ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

新緑の真如堂

2022-06-04 03:25:15 | お庭
5月10日、左京区吉田山の東面にある真如堂に行ってきました。

モミジの緑に心が洗われるようでした。

普段はお庭を散策するだけですが、この日は拝観料500円を納めて本堂の中に入ってみました。

重森千青さん作庭の新しいお庭もありましたが、東側のお庭は大文字の山が借景になっています。


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旧大乗院庭園

2020-04-03 01:12:18 | お庭
奈良ホテルに泊まると、その前に広がる旧大乗院庭園を無料で見学することができました。泊まらなくても、入園料200円で入ることもできます。休園日は月曜日と年末年始。


大乗院は、1087(寛治元)年に創建された興福寺の門跡寺院で、江戸時代末まで続きました。元は、現在奈良県庁のある辺りにありましたが、1180年の平重衡の南都焼き討ちで現在地に移り、1452年から関白一条兼良の子息、尋尊によって復興され、その詳細は「大乗院寺社雑事記」に書かれています。
1465年からは、将軍足利義政の命を受けた善阿弥が作庭を始め、1489年には伽藍と庭園の整備が完了しました。
現存する数少ない中世の面影を残す貴重な庭園として、1958年に国の名勝に指定されています。現在は、日本ナショナルトラストが管理団体となり、発掘調査・復元工事を行って、2010年から一般公開されてます。
復元された庭園には建物はなく、広い敷地の中央に池が広がり、その周りを回遊できるようになっています。



奥に見えるのが奈良ホテルです。



ホテルとは反対側に、「名勝大乗院庭園文化館」があり、庭園のガイダンス、休憩、会議室、茶室などに利用されています。



名勝大乗院庭園文化館の中には、かつての大乗院の建物配置を復元した模型や、江戸時代に描かれた「大乗院四季真景図」などが展示されています。

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米原の町散策と青岸寺の苔庭

2019-10-29 02:00:58 | お庭
10月27日、SL北びわこ号を見に行ったついでに、米原の町をちょっとだけ散策しました。


舞鶴駅は交通の要衝のわりには小ぶりです。



駅前に「舞鶴湊」の碑と、江戸時代に琵琶湖を航行した船の模型が置かれていました。伊井家が彦根藩主となってから、それまで寒村だった米原に湊を置き、琵琶湖と陸路との通行の便を図ったので、米原は急速に栄えていったそうです。



駅前の大きな通りから一筋奥に昔の街道らしい町並みが続いています。






米原の町のマンホール。



前にも訪れたことのある青岸寺に行こうとして坂を登って行くと、前にあった木造の懐かしい姿の小学校が消えていて、今は保育園になっていました。


素敵な建物だったのに、老朽化で壊されてしまったのでしょうか。ショック!です。



青岸寺の玄関前に広がるイワヒバ、この日は葉が緑にあふれていました。



庭園の苔は青々として、窪地になっているところには苔の上に水が溜まって池になっていました。水が溜まるのは梅雨時だと聞いていたのですが、最近雨の日が多く、池になっているのだそうです。2・3日晴れの日が続くと、池の水はなくなって、苔だけの池になるのだそうです。



池の水には絶えず小さな水紋が沸き上がっています。裏山からしみ出した水が池を満たし、庭の外に流れ出ていくのです。



ツワブキがきれいに咲いていました。



お寺では現在カフェを営業していて、庭園前の座敷や廊下でお茶をいただくことができるようになっていたので、お抹茶をいただきました。静かなお庭を眺めながらお茶をいただく至福の時間でした。

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彦根城玄宮楽々園

2019-10-09 02:24:38 | お庭
近江八幡で水郷めぐりをした後、バスで40分程で彦根城に着きました。



駐車場の側に滋賀県の護国神社がありました。


駐車場から中堀に沿って、たくさんの松の木が植えられていて、「いろは松」と呼ばれている所を過ぎ、

二の丸佐和口多門櫓(国重要文化財)。
1767(明和4)年に火災で類焼し、明和6年から8年にかけて再建された建物です。この道の突き当りにあった櫓門は、明治になって失われました。



中堀の外側のこの中央辺りに、幕末の大老、井伊直弼が藩主の14男として産まれ、まだ部屋住みの時代に住んでいた「埋木舎(うもれぎのや)」がありました。



佐和口から入り、重臣達の屋敷がある二の丸に「馬屋」がありました。(国重要文化財)。城内に馬屋が残る例は彦根城だけであり、平成27年度に本格的な文化財保存修理を終えました。



