ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

河原町七条の喫茶店&レコード店

2021-03-28 23:46:14 | 建物(京大以外の京都府の)
河原町七条の南西角にある建物、ちょっと古風でバスから見かけるたびに気になっていました。

2021年3月28日、機会があったので、寄ってみました。
古い建物をリノベーションしてカフェとレコード販売を兼ねるお店になっていました。


中古のレコードがあって、クイーンを3枚も買ってしまいました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池善化粧品店が閉店に

2021-01-22 23:30:02 | 建物(京大以外の京都府の)
四条河原町西南角の高島屋京都店の建物は、交差点に面する一部の角が欠けている不思議な輪郭をしています。


その一角には昔からずっと続けて、古風な3階建てのビルが場を占めています。


このビルには池善化粧品店と毛糸店などが入っていて、屋上の看板には「スキー毛糸」の文字と毛糸玉の絵があったことを覚えています。和菓子屋さんが入っていた記憶もあります。

しかし、池善化粧品店は2020年12月末で閉店し、1930年創業以来90年の幕を閉じました。池善ビルの建物はテナントとして活用されるそうですが、永年見慣れたこの景色を壊さないで引き継いでいってもらいたいものです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

任天堂旧社屋がホテルになる

2020-12-28 01:37:46 | 建物(京大以外の京都府の)
2010年12月20日、「サウナの梅湯」が臨時休業だったため、近所をぶらりと歩いてみました。
梅湯から一筋南に行くと、正面通りがあり、東に行くと鴨川に突き当り、正面橋があります。正面通りというのは、鴨川を渡った東側に豊臣秀吉を祀る豊国神社と方広寺大仏殿 があり、それに向かって正面だということからだそうです。


正面橋の西端から東を見たところ。




橋の西のたもとに、どうしたことか、路上に釣り鐘が一個置かれています。
横の看板を読んでみると、仏具店さんが立てたもののようなので、この鐘も仏教福祉の意味があるのでしょうか?




正面橋より西に一筋の角に、眼科・外科医療歴史博物館があります。
奥沢眼科と竹岡外科に保存されていた江戸時代からの医療器具など3000点が展示されていて、メールで予約して行くと無料で見ることができるようです。


そこから東にすぐのところに任天堂旧本社があります。京都市下京区鍵屋町342 。


1933(昭和8)年の竣工、増岡建築事務所の設計です。 




表は事務所のビルで、奥まって工場風の建物が続いています。



右のプレートには「トランプ・たるか(かるたを右から左に書いてある?) 製造元 山内任天堂 京都正面大橋西」と書いてあり、



左のプレートには「PLAYING CARDS  THE NINTENDO PLAYING CARD CO」と書いてあります。
1889(明治22)年の創業、花札からトランプの製造で成功 し、今ではゲームの一大企業になり、京都市南区上鳥羽に本社が移っています。この建物は1959年まで本社として使われ、その後営業所として活用されていたようです。 




しかし、今回旧社屋の前に新しい建築計画の表示が立てられていて、2021年4月までに改修して、夏にホテルになることがわかりました。

ホテルは安藤忠雄建築研究所が設計監修、ノム建築設計室が設計、大林組が施工を担当し、既存建物の改修と西側に一部新築が行なわれる予定で、客室数は約20室、宿泊者用の施設としてレストラン、バー、ジム、スパなどを備えるそうです。

コロナ禍の時代になってもまだホテルの需要があるのか、危ぶまれるところですが、重厚感のある建物が外観上は一応残されるようなので、 とりあえずはよかったということでしょうか?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧邸御室

2020-09-16 02:17:20 | 建物(京大以外の京都府の)
右京区御室双ヶ岡の麓にある「旧邸御室」が9月5日~10月4日に特別公開されていたので、9月12日(土)に行ってきました。

616-8096 京都市右京区御室岡ノ裾町5
☎075-366-0376
入館時間:10:00~16:30
入館料:1000円


嵐電「御室仁和寺」駅から南西に少し歩くと、静かな住宅街の中、500坪の敷地にお屋敷があります。



「旧邸御室」は1937(昭和12)年に建てられた数寄屋造りの郊外住宅です。
設計者は不明。登録有形文化財。現在は株式会社山三製材所の所有になり、文化の発信施設として活用されています。




