け方から ぜひ参考に...
参考にされることがない健やかな日々でありますよう 願っております

> 無神経だったり杜撰だったりの医療関係者...メチャクチャわかります~~
わかってほしくない...わからないほうがいい! のですが、わかりますよね

> とあることでトラウマになり 日々数値を測って...大変なことになっています。
> 健康診断も...恐怖です。そのことを茶化してブログにも書けません。トホホです
なんとなく想像できるような... 否! 想像を超えるような?
トラウマからするりとのがれられますように

日本一の富士山を仰ぎつつ 爽やかな秋の日をお過ごしください
返信する

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