たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

氷上姉子神社

2013-02-17 09:44:47 | 神社
尾張氏の始祖は、天火明命<アメノホアカリノミコト>で、

その11代目が 小止与命<オトヨノミコト>です。

彼が尾張国初代の尾張国造に任命されます。

この子が建稲種命<タケイナダネノミコト>で、

日本武尊<ヤマトタケル>の東征に自ら副将軍として従軍し、

妹の宮簀姫命<ミヤズヒメノミコト>と日本武尊のロマンスも伝承されています。

建稲種尊の妃は、丹羽氏の大荒田命<オオアラタノミコト>の娘、玉姫です。

天火明命13世の孫、尻綱根命<シリツナネノミコト>は、

応神天皇の大臣となり、妹は五百城入彦命<イオキイリヒコノミコト>の皇紀となり、

品陀真若王<ホンダマワカノミコト>を生みます。

その次の妹、金田屋野姫命<カネタヤネノヒメノミコト>は、

甥の品陀真若王の妃となり三女王<ひめみこ>を産みます。

この3人は応神天皇の后妃となり、仁徳天皇が生まれます。

尻綱根命の子、オオシムラジは仁徳天皇の大臣になります。

尾治知々古連は履中天皇の功能臣となり、尾治坂合連はイン恭天皇の寵臣となります。

皇位継承の三種の神器の一つ、草薙剣を祭祀する地を熱田に決めた時期は

尾張氏が大和朝廷の外戚家として全盛を極めた頃で5世紀末から6世紀当初と推定されます。

絶頂期は尾張連草香の娘、目子媛<メコヒメ>が継体天皇の皇妃になり、

安閑天皇と宣化天皇を生んだ頃だそうです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

尾張

2013-02-16 17:54:12 | 神社
尾張神社

主祭神は、天香山命、誉田別命、大名持命

この関係を調べてる最中です

天火明命(アメノホアカリ)と深い関係です



ここは、「尾張名称発源之地」とのこと

その昔、このあたりは海だったそうで、小牧山は、帆を巻くから

帆巻山とか

おそらく、それから時間がたって水面が下がり開墾したのか、

小針(こばり)の針は墾(はる)。
小墾(おばり)より尾張(おわり)と転訛が定説とのこと。




愛智郡のことかな?

その後、名古屋市緑区大高町の氷上姉子神社の近くに移ったそうです




尾張東部の丹羽地方の先住民は、丹羽氏。

丹羽郡が領地でしょう


始祖は大荒田命で大縣神社に祀られています



そして、この大荒田命の墓が以前行った青塚古墳だそうです

注連縄が普通と違う

大根じめというのだそうな

向きは、さすが右から左で一般的です

太さは、右を太く左を細くするつけ方を『入船』と呼び、左が太く右を細くするつけ方を『出船』と呼ぶそうです。

お客さんがたくさん来て欲しい商売の方は『入船』がよく、外に出てたくさん稼ぐサラリーマンは『出船』がいいと言われています。



この神社、もともとは本宮山にあったそうです

尾張富士(標高275m)と背比べしてたのが本宮山(標高293m)

さすが、古いね

垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み御遷座された

こちらは、姫之宮です

玉比売命〔たまひめのみこと〕(大荒田命の娘)と倉稲魂神〔うがみたまのかみ〕を祀っています。



さすがにきれいです

建物もおいらが好きな、神明造り・・・(訂正です  神明造りじゃないですね)



この色は他にないんじゃないかなぁ?・・・・・(これも訂正です・・他にもあるようです)


(失礼しました。)