主庭にも中庭にもたくさんの灯籠があります。




中庭に面した部屋の天井には花の絵が描かれています。



その部屋に続く蔵の中にはお宝がたくさんありました。



庭園に面した22畳の座敷に大きな座卓があり、磨き上げられた表面に庭の緑が映し出されています。



次の間との間には富士山の欄間が。
先ほどの座卓を反対側から見ると、この富士山欄間も映し出されています。



双ヶ岡の北側の斜面を利用して、手入れの行き届いた庭園が広がっています。



大きな沓脱石など、随所に鞍馬石が使われています。



二階座敷からも庭が見渡せます。



庭に降りて登って行くと、向かいの山の中腹にお茶室「双庵」 があります。



お茶室内部。



待合の奥には1畳の部屋があり、お茶室に入る前に身支度ができるようになっています。



お茶室から本宅を見下ろしたところ。
その奥遠くに仁和寺の五重塔を見ることができます。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧加悦町役場庁舎

2020-03-22 02:04:50 | 建物(京大以外の京都府の)
旧加悦駅の近くに重要伝統的建造物群保存地区「ちりめん街道」があります。
ちりめん街道の北側の入口に「旧加悦町役場庁舎」があります。


1927年の丹後大震災でそれまでの庁舎が倒壊したため、1929(昭和4)年に建てられ、建設費の半分ほどを織物業の篤志家が寄付しました。
2002(平成14)年まで町役場として利用されていました。
木造2階建、寄棟造り、桟瓦葺き洋館。設計は大林組設計部長今林彦太郎。京都府指定文化財です。



玄関車寄せ前面の門の形の屋根にも瓦が乗せられ、変わった趣をしています。

3月末までは改修工事のため、中を見ることはできませんでしたが、2階の旧議場の天井は当時の新素材で高級品であったベニヤ板で貼られ、壁はクリーム色漆喰の当初の姿に戻されています。
4月1日からは、観光案内所や喫茶コーナー、イベント会場として活用されることになっています。 年末年始を除き年中無休 9時~17時

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加悦鉄道旧加悦駅

2020-03-22 02:03:56 | 建物(京大以外の京都府の)
加悦SL広場を見た後、丹海バスに乗って与謝野駅の方に向かって帰る途中の「ちりめん街道」バス停で降り、付近を散策しました。


与謝野町役場加悦庁舎近くに、加悦(かや)鉄道の旧加悦駅があります。

この駅は、1926(大正15)年12月、加悦鉄道の開通に伴って、終点駅として開業し、1985(昭和60)年に廃駅となりました。
1977年に駅構内の一部が「加悦SLの広場」となり、加悦鉄道で使用していた鉄道車両が保存されていましたが、1996年に大江山鉱山駅跡に移転しました。この年、旧駅舎が与謝野町の文化財に指定されました。
2001年、駅舎を曳家して近くに移し、跡地に与謝野町役場加悦庁舎の新庁舎ができました。



旧駅舎には「加悦鉄道資料館」が開館し、三つの部屋に鉄道資料類が展示されています。



天井は格天井になっています。



特定非営利活動法人「加悦鐵道保存会」が管理運営し、展示品の解説をしています。

開館:土・日・祝日 9時~17時
入館無料
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まもなく建て替えられる京都バス高野車庫

2020-03-11 01:07:06 | 建物(京大以外の京都府の)
高野橋のたもと、川端通りと北大路通りの交差点に、京都バスの高野車庫があり、敷地の南西端に二階建ての事務所兼整備工場の建物が建っています。




いつから建っているのかわからないけれど、シンプルで懐かしい感じの建物です。

しかし、近寄ってみると、建て替え計画の札が出されていました。
まもなく5月から建て替えの工事が始まり、地上3階建てになるそうです。建物が高くなると、比叡山も少し見えなくなるかもしれません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寿ビルディング

