たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命伊勢に行く その1

2021-10-13 06:44:26 | レイライン
以前にも、倭姫について書きましたけど、その時よりも情報量が多くなってきましたので、

もう一度、レイラインなどを検証しながらいろいろ探っていこうと思います。


まず、倭姫が奈良を出発したのは、295年頃。12歳ぐらいです。

日本書紀などでは各地を旅することになっていますけど、おいらが思うには、

奈良から直接「比沼麻奈為神社」に行ったと思います。

坂田神明宮に2年間滞在したことになっていますけど、

その神社が出来たのはサタヒコの妻の「たにはのあじさはびめ」が亡くなってからのこと。

境内の端に真名井池があります。これは、籠神社と同じです。

祭神が、 天照大御神 豊受毘売命 ですので、そのことからも、籠神社から伊勢に行く途中の

場所と推測できます。

さらに、レイラインも

尾張の犬山にある本宮山山頂からの春分の日の日の入りの位置にあります。

これはどういうことかと言うと、サタヒコと倭姫が出雲から伊勢津彦(=大国主)の御霊を移した

八咫鏡を持って籠神社に帰ります。 そして、そこから伊勢への移動の準備をします。

伊勢にはまだ、伊勢津彦を追い出した天日別命がいるかもしれません。

そのため、かなりの武力をもって行かなければなりません。

それなりの人数と武器、それを運ぶ船がいります。

その計画を実行するために時間をかけて準備をしたのでしょう。

籠神社から、伊勢までいくつかの中継地を確保するのに、レイラインの測量者がかかわっていたことは確実ですね。

というより、その技術者集団とサタヒコは、ほとんど行動を共にしますので、サタヒコが指揮をしていたのでしょう。

なぜ、犬山の本宮山なのか?

すでに、サタヒコの父親である、彦坐王の時代には、本宮山の山頂に神社があり、そこから狼煙で連絡を取っていたことが推測されます。

山頂からは、岐阜、大垣、桑名、四日市までぐらいは目視できるでしょう。(今は木にさえぎられて見えません)

狼煙なら、もしかすると伊勢も確認できるかもしれない。

それともう一つ、犬山の東之宮古墳の埋葬者であろう尾張大印岐とサタヒコは、顔見知りと言うこと。

岐阜から、春日井に行く途中の場所に当たるので当然知り合いでしょう。

尾張大印岐の娘の敷刀婢命(マシキトベ)を妻にするのは、伊勢から帰ってきてからのようです。

このことが分かってから、ようやく、サタヒコの足どりが推測できるようになりました。

それについては後ほど。。。

以上の理由で、船で伊勢に向かう最初の場所は、犬山でしょう。

日本書紀には  「更に還りて近江国に入りて,東 美濃を廻りて、伊勢国に到る」とあるようですけど

「東 美濃」は、犬山でしょう。このような不自然な表現は、やはり何かを隠そうとしているように思います。

船を建造するにも、東之宮古墳付近は良い場所でしょう。

地形的にも、ちょうどここから川の流れがゆるやかになります。

船の材料にする太い木もあったと思います。



もしかすると、桃太郎神社が船の建造場所だったかもしれません。

これから、鬼退治に行くのですから。。。

きびだんごは何処にある?


この船を作る集団(船大工と言っていいのだろうか)は、岡山でも船を建造していたかもしれませんね。



そうすると、この人たちが桃太郎伝説を広めた可能性が出てきます。(かなり、妄想状態です・・・)

船の建造にも人が大勢いるでしょう。

あらかじめ、田を作っておいて食料の確保もしたかもしれない。(キビ団子ではなくおむすびか?)

                                    ↑
                                 まだこだわっている










コメント
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