和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

時代を超える典型。

2011-03-06 | 古典
外山滋比古著「失敗の効用」(みすず書房・2415円・2011年2月1日発行)が届く。短文が続くのですが、その短文を読み進められない。う~ん。たとえていえば、炭。よくできた備長炭を、一本ずつ両手にもって打ち。その音色を聴くような。そんな味わい。
ここは、それ、外山滋比古氏ご本人に語っていただきましょう。
じつは、本が届いて、めくっていたら福原麟太郎の随筆に「失敗について」という文が、そういえばあったことに、気がつきました。うっかりしていたなあ。
その福原麟太郎氏について、外山氏が書いた文がありました。
ということで、このブログの2010年2月11日に「それは、いけない」という書き込みをしていたのでした(本を読んで内容を忘れるように、ブログに本の引用をしても、すぐに忘れますね)。あらためて、その書き込みの最初をここにもってきます。

『 2月9日に米沢市の古本屋より「福原麟太郎著作集」全12巻が届く。
函入り、月報付。それで6000円に送料500円の6500円。
本に蔵書印が各冊についており、見返しに書き込みあり。
そのために安いのですが、本文はきれいで、ありがたい。
一冊だけ赤ラインがひいてあるのですが、気にならない。

ところで、その第8巻の編集後記を外山滋比古氏が書いております。
そこからすこし引用。

「若いときに書かれたものにはするどい個性と才能が表面に出ており、文章も思考も花やかであるが、年とともに円熟し、地味な大いなるもの、典型的なものの世界に関心が移っていっているのが感じられる。・・・・
個性は近代的なものであるが、典型は時代を超える。著者の文業は小さな個性を克服することによって古典的性格を得ることになった。その『おもしろさ』は典型に参入し得たもののみが感じさせることのできる重みと広がりのある『おもしろさ』である。」 』


ここに、外山氏が指摘した福原麟太郎の文章のヒミツ。
この「時代を超える典型」を、私は新刊「失敗の効用」2415円に味わっているのだなあ。などと、数ページしか、読まない癖して、思っております。

また、外山氏は、著書「日本の文章」でこうも指摘しておりました。
『「学生時代からずっと師事している福原麟太郎先生の麗筆は広く知られている。・・・先生の随筆は残らず読んだが、まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。・・」(p72・文庫) 』


なにか、この味わいが、外山滋比古著「失敗の効用」にもあるのです。もう、ここまででいいですね。つぎ、福原麟太郎氏へとうつります。


 三冊
      福原麟太郎著「人生十二の知恵」(講談社学術文庫)
     「福原麟太郎著作集 7」(研究社)
     「福原麟太郎随想全集 1・人生の知恵」(福武書店)

こんかい、興味を持ったのは、著作集と随想全集の月報。

 研究社の第7巻月報(昭和44年6月)では、4人の方が書かれておりまして、私には、最後の宮崎孝一氏の文が印象に残ります。
そこには、外山氏が福原麟太郎の随筆を読んで感じた言葉
「まるで別世界のようで、真似てみようという気も起らない。人間わざとは思われなかった。」がそのままに、あらわれているような気がするのでした。では、読んでご確認願いたいので、宮崎孝一氏の文を、ところどころ引用。


「『若いときは本を読んでいても、後になればもっとよく分かるだろうなどと思って軽い気持ちで過しがちだが、やはり、今感じた所には太い線でも何でも引いてしっかり考えることだ』という意味のことをお話し下さったことがあった。
・・・戦争中のため卒業が半年繰り上げられることになった。卒業論文を提出した後の口頭試問で、先生は私の論文をめくりながらいくつか質問をなさって最後に、『まあ、こんなものだろうなあ』とぽつりとおっしゃった。先生のお部屋を出て、待っていた同級生の一人にそのことを話し、『俺のはどうもだめらしい』と言うと彼は、『ばかやろう、そりゃ褒められたんだぞ』と力づけてくれた。
卒業の後には、すぐ兵役が待っていた。同級生七人ほどのうち、私も含めて三人が海軍予備学生として入隊することになったとき、先生は私たちを御自宅に招いて壮行会を催して下さった。霞が浦の岸に建てられた兵舎にはいってから、私はせっせと先生に手紙を書いた。・・・その都度、先生はお心のこもった御返事を下さった。
戦争がすんで、いなかへ帰ったが、将校だった者は公務につけないということで、私はなすこともなくぶらぶらしていた。ある日、訳者名は忘れたが、センカ紙仮り綴じの『二都物語』の抄訳を本屋で見つけて来て読むうち、文学に対する興味がよみがえってきた。とにかく先生にお目にかかろうと思い立って上京した。先生は私の話を静かにお聞き下さってから、りっぱな装幀のディケンズ全集や評伝などをたくさんに書斎から取り出してお貸し下さった。それから十年ほどたち、ディケンズに関するささやかな論文をまとめて先生の許へ持参すると、先生はゆっくり目を通されて、『ありがとうございました』とおっしゃって下さった。私は胸が迫った。先生はさらに出版社の交渉までなさって下さった。
自分のことばかり書き連ねて恐縮だが、私がアメリカへ留学することになったとき、『あまり勉強しようとしない方がいいな。日記をつけてくるだけでも意味があるのだから』と先生はおっしゃった。お調子もので、むきになりがちな私を、先生はちゃんと見抜いておられたのであろう。・・・先生を心の最大の拠り所として半生を送り得た身の幸せをつくづく思うのである。」


さてっと、こうして引用していると、
古本で著作集全12巻を6500円で、買った甲斐があったような気がしてきます。ちっとも開いて読まないくせしてね(笑)。


あとは、「福原麟太郎随想全集 1」の月報ですが、
こちらは、名前だけにしておきます。
    白洲正子・加藤楸邨・巌谷大四
こちらも、素敵な文なのですが、まあ、ここまで(笑)。
私はまだ「失敗の効用」を読んではいないのでした。
うん。読んでいったら沈黙させられちゃうだろうなあ。
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