2020-01-29 01:41:05 | 建物(京大以外の京都府の)
2020年1月28日に、河原町通り四条下がる東側にある寿ビルディングに行きました。

1927(昭和2)年築。河原町通に面して建つ鉄筋コンクリート造5階建、塔屋付、建築面積159㎡。京都中心部に残る昭和初期の事務所ビルとして希少で、登録有形文化財になっています。



いつも河原町通りをバスで通りながら、気になっていた建物、特にこの玄関部分がおしゃれで素敵です。
玄関上部には、右から左に向けて「壽ビルデイング」と書かれています。



入口入ったところ、足元にかわいいタイルがありました。



右手奥にある木製の展示ケース。



中にはビルの修復の様子を解説するパネルと展示品が置かれていました。



階段の手摺りが美しい曲線を描いて、



アールデコの装飾もありました。



ビル内には、有名デザイナー皆川明のブランド「ミナポルホネン」のショップを始めとして、おしゃれな雑貨や洋品を販売しているお店がいくつも入っています。




5階は子供の書籍の専門店「メリーゴーランド」。

書店の隣の部屋で、青幻舎から出版された「藤森照信のクラシック映画館」の写真を担当した中馬聰さんの写真展「映画館のかたち:中馬聰写真展」が1月18日(土)-29日(土)に開催されていたので、これを見に行ったのでした。
日本各地に残る名画座などのクラシックな小映画館の写真が展示されていて、なつかしさにウルウルしました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和中庵

2019-11-30 01:19:35 | 建物(京大以外の京都府の)
ノートルダム女学院の「和中庵秋の特別公開2019」が、2019年(令和元年)11月22日(金)~12月1日(日)に行われていたので、11月29日に行ってみました。

「和中庵」は、滋賀県近江五箇荘出身の繊維製造販売(スキー毛糸)業者、藤井彦四郎(1876年-1956年)が1926(大正15)年に鹿ヶ谷の山裾の林を開拓し、贅を尽くし、粋を凝らして建てた広大な庭園を持つ邸宅です。(京都市左京区鹿ケ谷桜谷町)
中庸から採った「何事にも偏らず公平に」をモットーに、「和中庵」と名付けられ、皇族を始めとして、多くの来訪者を迎えました。
1949(昭和24)年にノートルダム教育修道女会が取得、修道院として改造・利用した後、2008(平成20)年にノートルダム女学院中学高等学校に移管されました。


京都市バス5番系統の真如堂前または錦林車庫前から東に向かって坂を上がっていくと、徒歩約10分で着きます。

先ず、洋館から入ります。



1階南側の



階段を上って、



階段途中の上向きの灯りと羊頭の飾り。



二階のホール広間。修道院時代には聖堂として使われていました。



暖炉。



シャンデリア。



床板は寄木細工で模様が描かれていました。



聖堂を出ると、渡り廊下で客殿に繋がっています。



渡り廊下に入る天井の飾りは和洋折衷になっています。



渡り廊下から客殿を見たところ。



渡り廊下から見た洋館。
南側にノートルダム女学院中学高等学校の校舎、西側にははるかに市街地が見渡せます。



客殿の大広間。
修道院時代には、板張りになり、修道女の居室になっていました。
書院造りに欄間や床の間の天井に数寄屋風の意匠が取り入れられ、藤井彦四郎自身が設計に関わり、作り上げた見事な建築です。



客殿の東と南側に庭があります。
東山から清らかな水が流れ出し、石橋が架けられています。
南庭には大きな井戸のような設備があり、お茶室に行く手前のつくばいになっていたのかもしれないそうです。



洋館1階から下の段にあるお茶室に向かって下っていく階段がありました。



洋館の西側には洋館の二階から行き来できるように繋がっていた本館がありましたが、老朽化していて壊され、この蔵跡の建物だけが残っていました。


洋館、奥座敷(客殿9、蔵、お茶室が残り、2014年から2015年にかけて改修工事を経て教育施設として、活用されています。

藤井彦四郎は、1934(昭和9)年に出身地である滋賀県五家荘にも自邸を建て、客殿と洋館、琵琶湖を模した池のある庭園は、滋賀県指定有形文化財になっています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同志社フレンドピースハウス展