藩主などの馬が21頭つながれていた場所で、レプリカの馬さんがいました。




内堀には観光船が進んでいました。
ここから、彦根城天守閣に登るグループと玄宮園庭園を見学するグループに別れました。天守閣には昔登ったことがあるので、玄宮園に行くことにしました。




途中、井伊直弼像がありました。彦根城を訪れた観光客は、大河ドラマ「花の生涯」の時が最も多かったそうです。



国の名勝・玄宮楽々園は、大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と、御殿に続く池泉・枯山水庭園である楽々園を合わせた総称で、天守閣のある本丸、西の丸と内堀を隔てて、彦根城東北部分に広がり、その外側には琵琶湖の内湖が広がっていました。
江戸時代前期には作庭されていましたが、10代直幸の頃に初めて「玄宮園」という名で呼ばれています。

彦根城天守閣と玄宮園セットなら大人800円ですが、玄宮園だけなら200円で入ることができます。

復元された水田。藩主が領内の五穀豊穣を祈って、田植え神事が行われていました。近くに藩主が競べ馬を見物した馬場もありました。



玄宮園の中には4つの茶屋があり、藩主の慰安や社交の場として使われました。



一番高い所にある茶屋で、500円でお茶とお菓子で休憩することができます。



茶屋から広い池と庭を見下ろす素晴らしい眺め。



槻御殿(けやきごてん)。
楽々園の中心的建物で、「奥向書院」とも言います。第4代藩主が1677年に着手して下屋敷として築造され、第13代直中が1812年に隠居するにあたり、大きく増改築しました。井伊直弼は1815(文化12)年にここで生まれました。

この書院から連続して、御茶座敷「地震の間」があります。石畳みの土台の上に舟形状の木製枕が置かれ、その上に平屋建ての建物がのっていて、地震の時には建物の底が土台の石畳みの上を滑る免震構造になっています。

この時は、楽々園の一帯はまだ修復中で、遠くから建物を見るだけしかできませんでした。



庭園から天守閣を見上げると、池に天守の影が映って見えます。

池泉回遊式の大名庭園、池と緑の静かな景観が素晴らしく、時によって、蛍を鑑賞する会や、秋の虫の音を聴く会などが開催されているようです。


14時半から16時くらいまで彦根城を見学した後、バスで彦根を出発、琵琶湖大橋を渡り、比叡山を超えて18時過ぎに京都に帰ってきました。

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建仁寺霊源院の甘露庭

2019-06-06 02:38:42 | お庭
2019年6月5日に建仁寺塔頭の霊源院にアマチャの花を見に行きました。アマチャはヤマアジサイの変種で、葉を乾燥して甘茶が作られ、4月8日のお釈迦様の誕生日に仏像に掛けられる風習があります。



このお寺で駿河の戦国大名、今川義元が出家し、後に今川家を継いだので、2019年5月18日~6月16日に生誕五百年記念として、お庭が特別公開されていました。




庭一面に青いアマチャの花が咲いて、とても綺麗でした。






沙羅双樹の花も咲いていました。



甘茶とお菓子をいただきました。甘茶はかなり甘かったです。塩芳軒のお菓子は今川家の家紋に因んで作られたものでした。

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吉城園(よしきえん)

2017-06-19 02:21:07 | お庭
2017年6月18日奈良公園のホテル予定地をウォッチングした時に、吉城園も訪れました。

吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があった所とされています。明治に民間の所有となり、1919(大正8)年に現在の建物と庭園が作られました。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。奈良県指定名勝。
入園料は大人が250円、外国人観光客は無料です。


主屋「旧正法院家住宅」(奈良県指定文化財)と「池の庭」。



茶室と「苔の庭」。茶室は予約すれば有料で利用することができます。



茶室の内部。



茶室裏の池のほとりの木にモリアオガエルの卵が産み付けられていました。

奥には「茶花の庭」もあります。



小高い丘の上に東屋(あずまや)があり、



そこからは隣の国名勝「依水園」越しに若草山が見えます。

吉城園の地も高級ホテルの中に組み入れられ、主屋は建築家隈研吾がデザインして、宿泊施設に変えられるそうです。誰にでも公開されている県所有の施設・庭園が、ホテル宿泊者のみに提供されることにならないか、先行きが危ぶまれます。

