たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命伊勢に行く その 6  内宮のレイライン

2021-10-18 06:34:52 | レイライン
この,砥鹿神社奥社~斎宮~飯野高宮神山神社のレイライン上の何処かに、

伊勢津彦の関係のある場所,おそらく、信仰の場所もしくは住んでいたところが存在するのでしょう。



サタヒコ、倭姫も最初はこの付近に滞在したと思います。

「天日別命」については、資料が見つかりません。なのでわかりませんけど、

サタヒコ達は、わりとすんなりと伊勢に上陸できたのではないかな?


さて、この砥鹿神社奥社~斎宮~飯野高宮神山神社のレイラインですが、

どういう順番で測量したのかと言う疑問があります。

今までの流れですと、レイラインの測量集団はサタヒコと共に行動をしています。

ブレーンなのでしょう。

そうすると、サタヒコ、倭姫と一緒に伊勢にやって来て、伊勢津彦にとって斎宮のどこかにあった

重要な場所から飯野高宮神山神社の場所を決めたと考えるのが適当と思います。

これで、飯野高宮神山神社と、斎宮の場所のデーターが手に入るので、後に砥鹿神社奥宮から

飯野高宮神山神社~斎宮のラインに繋げればできると思います。


しかし、この測量集団が伊勢津彦と共に伊勢から砥鹿神社奥宮に移動したならば、

その時にすでにレイラインが出来ていたことになります。


伊勢津彦が伊勢に居たときのレイラインが見つかれば後の説になりますけど、

今の所見つけていません。おそらくは最初の説の可能性が高いです。



さて、何度も見ているレイラインですけどもう一度



拡大します


非常に正確に、向かって左の社殿のおそらくは、八咫鏡が祀ってある位置にピタリ!

最初、このラインを見つけた時は、本当にこんなことがあっていいものなのか?と思いましたね。

でも、それからどんどんレイライン探しにはまっていきました。。。

それはさておき、倭姫命世記によれば、「飯野の高宮で四年間天照大神を奉斎された」とのこと。

当時は1年に2回年をとるので、今でいう2年間は、神山神社で八咫鏡を祀ったのでしょう。


その2年間で、内宮と、外宮(正確には御食殿)を建て八咫鏡を移動させます。

ここで、疑問が一つ。八咫鏡(やたのかがみ)は、内宮で祀られますけど、

天叢雲剣と八尺瓊勾玉はどうなっているのでしょうか?

外宮には何があるのか?

いかがでしょう?









コメント
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