2019-11-14 00:30:30 | 建物(京大以外の京都府の)
2019年10月1日~12月1日に、同志社大学ハリス理化学館同志社ギャラリーで開催されていた「フレンドピースハウス~ハワイから同志社へ~」展を、11月13日に観に行きました。
月曜、日曜、祝日が休館、料金は無料でした。


フレンド・ピース・ハウスの建物は、1887(明治20)年、京都御所の東隣に同志社病院院長ジョン・C・ベリー(1847〜1936年)の自宅として建てられました。
設計は同志社創設期の教員で建築家でもあるD・C・グリーン。木造2階建ての瓦ぶきでありながら、洋風の開放的なベランダなどを備えた和洋折衷、白い下見板の壁に、緑色に塗られた柱や窓枠が特徴でした。面積は約250平方メートル。

1911年、ハワイのT・リチャーズ夫妻の呼びかけで設立されたフレンド・ピース奨学会の所有となりましたが、同奨学会が創立25周年を迎えたのを記念して、同志社に建物や土地の管理を委託し、留学生のための学生寮「Friend Peace House布哇(はわい)寮」として使われることになりました。ディレクター(寮監)のもと、奨学金制度により派遣された日系二世のフェロー(奨学生)と、同志社の日本人学生が共同生活を営んでいました。
1997年に改修工事がされ、国際親善と平和という理念を尊重して、その後はおもに国際交流施設として、共同研究室や会議室などに使われていました。
2006年に「洋風意匠を基調とした住宅」の好例として国登録有形文化財に登録されました。しかし、老朽化が著しく2016年3月で使用をやめていました。
建物の調査により、部材の3分の2が傷みで再利用できないことが判明し、2018(平成30)年に解体され、跡地に同志社幼稚園が建てられました。



フレンドピースハウスの建築部材や調度品の一部が、資料として同志社社史資料センターに受け入れられ、同時に、1920~40年代のフレンドピースハウス関係の文書資料の調査も進められてきました。今回の展示で、解体前のフレンドピースハウスの実像を伝えるとともに、フレンドピースハウス設立の経緯および草創期の歴史が表わされていました。



英国製の壁タイルや木製の欄間などの部材、解体調査で得た平面図などが並べられ、建物が和洋の要素を備えていたことを表しています。



会場のハリス理化学館。中は同志社ギャラリーになっていて、1階2階に同志社大学の歴史と現在を表す通常展と企画展が展示されています。



そのすぐ西側には、朝鮮語で詩を書いたことで捕えられ、獄死した尹東柱(ユン ドンジユ)(1917-1945)の詩碑がありました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧御所水道ポンプ室

2019-11-02 01:58:05 | 建物(京大以外の京都府の)
びわ湖疏水船で山科四ノ宮から下ってきて、蹴上の終着点に着くと、そこには立派な旧御所水道ポンプ室がありました。九条山浄水場ポンプ室とも言われ、ここから御所へ流す防火用の水を大日山貯水池に汲み上げるためのポンプ室でした。


1912(明治45)年竣工。レンガ造り平屋建。琵琶湖第二疏水の工事に伴って完成し、設計は片山東熊と山本直三郎です。
御所に水を送るために、高い位置であるここに作られました。大正天皇が皇太子だった時に琵琶湖から船でここまで下って来る計画があり、到着時に高官達が入口前で揃って出迎えるために、疏水に向かって立派な玄関が作られています。中にはポンプがあるだけです。