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岡山後楽園

2015-08-18 03:25:25 | お庭
岡山駅から1時間以内に見物して来られる観光名所に後楽園があります。
電車でもバスでも行けますが、バスのほうが園のすぐ前まで行けるので、往復バスで行ってきました。


岡山藩主・池田綱政が旭川の中州に造らせ、1687(貞享4)年に着工、1700(元禄13)年に完成した池泉回遊式の庭園で、日本三名園の一つです。



すぐ隣に岡山城があり、続けて見ることもできますが、今回は後楽園だけにしておきました。



広い、広い、大名庭園です。



延養亭。
藩主が後楽園を訪れた時の居間や、賓客をもてなすために使われた建物。1945(昭和20)年6月29日の岡山空襲により焼失しましたが、1960(昭和35)年に再建されました。


廉池軒。
戦災を免れた数少ない建物の一つです。





その前の花葉(かよう)の池。
大輪の白い花を咲かせる蓮「一天四海」(通称「大名蓮」)が夏に花を咲かせます。



唯心山。
園の中央部に唯一盛り上がった小山があり、その上から広く園内を見晴らすことができます。
池田綱政の子、継政の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。山腹には唯心堂があり、斜面には石組みに合わせて、ツツジやサツキが植えられています。



唯心山の上からの眺め。



園内最大の「沢の池」。






井田(せいでん)。
綱政が田園風景を好んでいたため、初期には田んぼや畑が多く配置されていましたが、経費節減のために芝生を植えさせ、今では井田だけがその名残を伝えています。




茶畑。
築庭当時からこの辺りのゆるい土手斜面に茶畑が作られ、その茶葉は藩主が普段に飲むお茶として使われました。




慈眼堂(じげんどう)。
池田綱政が元禄10年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。

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平安神宮の花菖蒲見頃

2014-06-06 21:24:11 | お庭


今日は平安神宮の神苑が無料公開の日でした。




      
花菖蒲が見頃でした。





花菖蒲は西神苑にたくさん咲いています。




















無料の日だけあって人が多く、あちらこちらで渋滞状態、臥龍橋の手前でも大勢の人が順番を待っていました。





スイレン。








シモツケソウ。




萩も咲いていました。







平安神宮の手前、京都会館では第一ホールが壊され、第二ホールも会議場も工事の覆いがかけられていました。
このエノキの大木は枝が腐ってきたため切断して、幹はぐるぐる巻きにされていました。




会館の東側の公園も木を伐採するとか、平安神宮正面の道を自動車を通れないようにするとか、いろいろお役所の頭で考えて勝手に決められようとしているそうですが、このゆったりした空気を壊さないでほしいものです。
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2014年鳥取・島根の旅(2)足立美術館

2014-01-05 01:45:35 | お庭
米子に泊まった翌朝、安来駅から足立美術館に行きました。


米子から安来まではJRでわずか7分ですが、鳥取県から島根県に入りました。

米子駅の現駅舎は2008(平成2008)年にできたものです。



観光交流プラザが駅と繋がっていて、安来市伯太町内の山林から切り出した杉、ヒノキなどを使った和風木造2階建ての建物でできています。
たたら製鉄で栄えた鉄鋼の町、港町で江戸時代からの旧家が並ぶ安来の町も見所が多そうでしたが、またいつかということで。



安来駅から足立美術館へ無料で行くシャトルバスがほぼ1時間に1本出ていて、20分で着くことができます。

地元出身の実業家・足立全康氏が収集した絵画を昭和45年より展示するとともに、まわりに広がる広大な日本庭園が、米国の日本庭園専門誌で11年連続庭園日本一に選ばれていることでも知られています。


苔庭。



枯山水庭。

背景の山が借景となっていて、高さ15メートルの人工の滝が勢いよく流れ落ちるのをはるかに見ることができました。




まだ年末に降った雪が残っていました。





白砂青松庭。




生の掛軸。
床の間の壁をくりぬいて、向こう側の庭園が一幅の掛軸が掛かっているように見えます。




池庭。



たしかに、いろいろな顔を持った広大な庭が、一つの塵もなく見事に掃き清められ広がっている様は、「庭園日本一」と言うこともできるでしょうが、いつも京都の狭い庭を見慣れている目で見ると、やっぱアメリカ人好みやなあと思ってしまいます。
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2013年鹿児島旅行(7)知覧武家屋敷庭園

2013-11-11 00:39:19 | お庭
江戸時代の知覧は薩摩藩の武家集落があり、鹿児島に武士団を集中させることなく分散して統治する薩摩藩の外城の一つでした。

