その16の続きです。
伊勢津彦が伊勢を追われたのが、281年頃と推測します。
そしてすぐに、サタヒコの姉のヒバスヒメは垂仁天皇の妻になります。
倭姫の年齢から考えてみてもそう思います。
とすると、垂仁天皇は美濃に来ていることになります。攻め込まれたということですね。
そのころ、サタヒコと伊勢津彦たちは、この大宮諏訪神社付近に居たのではないかと思うのです。
ここから先は、おいらの妄想になります・・・
まず、美濃が攻め込まれたという連絡が誰かによってもたらされたということは、考えにくい。
でも、彼ら彦坐王ファミリーは、山頂で狼煙を上げることである程度の連絡をしていた可能性があります。
美濃の狼煙がいつもと違うということで、異変が分かったのでしょう。
その時点で、標高の高い場所に移動して基地を作った。その場所が、この「大宮諏訪神社」ではないだろうか?
そして急いで美濃に向かった。
でも、砥鹿神社経由で行くとかなり遠回りになります。
どうするか?近道を考えますよね。
それが、以前書いた恵那山越えになるのでしょう。
神坂神社は、その時に出来たかもしれないと書いていますけど、違いますね。
そんな余裕はないはずです。おそらく、サタヒコが伊勢から帰ってから出来たと思います。
そうすると、レイラインが熱田神宮を通るということも納得です。
サタヒコ達は木曽川を下り、美濃を目指しますけど、その前に犬山に着きます。
そう、東之宮古墳のある所ですね。すでに、そこの人達とは顔見知りなので、そこで情報を
得たのだと思います。
しかし、そこにたどり着く前には、大和朝廷の武装集団がいるかもしれないと考えるでしょうね。
どうするか?
少し手前で木曽川から上陸して、偵察に行くと考えるのが普通ですね。
その場所が、桃太郎神社付近でしょう。
桃太郎神社より上流に、「栗栖神社」と言う所があります。
その少し西に、瀬ノ上遺跡と言う所があります。この遺跡は少し時代が新しいのですけど
この付近が、栗栖神社の元の場所のようです。
このあたりです
この付近に上陸したのではないでしょうか。
そして、この場所は、後に伊勢に行くときの船を作った所がこのあたりだと思うのです。
そこから東之宮古墳の方を見ると
ちょうど右岸によって隠れます
栗栖神社の祭神は、宇麻志麻知命(うましまじのみこと)
調べると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「物部連(もののべのむらじ)、穂積臣(ほづみのおみ)の祖」とあります。
さらに
「宇麻志麻知命は邇芸速日命が登美毘古の妹・登美夜毘売を娶めとって生まれた神様。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇麻志麻知命については、調べている最中です。サタヒコとはかなり関係が深い人物と思います。
その後どうなったのでしょうか?美濃には行けないでしょう。
春日井の高蔵神社に向かったかもしれません。そして、そこに残っていた人たちと合流して
再び、大宮諏訪神社に戻り諏訪を目指したのではないでしょうか。
伊勢津彦が伊勢を追われたのが、281年頃と推測します。
そしてすぐに、サタヒコの姉のヒバスヒメは垂仁天皇の妻になります。
倭姫の年齢から考えてみてもそう思います。
とすると、垂仁天皇は美濃に来ていることになります。攻め込まれたということですね。
そのころ、サタヒコと伊勢津彦たちは、この大宮諏訪神社付近に居たのではないかと思うのです。
ここから先は、おいらの妄想になります・・・
まず、美濃が攻め込まれたという連絡が誰かによってもたらされたということは、考えにくい。
でも、彼ら彦坐王ファミリーは、山頂で狼煙を上げることである程度の連絡をしていた可能性があります。
美濃の狼煙がいつもと違うということで、異変が分かったのでしょう。
その時点で、標高の高い場所に移動して基地を作った。その場所が、この「大宮諏訪神社」ではないだろうか?
そして急いで美濃に向かった。
でも、砥鹿神社経由で行くとかなり遠回りになります。
どうするか?近道を考えますよね。
それが、以前書いた恵那山越えになるのでしょう。
神坂神社は、その時に出来たかもしれないと書いていますけど、違いますね。
そんな余裕はないはずです。おそらく、サタヒコが伊勢から帰ってから出来たと思います。
そうすると、レイラインが熱田神宮を通るということも納得です。
サタヒコ達は木曽川を下り、美濃を目指しますけど、その前に犬山に着きます。
そう、東之宮古墳のある所ですね。すでに、そこの人達とは顔見知りなので、そこで情報を
得たのだと思います。
しかし、そこにたどり着く前には、大和朝廷の武装集団がいるかもしれないと考えるでしょうね。
どうするか?
少し手前で木曽川から上陸して、偵察に行くと考えるのが普通ですね。
その場所が、桃太郎神社付近でしょう。
桃太郎神社より上流に、「栗栖神社」と言う所があります。
その少し西に、瀬ノ上遺跡と言う所があります。この遺跡は少し時代が新しいのですけど
この付近が、栗栖神社の元の場所のようです。
このあたりです
この付近に上陸したのではないでしょうか。
そして、この場所は、後に伊勢に行くときの船を作った所がこのあたりだと思うのです。
そこから東之宮古墳の方を見ると
ちょうど右岸によって隠れます
栗栖神社の祭神は、宇麻志麻知命(うましまじのみこと)
調べると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「物部連(もののべのむらじ)、穂積臣(ほづみのおみ)の祖」とあります。
さらに
「宇麻志麻知命は邇芸速日命が登美毘古の妹・登美夜毘売を娶めとって生まれた神様。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇麻志麻知命については、調べている最中です。サタヒコとはかなり関係が深い人物と思います。
その後どうなったのでしょうか?美濃には行けないでしょう。
春日井の高蔵神社に向かったかもしれません。そして、そこに残っていた人たちと合流して
再び、大宮諏訪神社に戻り諏訪を目指したのではないでしょうか。