まあ、女性の神様なんでお参りはしませんでしたけど。





縄文時代から弥生時代に、東南アジア、中国、朝鮮半島、九州

などから海を舟で、時には九死に一生を得てやっと漂着した

「海人」というひとたちが 尾張、三河、伊勢、志摩の国の伊勢湾・三河湾・熊野灘の

沿岸部に住み着いたとされます。

そして、尾張氏と融合

もう一派は、清洲町朝日に拠点を持ち、

木曽川沿いに中島郡北部に進出した一族で真清田神社のあたり。

やがて南部に進出し、丹羽氏と融合。

一宮の全域と中島郡北部を支配。

尓波神社、坂手神社、酒見神社のあたりでしょう


これらの神社にも行こうと思ったけど、道が細かったり駐車場が分からなかったりで、

前を素通りでした


丹羽氏も尾張氏もそして、物部氏も天火明命(アメノホアカリ)、またはニギハヤヒと

関係があるそうです




いろいろと調べていくと、それこそいろいろな説があるんで、何がなんだか分からなくなって

しまいます。


まあ、タイムマシンが出来るまで本当のことは分かりませんね。。。







コメント
この記事をはてなブックマークに追加

のどもと過ぎれば

2013-02-15 05:15:39 | Weblog
子供の甲状腺がんのニュースがありました

放射線の影響は4年後くらいから現れるので、これは被爆の影響ではないという

説明がなされていました


でも、あるところの話では、4年がピークでありその前から影響が出ても

おかしくないという話もあります


調べました






ピークは、4年目ではないですね

それと、年齢で違いがあるようです


さらに、

引用します

*****************

海上保安庁が放射能汚染の真実を暴いてくれました。政府の調査ではストロンチウムの量は微量であり問題ないとしてきましたが、海上保安庁の調査では、ストロンチウムの量がセシウムの量の約半分です。桁が違うどころではありません。

これが何を意味するのか。まず、福島原発の大量の放射能汚染水が膨大に海に流れ込んでおり、深刻な汚染になっていること。

次にセシウムは海では魚の臓器、筋肉に溜り、ストロンチウムは骨に溜まること、すなわち小魚を骨ごと食べることが、大変な内部被ばくのリスクがあるということ。そして魚のあらなどが魚粉となり飼料、肥料に使われるので、全国の豚、鳥が汚染され、全国の農作物がまるごと汚染されるが、ストロンチウムはα線しか出さないので放射能検査で測定できず食卓に上ってしまうこと。

原発の爆発により海経由ではなく、空経由で地表に降り注いだストロンチウムの量が政府により改ざん隠蔽されているのではないかという疑い(α線種は測り方で数値はどうにでも出せる)。

空中に舞い、雨によって地表に叩き落された放射性物質がヨウ素とセシウムだけというのはあまりにおかしな話であり、チェルノブイリ事故の時には重要視されたストロンチウム濃度が日本では発表されないのは明らかな操作であり、セシウムのあるところにストロンチウム、ウラン、プルトニウムあり、というのが常識的な考え方であり、そうすると東日本全域の水道にも普通の地面にもストロンチウムは降り注ぎ、食肉、ミルク、農作物が汚染されている ということ。ストロンチウムは当然地下水にも染み渡っているので、東日本全域の食品、飲料加工工場の製品に含まれてしまっているということ。ざっと考えただけでもめまいがしてくるほど影響は重大です。

そしてストロンチウム、ウラン、プルトニウムなどα線種は人間の体内から排出されず、骨に溜まり、長い時間をかけて血液、骨の病気を引き起こす非常に深刻な放射性物質であり治療方法が無いのです。

こちらからです
**************************

資料


もうひとつ引用します

++++++++++++++

チェルノブイリ原発事故から10年後の2005年の時点での小児の甲状腺がんの死亡率を見ると、被爆時14歳以下の小児甲状腺がん5,127人のうちの死亡者は9人、被爆時18歳以下の6,848人のうちの死亡者は15人です。実に死亡率は0.2%で、99.8%が生存しています。

*********************

食べ物については、まだまだ気をつけて居たいと思います

今日は、本当は中国の養豚場の耐性菌について調べるところでしたけど、

このような、思わぬ資料が目に入ったんで載せました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

池谷祐二先生の名言集

2013-02-11 09:52:32 | 
ひとつご紹介します

***************

理由を説明できない直感とは異なり、思いついたあとに理由が説明できる考えを閃きといいます。

閃きを生むには睡眠中の無意識の脳に考えてもらうのが最も効果的だと私は考えています。

夜眠る前には、情報をインプットすると同時に、課題を再確認することです。

私は毎日これを実行しています。


*************

こちらにあります


先生の本は、かなり持っています

娘の誕生日プレゼントにも使いました・・・珍しい使い方かな?