知覧特攻平和会館から車で5分程の所に「薩摩の小京都」と呼ばれている17・18世紀からの街並みがありました。


折れ曲がった本馬場通りに沿って、石垣と生垣に囲まれて武家屋敷が並び、それぞれの屋敷には琉球の流れを汲む様式の美しい庭園があり、景観の美しさと今も住み継がれている貴重な街並みが「重要伝統的建造物保存地区」に指定されています。

7つの庭園に入れる共通券(500円)が地域入口の5箇所の取扱所で販売されています。


整然と刈り込まれた生垣の中にはお茶の木もありました。



屋敷の入り口は屋敷内が見えないようにする屏風岩や、魔よけの石碑(沖縄では「石敢當」)があり、琉球貿易が盛んだったため琉球の影響を受けているのだそうです。







ほとんどの庭園はこのような枯山水式です。



ここは唯一池泉式の庭園でした。



森重堅(もりしげみつ)家で、住居は1741(寛保元)年に建てられたもの。森家は格式の高い重臣で、領主の館に最も近く、領主がよく遊びに来ていたため、造りも特別になっているそうです。

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2013年鹿児島旅行(2)仙巌園

2013-11-11 00:17:50 | お庭
西郷さんゆかりの城山周辺を巡った後は、鹿児島観光の定番、仙巌園へ。


市中心部から東寄りの海沿いにある、薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園です。
1658(万治元)年に第19代藩主であった島津光久によって造園され、その後も歴代藩主によって手が加えられてきました。
別名磯庭園とも言われるように、すぐ目の前が錦江湾の海岸になっています。



錫門。
朱塗りの柱と白い錫製屋根の門で、当主と嫡男だけが通ることができる正門として作られたものです。



約1万5000坪の広大な敷地に御殿と庭園、茶室、レストラン、売店等が広がっています。
この日は菊まつり中で、いろいろな菊の植え込みで園内が飾られていました。三重の塔も菊でできています。



鉄製150ポンド砲を復元したもの。約68kgの鉄製の弾を約3km飛ばす威力がありました。
後方に大砲を鋳造するための鉄を溶かした反射炉跡があります。

幕末に第28代藩主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こし、鹿児島沿岸に砲台を設け、外国の侵攻に備えました。


菊花壇と小型の大砲模型。



御殿。
1888(明治21)年からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていました。
篤姫、勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世等もここを訪れています。



御殿の前に池庭がありますが、その奥に広い芝生越しにはるかに見える桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な眺めとなっています。


















望嶽楼。
琉球国王から贈られた建物です。






仙巌園は島津家が東京に居を移した後住人不在となり、1949(昭和24)年、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれましたが、1957(昭和32)年には島津家に返還され、現在は島津興業が管理しています。

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バースデーきっぷで殿様旅行(6)天赦園

2013-10-18 02:54:44 | お庭
宇和島市立資料館からバスに乗ると、宇和島駅を通ってそのまま宇和島城、天赦園方面に行くことができます。(住吉町から薬師谷渓谷行きで天赦園前まで18分)


天赦園は、宇和島藩二代藩主伊達宗利が海を埋め立てて造成した浜御殿の一部でしたが、幕末に7代藩主の伊達宗紀が1866(慶応2)年に隠居所として大改造を行って作った庭園です。
西郷隆盛、大村益次郎、高野長英等も来園して宇和島藩との接触をした所であり、国指定の名勝になっています。


宇和島城の南西側にあり、庭園からお城を仰ぎ見ることができます。



庭園はいかにも大名庭園らしい池泉回遊式で、広い池の水が満々とたたえられています。






伊達家の祖先が藤原鎌足であるということから、園内には6基の藤棚が設置されています。
特にこの棚は池の水面上にかかる橋のように仕立てられていて、見事でした。






藤の花の見頃は4月だということです。
他にも花菖蒲や伊達家の家紋の竹もいろいろな品種が植えられていました。
庭の片隅には「鴨猟場跡」の水路もありました。将軍様の浜離宮庭園と一緒やね。


宇和島城は藤堂高虎によって築かれた五角形の縄張りの名城ということですが、時間と体力不足で今回は登城せず、宇和島駅に帰ってきました。



続きは

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京の夏の旅2013(2)祇園甲部歌舞練場庭園

2013-07-24 23:25:15 | お庭
さて、いよいよ歌舞練場のお庭拝見です。


つなぎ団子の欄間のある広間から



お庭に降りると、


八坂倶楽部(左)と歌舞練場別館(中央)に挟まれて池泉回遊式の庭園がありました。








池の一部を網で覆っているのは、魚の保護のためかな?




