和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

質的な『思いつき』をとても大切に

2022-05-14 | 柳田国男を読む
安野光雅対談「ロジックの詩人たち」(平凡社・1982年)
を古本で手にする。うん。手にしてよかった。
15人の対談相手に、一人一人の人物を語りあっております。
といっても、私が読んだのは、2つの対談。
伏見康治氏との対談の題は『寺田寅彦』
吉田直哉氏との対談の題は『柳田国男』
はい。これだけで私は満腹。
腹ごなしにこの対談を紹介。

うん。まずは吉田直哉氏との対談からいきましょう。
その最後の箇所でした。

安野】 私はね、柳田国男の世界は、ジグソーパズルだと思う
    ことがあるんです。柳田国男はジグソーパズルの破片を見て、
    これは森の部分、これは空の部分と
    非常に直感的に看破する天分をもっている。
    ・・・・・・

   その破片が森なのかどうか、実際にはめてみないと
   わからないところがありますね。
   自分ではある程度の集合を作っておいて、あとは
   宿題だよって柳田国男から問題をだされた感じがする。

吉田】 柳田国男という人は『偉大なる問いかけ』をばらまいた人
    だったと思います。そして、こっちが答を出すと、さらに
    上回った問いかけがまた置かれている。

   『あれ、いけねえ』、と思うような問いかけがまた置いてある。
    こんな偉大でいやな人はいないと思いますね。まさに
   『良い問いは答よりも重要だ』という言葉どおりです。

安野】 柳田国男を評して『偉大なる未完成』といった人がいるけれども、
    やる気がある人間から見れば、『偉大なる問いかけ』なんですね。

                     ( p76~77 )


う~ん。「やる気がある人間」じゃないと見えてこないことがある。
と、私なりに自己診断するばかり。

うん。つぎに伏見康治氏との対談なのですが、
引用したいことがありすぎるときは、削って、
まあ、意味不明瞭でもすこしだけ引用します。


伏見】私が大学で寺田(寅彦)教授の講義を聞いたころ、
   東京大学新聞に、菅井準一という科学評論家が
   寺田物理学を批判した文章がのったんです。それは、
   
   『寺田物理学は小屋掛け学問である』というしんらつな批判だった。
   つまり、ちゃんとした建築ではない、要するに小屋掛けにすぎないと。

   着想はおもしろいけれど、着想だけに終わっていて、
   少しも深く掘り下げていないということなんです。

安野】 私は寅彦ほどの着想なら着想だけでもいいと思いますね。
    ・・・・・・・・

伏見】 そうでしょ。寺田物理学というのは日本の生んだ
    一つの大きな『動き』だと思うんです。

    科学についての彼の考え方は、精密な数値的な決定より先に、
    自然界の現象が現象として『在る』ということを確立する
    ことであるということなんです。だから

    『在る』ということを確立するために必要な、
     質的な『思いつき』をとても大切にしたわけです。

                    ( p43 )


はい。これは対談の破片なのですが、
横着にもこれだけでよしと終ります。
対談『ロジックの詩人たち』はよい、
なんてまだ2人の対談しか読んでない。


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