船から見上げた玄関。円柱付きのバルコニーが玄関前にあるネオ・ルネサンス様式の造りです。



船から降りた場所が建物の真ん前で、狭い空間しかなく、建物全体の姿を撮るのが難しかったです。



疏水に面した正面の両側に張り出し部分があります。レンガ造りの隅は石積みになっています。



西面の入口。屋根の上にはドーマー窓があります。



南側に回り込んで敷地から出るあたりにも、コンクリート造りの変わった建物がありました。


最近、旧御所水道ポンプ室は文化審議会によって、国の登録有形文化財に指定するように答申されました。



すぐ近くにインクライン(傾斜鉄道)のレール跡があり、動物園前の船溜まりまで528mの間、三十石船を乗せて運ぶ台車が保存展示されています。



インクライン横の高台に本願寺に防火用の水を送る水源地の跡がありました。
京都駅近くにある東本願寺までも防火用の水が送られていたのです。

琵琶湖と東本願寺との高低差52.8mを利用して、自然水圧により御影堂の屋根まで水が噴きあがるという仕組みが、田邊朔郎の設計で作られました。ここで一旦水を貯め、専用の水道管(直径30cm)を、三条通、白川沿い、四条通、大和大路、五条大橋の下、河原町通りをへて東本願寺まで地面の下を通しました。3年の工期をかけて1897(明治30)年に完成しましたが、現在は管の老朽化で使われていません。



近くに田邊朔郎(1861~1944)の銅像もありました。片手に設計図を持つかっこいい姿です。

幕臣の家に生まれながら、東京帝国大学で土木工学を学び、第三代京都府知事北垣国道に引かれて、23歳の時から疏水工事に携わり、28歳の時に完成させました。

この時には見ることができなかったのですが、疏水合流トンネルの北口に田邊の揮毫した扁額「藉水利資人工(すいりをかりてじんこうをたすく)」(明治天皇の竣工式勅語より)があります。自然の水の力を人間の仕事に役立てるという意味です。

この近くに「疏水工事殉職者弔魂碑」があります。田邊朔朗が1902(明治35)年に自費で建立しました。田邊の筆で「一身殉事萬戸霑恩(いっしんことにじゅんじ、ばんこおんにうるおう)とあり、17名の殉職者を慰霊しています。



その辺りの高台からは向かいの蹴上浄水場や市街地を遠く眺めることができます。
今も疏水を流れてきた水が、京都市民の命の水となっているのです。



その近くに、「義経地蔵」という大きなお地蔵さんがありました。
遮那王(源義経)が金貸し吉次に連れられて奥州に向かうため、粟田口から九条山の坂に差し掛かった時、馬に乗った平家の武者9人とすれ違い、馬が水たまりの水を跳ね上げて遮那王に掛けてしまいました。平家の武者達の無礼な態度に怒った遮那王は、吉次の止めるのも聞かず、9人の武者達を次々と切り殺してしまいました。冷静になった遮那王は、自分の倒した武者達が哀れになり、街道沿いに9体の地蔵を建てて供養としました。この地蔵はそのうちの一体と伝えられているものです。「蹴上(けあげ)」の地名は、武者の乗った馬が水を「蹴上げた」事からこの地名が始まったとも言われています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧湯本家住宅(京の夏の旅2019)

2019-09-23 23:05:44 | 建物(京大以外の京都府の)
もう一つの「京の夏の旅」、「旧湯本家住宅」も訪ねました。
京都市上京区相国寺門前町にある明治時代に建てられた住居です。

今出川通りの京都御苑今出川御門、同志社前バス亭辺りから北に上がると、右側にヴォーリス設計の同志社大学アーモスト寮があります。



道の突き当りには臨済宗大本山相国寺の総門があります。
門の手前を右に曲がったところに旧湯本家住宅があります。



家の中は撮影不可だったので、外観だけのアップです。

歴史家、湯本文彦(1843~1921年)が60才の時に終の住み家として1903(明治36)年に建てた家です。湯本文彦は鳥取県出身ですが、第3代京都府知事の北垣国道に見出され、京都府に勤務しました。平安京の位置を考察したり、「平安通志」を編纂、大極殿碑など多くの碑を建立、平安神宮建立の根拠となる朝堂院平面図を作成しました。
家は約80坪の木造平屋造り、市の「京都を彩る建物や庭園」に認定されています。茶室「玄古庵」は大徳寺塔頭真珠庵の庭玉軒を模したと言われる二畳代目のこじんまりとしたもの。その隣には「墨囚窟」と名付けた四畳半の書斎があり、その床柱は浄瑠璃寺の古材といわれる大きな丸柱が使われています。自ら作った茶碗や使用した書道用具などが展示されていました。