奥の方には瀧が落ちていました。








格狭間に十二支が彫りこまれた灯籠もあり、




お茶室もありました。
この地は元は織田有楽斎の屋敷があった所と言われているので、有楽斎の茶室「如庵」と同じ名前がつけられているのだそうです。


水量も豊富で大きな木が森の雰囲気を醸していて、こんな街中にこんなに広いお庭があったとは思いもしませんでした。
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嵯峨野の穴場、大河内山荘

2012-11-26 02:59:04 | お庭
喧騒の天龍寺を出た後、

いかにも「嵯峨野」っていう感じの竹の小道を通り過ぎ、(実はここも銀座並みの人混み)



常寂光寺、二尊院、祇王寺に向かう道の途中にある大河内山荘。

そこはほとんど観光客がいない静寂の世界。

なぜここだけはこんなに人が少ないかというと、やはり、拝観料が1,000円とお高目だからか。
しかし、これにはお抹茶とお菓子代と絵葉書1枚も含まれているし、実際に中をみさせていただくと十分納得できるお値段でした。

往年の時代劇俳優、大河内傳次郎(1898~1962)が昭和6年(34歳)から64歳で逝去するまで、山を買い取って、庭師、数奇屋師と共にこつこつと創り上げた山荘(後に自宅)と庭園です。


先ず、入口近くのお抹茶席でお茶・お菓子をいただいてから、回遊式庭園を巡りました。


この中門(登録有形文化財)をくぐり、


大乗閣(登録有形文化財)。
寝殿造、書院造、数寄屋造など日本の住宅の伝統的様式を合わせ取り入れた建物で傳次郎の構想に基づき数寄屋師の笛吹嘉一郎が施工しました。
前面の広い庭から遠く比叡山や嵐山の山々を眺めることができます。



両側から紅葉のもみじの木が覆いかぶさる小道をたどり、


持仏堂(登録有形文化財)のある広場に出ます。



傳次郎は仏教に傾倒し、持仏堂で座禅をくみました。



茶室、滴水庵(登録有形文化財)の辺りの紅葉も見事でした。







一番高い展望台の辺りから保津峡渓谷を隔てて、向かい側の嵐山を眺められます。
中央あたりに見える白いものが大悲閣です。




こちらは双ヶ岡と京都市街を見渡せる展望台「月香亭」。




最後に大河内傳次郎を記念する展示のコーナーがあります。
その昔私が見た映画の中では、大川橋蔵や中村錦之介の剣の師匠だったり、お側用人だったりと、やや脇役になっていましたが、もっと前には御大としてかっこいい主役を張っていた時代もあったのですね。
大スターになったとはいえ、映画出演料の大半を注ぎ込んでこういう形で立派な庭園として残してくれたことはありがたいことです。

秋真っ盛りの嵯峨野というと、まず人混みが頭に浮かんで、長いこと来たことがありませんでしたが、ここは全くの別天地、見事な紅葉を心行くまで堪能することができました。
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等持院のお庭

2012-08-20 20:34:54 | お庭
木島櫻谷旧宅を訪ねた後、等持院が近いと知って続けて行ってみることにしました。
暑い暑い日中、住宅街の中を少し歩いて等持院の緑のお庭にたどりつくことができました。


衣笠山の麓、立命館大学の南に隣接しています。
1341(暦応4)年、足利尊氏が創建した禅宗寺院で、足利氏の菩提寺になっています。



茶室前からみた方丈。
霊光殿の中には足利歴代将軍の像がずらりと並んでいて、少し無気味でした。


庭園は夢窓国師作と伝えられています。
小高いところにある茶室は清漣亭。








等持院型灯篭。
近くに有楽椿の大株がありました。



足利尊氏のお墓と伝えられる宝篋印塔。



池に泳ぐ鯉は、今は取り壊されてしまったフジタホテルの中庭で飼われていた鯉で、このお寺が引き取ってこの池にはなされたのだそうです。
いいお庭に引き取られてよかったですねえ。



境内入口付近にあるマキノ省三の像。
日本映画の父と呼ばれ、ここに等持院撮影所があったのを記念して像が立てられています。
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