でも、先生の本の引用をメールで送ったら後ですごく感謝されたんです

これからも、どんどん面白いことを教えてくださるすごい人だと思います。


今、よんでる本です



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

貯古齢糖

2013-02-09 09:27:10 | Weblog

1715年にチョコレートが日本に伝わった時には、「チョクラーツ」と呼ばれたそうです

明治10年(1877年)に「貯古齢糖」という商品名で販売されたけど、

“牛の血が混ざっている”という噂が広まり、あまり売れなかったそうな


原料はカカオでしたよね?

起源は、メキシコのインディオ、アズテック族によって作られた「ショコラトール(chocolatre)


これは“苦い水”という意味で、原住民は香辛料を入れて、薬用としてショコラトールを飲用していたそうです

1502年、コロンブスは第四次航海で現在のホンジュラス付近でカカオの種子を入手し、スペインへ持ち帰っているとのこと

でも、どういうものか良く分からなかったらしい


1519年、コンキスタドールのエルナン・コルテスがアステカでカカオの利用法を知り、帰国後国王に献上した。砂糖や香辛料を加えたショコラトル(チョコレート)は上層階級に歓迎されたそうな



どうでもいいけど・・・

誰か、チョコくれ!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

萱津神社

2013-02-02 18:01:50 | 神社


愛知県海部郡甚目寺町上萱津字車屋19

祭神 鹿屋野比売神

昔、この付近まで海だったそうです。



       ↑
 これは現在の地図です


その昔、神前に野菜や藻塩を供えて五穀豊穣の祈願をしていたのですが、

その供物をカメの中に入れたところ、ほどよい塩漬けができたのだそうです。

それを、当時の人々は神からの贈り物として万病をなおす御守としたのだそうです。

これが我が国の漬物の始まりであり、萱津神社が『漬け物の祖神』といわれる由縁とのこと。


神事を執り行う香の物殿  屋根の上にあるのは、瓶だとか。

この雰囲気、好きだなぁ。。。



日本武尊との縁が深いようです


日本武尊が東征する途中、ここに立ち寄られ、住民が瓶の中のお漬物を献上したところ、

「藪ニ神物(やぶにこうのもの)"深い森の中に、神のもたらした食べ物がある」

と感嘆されたという言い伝えがあるそうです。


さらに、連理の榊というのが、ここに祀られています


近寄ります


ちょいと、見づらいですが、上でつながっています。

この榊、すでに枯れていますが、日本武尊のお手植えだと言われています。

そして、伝説があります

日本武尊が伊吹山に遠征に行ったとき、大事な護身の 草薙の剣を持たないで出かけたんです

そのためなのか、パワーがなく大怪我を負い(伊吹山の邪神を退治に出かけますが、逆に邪神の毒気に当たったという説もあります)、この地にたどり着きました。

そうして、妻・宮簀媛(みやづひめ)に遺言を託します。

受け取った姫は、あわててここに来ますが、はすでに日本武尊は伊勢へと旅立った後でした。

そのなげき悲しむ姿から、ここは"不遇(あわで)の森"(阿波手の杜)と呼ばれるようになったそうです。

*(人が思う人に会えなかった事に由来しての「会わで」すなわち「会えないで」の言葉を振り当てた話と思われます。)


伊勢へと旅立つ前に姫に会えなかった日本武尊は、

「後にこのような悲しいことが起きないように」という想いを託し、

雄と雌2本の榊を植樹。それがのちに連理木になったそうです。


さらに、

引用します

*****************

なかなかお妃をめとらなかった57代陽成天皇を心配した朝廷が、

全国から縁結びにまつわる品を献上するようおふれを出しました。

尾張地区から献上したのが、この連理の榊。

するとそのご利益があってか、天皇はのちに皇后をめとり、お世継ぎも授かったといいます。

萱津神社ではそれ以降、1000年以上にわたって毎年、

「献榊祭(縁結び祭)」を斎行しています(現在は毎年4月第二日曜日)。

********************


この祠のすぐ近くにも、おそらくご神木でしょう榊がありますが、それは他の種類との合体木でした。


ほとんど、神社に行くとピリッとした雰囲気にそれこそ禊を感じる造りなんですが、とくに

巨木があると、そう感じます。

でも、ここはそんな感じがしません

あの、萱葺きの香の物殿が、あるせいでしょうか?

落ち着ける場所です。。。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加