公開は9月30日まで。料金600円です。



帰り道に今出川通りを東に行くと、同志社女子高校・中学校がありました。
この建物は武田五一さんの設計になります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富家宏泰回顧展

2019-09-23 01:02:17 | 建物(京大以外の京都府の)
2019年9月22日、京都府立京都学・歴彩館に「戦後京都を設計した男 建築家・富家宏泰生誕 100年記念回顧展」を観に行きました。

    
2019年9月7日~9月30日まで。9時〜 18時、土日と最終日は 17時まで。無料。
ポスターの写真は京都市立体育館(1963)です。


富家宏泰(とみいえ ひろやす)は1919年〜2007年、香川県生まれ。三高、戦争から生還後、京都大学工学部建築学科卒業後、講師を経て、1952年に富家建築事務所を設立、京都府と京都市の公共建築をはじめ、大学、図書館、ホテル、オフィスビルなどの戦後京都における建築物のほとんどを手掛け、やがて三重県、石川県、千葉県を中心に全国の美術館やスタジアムなどをデザイン、その数2000点以上になります。

そのうち、京都の建築物のパネル写真が約 100点展示されています。大学関係では、京大附属図書館(1981)や立命館大学恒心館(1962)・以学館(1965)、同志社大学、大谷大学の建物、京都第二赤十字病院(1959)など、

  
↑最近壊された 京都商工会議所(1963)、 



↑閉館中の京都府立総合資料館(1961)、

府立体育館(1970)、府立文化芸術会館(1969)、京都新聞社本社ビル(1959)、藤井大丸(1969)、からすま京都ホテル(1980)、カトリック河原町教会(1967)などなど・・・、見覚えのある建物が溢れています。

戦後京都の高度経済成長期の景観を形作ってきた建築の数々、今も残るものもたくさんありますが、ホテル建設ラッシュなどで次々と姿を消していくものもあります。
富家宏泰が多くの建物を建てながら、知名度が低いのは、先鋭的なデザインが少なく、建築家の主張を出さないおとなしいデザインが多いことがあるかもしれません。しかし、京都市民にとってはなじみの深い景観を作ってきた建築家でした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤野家住宅(京の夏の旅2019)

2019-09-17 23:04:12 | 建物(京大以外の京都府の)
京都市と市観光協会が毎年夏に行っている「京の夏の旅」で今年、文化財特別公開されている「藤野家住宅」を見学に行きました。

京都市中京区高倉通り竹屋町上ルにある数寄屋風町家で、1926(大正15)年に白生地問屋の番頭さんが施主、大工は三上吉兵衛が造りました。



御所南の閑静な住宅街にある住居として造られた町家で、敷地の周りが高い塀で囲まれた「大塀造(だいべいづくり)」です。大塀と主屋、蔵が国の登録文化財に指定されています。蔵は昭和13年の造です。
間口は7.8m、奥行は32mです。


門を入ると、露地に敷石が敷かれ、途中と奥の二箇所の右側に玄関が二つ、突き当りに勝手口があります。



手前の玄関は4.5畳の茶室への入口になっています。
玄関がいきなり茶室になっておもてなしの間になっているのです。
茶室の部分は平屋の造りになっています。



茶室と大塀の間が露地庭になっていて、こちらからお茶室に入ることもできます。



二つ目の玄関から入ったところ、茶室と座敷の間に坪庭があります。




坪庭。



二間続きの座敷。



主座敷の床の間。この右側に仏間があり、その前襖は右に引くと、隣の部屋との間の柱を通過するようになっています。襖の地獄組の桟、兎の模様の唐紙等の凝った意匠もありました。




座敷の奥にある主庭と蔵。大きなつくばいが掘り下げられてあり、坪庭と同じく棕櫚竹が風にそよいでいます。



二階の座敷。

富岡鉄斎等の絵も飾られ、茶の湯や謡をたしなんだ趣味人の数寄屋風町家、今もきれいに住み続けられています。

9月30日までの公開。見学料大人600円です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グンゼの建物を見に綾部に行く

2019-08-18 01:48:03 | 建物(京大以外の京都府の)
2019年8月17日、青春18切符で綾部のグンゼ博物苑に行ってきました。
8時42分京都駅発、9時27分園部着。9時46分園部発、10時50分綾部着に乗り換えて、


