三重県鈴鹿市秋永町
この位置は、赤郷2号墳です。赤郷1号墳は、30~40mほど南の場所のようです。
赤郷遺跡については、以前に書いています。
ありがたいことに、「赤郷遺跡発掘調査報告書」が、ネット上にあります。
そこに書かれている内容を少し書いてみます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
赤郷1号墳からは、三角縁神獣鏡が出土。
赤郷2号墳は、前方後円墳とされてきたが,前方後方墳である可能性が考えられる とのこと。
弥生時代後期ないしは古墳時代前期の溝と近世以降のものと考えられる溝・柱穴が検出された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レイラインを発見しました。
なんと、御神神社からです。酒井神社は、赤郷2号墳より東に850mほどの所にあります。
このレイラインが正しければ、最初の御神神社の場所がかなり絞り込めるのではないかと思うのです。
御神神社から見た、冬至の日の出が、赤郷2号墳を通るようにセットすると
こうなります。
そして、そこからの夏至の日の入りを見ると
衆良神社付近です。
これって、どう考えたらいいのだろう?
赤郷2号墳は、前方後円墳 もしくは、前方後方墳ということ。
三角縁神獣鏡が出土したことから考えると、前方後方墳と思います。
としても、丹波から来た技術者たちは、おいらが今まで見てきた限りでは、円墳なのです。
誰の古墳なのか?
レイラインが確かなものならば、限られてきます。
時代も、弥生時代後期ないしは古墳時代前期と言うことは、サタヒコの時代とほぼ同じになります。
場所は、美濃、尾張から伊勢に行く途中の中継場所です。
そして、前方後方墳ということは、可能性として、犬山の東之宮古墳の埋葬者の兄弟、もしくは子が考えられます。
仮にそうだとすると、この赤郷2号墳の埋葬者は尾張、伊勢、そして琵琶湖とかなり広い場所で
活躍していた人と想像できます。
船を操ることに関係する人物かもしれない。
とすると、犬山から伊勢まで鏡を運ぶためのルートの、文字通り「水先案内人」かもしれない。
レイライン上に古墳があるということは、かなり重要な人物なのでしょう。
この位置は、赤郷2号墳です。赤郷1号墳は、30~40mほど南の場所のようです。
赤郷遺跡については、以前に書いています。
ありがたいことに、「赤郷遺跡発掘調査報告書」が、ネット上にあります。
そこに書かれている内容を少し書いてみます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
赤郷1号墳からは、三角縁神獣鏡が出土。
赤郷2号墳は、前方後円墳とされてきたが,前方後方墳である可能性が考えられる とのこと。
弥生時代後期ないしは古墳時代前期の溝と近世以降のものと考えられる溝・柱穴が検出された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レイラインを発見しました。
なんと、御神神社からです。酒井神社は、赤郷2号墳より東に850mほどの所にあります。
このレイラインが正しければ、最初の御神神社の場所がかなり絞り込めるのではないかと思うのです。
御神神社から見た、冬至の日の出が、赤郷2号墳を通るようにセットすると
こうなります。
そして、そこからの夏至の日の入りを見ると
衆良神社付近です。
これって、どう考えたらいいのだろう?
赤郷2号墳は、前方後円墳 もしくは、前方後方墳ということ。
三角縁神獣鏡が出土したことから考えると、前方後方墳と思います。
としても、丹波から来た技術者たちは、おいらが今まで見てきた限りでは、円墳なのです。
誰の古墳なのか?
レイラインが確かなものならば、限られてきます。
時代も、弥生時代後期ないしは古墳時代前期と言うことは、サタヒコの時代とほぼ同じになります。
場所は、美濃、尾張から伊勢に行く途中の中継場所です。
そして、前方後方墳ということは、可能性として、犬山の東之宮古墳の埋葬者の兄弟、もしくは子が考えられます。
仮にそうだとすると、この赤郷2号墳の埋葬者は尾張、伊勢、そして琵琶湖とかなり広い場所で
活躍していた人と想像できます。
船を操ることに関係する人物かもしれない。
とすると、犬山から伊勢まで鏡を運ぶためのルートの、文字通り「水先案内人」かもしれない。
レイライン上に古墳があるということは、かなり重要な人物なのでしょう。