JR綾部駅に着きました。



駅前には「平和のモニュメント」が立っています。
戦後の町村合併により綾部市が誕生した1950(昭和25)年、綾部市議会は世界の永久平和をめざした「世界連邦都市宣言」を全会一致で議決し、日本で最初の宣言を行いました。2000年、綾部市制施行50周年を記念して建立されたこの「平和のモニュメント」は、丸と三角の全く異なった形を合わせ、異なる人種、国家、宗教などを越え、融合する平和な世界連邦を表現しています。丸は地球を、三角は「人」と綾部の「A」を表し、全休としては元気な子どもをイメージしています。台座は、世界連邦マークを模して製作し、十字は、方位を示しています。

綾部市のマンホール。由良川の鮎と綾部大橋と新綾部大橋と市の花「梅」、市の木「松」が描かれています。


駅から北東方向に10分程歩いた所、または、南口からあやバスで「グンゼ綾部本社前」下車すぐに、グンゼ綾部本社があります。

綾部で生まれ、まちの発展を支えた郡是製絲(現在のグンゼ)の本社です。
1933(昭和8)年に建てられました。



正面から見たところ。



玄関入口。車寄せの柱はタイルで覆われています。



丸窓には帆船のステンドグラスが見えます。
この他にもいろいろなステンドグラスがあるようです。




建物の左に奥の工場へ向かう通路があり、入口左には同時期に建てられた門衛所があります。



本社の北隣にあるグンゼ記念館。
1917(大正6)年に本社事務所として建てられましたが、1916年から1932年に生糸生産量が11倍に増えたため手狭になり、1933年に上掲の新社屋が建てられたので、本社としての役割を譲りました。1950(昭和25)年にグンゼ記念館として整備され、1896(明治29)年に創業したグンゼの歴史的資料を保存、展示しています。
東西南北に四つの玄関を持ち、賓客、業者、従業員で入口を分けているのが特徴です。屋根の上に塔がある瀟洒な洋風の外観は、外国人客に応対する迎賓館の機能があったと言われています。

1986年から一般公開されています。(入館無料)
開館日は毎週金曜日の10時~16時なので、この日は中を見学することができませんでした。



グンゼ記念館の附属の建物。

新旧二つの建物を使って、ドラマ『LEADERS リーダーズ』、『前田正名~龍馬が託した男』や、映画『海賊とよばれた男』のロケが行われています。



グンゼ記念館の北側にあるグンゼ・エンプラ青野工場。エンプラとは、エンジニアリングプラスチックスのこと。
元は、郡是製絲本社工場正門として建てられました。郡是製絲本館と同年の1917(大正6)年築です。







グンゼ記念館の通りを挟んで向かい側にあるグンゼ歴史資料館。



蚕糸事業最盛期の1924(大正13)年に蚕事所として建てられました。綾部市では当時珍しい鉄筋コンクリート構造の洋館で、大正の雰囲気を残す外観で、京都府から景観指定を受けています。蚕糸道具や各種資料、書籍等を保存していますが、一般公開は行っていません。



グンゼ歴史資料館の南側に、大正期の繭蔵が並んでいます。



1996年から蔵を改造して、創業蔵、現代蔵、未来蔵の三つの展示蔵とし今昔蔵(兼受付)、集(つどい)蔵(多目的スペース)と合わせて、グンゼ博物苑として公開しています。

グンゼ博物苑は10時~16時開苑、火曜日休苑、入苑料は無料です。


グンゼ博物苑と同じエリアに、綾部バラ園、あやべ特産館等があり、一帯が「あやべグンゼスクエア」として観光の拠点になっています。

その中にある「道光庵」。
グンゼの創業者、波多野鶴吉は、ぜいたくを好まず、従業員とともに「道光館」と呼ばれた社宅で暮らしました。その社宅の一部を移築して「道光庵」とし、和風庭園を整備して、来苑者の集いや休憩の場所として利用しています。

木・金・土曜日の11時~16時のみ開庵しています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする