ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

ひなまつり

2006-02-27 05:00:57 | ぶらり都めぐり
ひな祭りにちなんで京都でもあちらこちらでお雛様の展示が行われています。
2月25日(土)京都府立文化博物館に「京都府所蔵の人形と衣装展」を見にいきました。

立雛、元禄雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛、芥子雛、一文雛、御殿雛飾り、御所人形、賀茂人形、三折人形、雛台所などと、江戸から明治時代の小袖などの衣装が展示され、皆京都府立資料館の所蔵品、衣装は保存のいいものばかりでした。



写真撮影はできないので、かわりにうちのお雛様を。
小学生か中学生の頃に鈎針編みで自作したものです。お菓子の箱に入れてあるので、飾る時もしまう時もふたをあけしめするだけで、とっても簡単です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上七軒通り

2006-02-26 07:25:06 | ぶらり都めぐり
2月25日、北野天満宮に行く時に、千本通りから今出川通りの混雑を避けて天神さんの東門に向かって斜めに歩きました。ここが京都花街の一つ、上七軒通りでした。室町時代に北野天満宮再建の時にあまった材木を使って七軒の茶店を建てたのが始まりと言われています。
いつもは静かなこの通りも、梅花祭のこの日は人通りが多く、天神さんの手前の道には古着や骨董品を売るお店が並んでいました。

通りの入り口近くに瓦屋さんがあり、屋根の上がショーウィンドウになっていました。おもしろい形の瓦や鐘軌さんがいっぱい。



老舗和菓子屋さんの「老松」さん。こちらのお菓子を梅園でいただきました。梅園内に売店も出ています。

「上七軒」については、大和なでしこさんのブログに詳しく書かれて」います。

上七軒歌舞練場に最近オープンしたという「茶(さ)ろん上七軒」にも行きたかったのですが、時間がなくて・・・また今度。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天神さん(梅花祭と御土居)

2006-02-26 05:24:48 | 御土居堀
2月25日は北野天満宮で梅花祭があったので見物がてら、また梅園が公開されているので、かねてから見たかった御土居を見に行ってきました。

しかし、大変な人出、烏丸今出川で地下鉄からバスに乗り換える時から、バスを待つ人が並んでいて、臨時バスが来ると書いてありましたが、一向に来ません。
北野天神を通るバスは満員でドアを開けてくれません。仕方がないので、千本今出川までのに乗りました。

お参りするにも長い行列が並んでいました。



境内の梅はまだ咲いている木が少なく、一番よく咲いているのでこのくらいです。



境内の一角が幕で区切られていて、上七軒の芸舞妓さんによるお茶の接待を受けられる所も行列ができていて、券(お菓子、おみやげつきで1,500円)を買ってからでも40分待ちだと言っていました。
幕の外から覗き見するだけにしときました。



参道の一番奥と本殿の裏西側の二ヶ所に梅園と御土居への出入り口があります。



梅園の梅もまだ1部咲きというところでした。



梅園の右奥の方が高くなっていて御土居の土塁です。土塁の上が地道になっていて、そこが御土居の上側にあたります。

土塁を超えて紙屋川に下っていく道があり、かなりの高低差、10メートル以上はありそうです。この辺りの御土居は紙屋川の河段段丘の自然地形を利用していて、人力で築いたものではないそうです。右手の土手が御土居の崖、紙屋川が堀の役目を果たしています。



この辺りも御土居梅園になっていて、しだれ梅の木がたくさんあったので、もう少ししたらきれいだろうと思います。



低木のサザンカがきれいに咲いていました。



梅園への入園料は500円ですが、老舗老松のお菓子「菅公梅」とこぶ茶がいただけました。参拝の混雑もここまでは入ってこず、花を愛でながら、太閤の昔をしのびながら、ゆっくりと園内を散策して、お菓子もいただけて、ここはいいと思いました。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弘法市

2006-02-22 04:30:31 | ぶらり都めぐり
東寺の弘法さんの市に初めて行ってきました。
出だしが遅くて東寺に着いたのが午後4時近く、すでに帰り支度を始めているお店もあって、人通りも少なめでした。
それでも、境内は広い、お店はいっぱい!見て回るだけで時間がかかります。やっとお目当ての植木屋さんの多い一画にたどり着きました。

行きがけに何と!京都駅で弘法さんから帰るところのpiitaさんとばったり出会ってしまいました。京都は狭い!










ついでに、と言うとご利益もなくなりますが、都七福神の一つ、毘沙門さんにお参りできました。



ミニ盆栽や、



苔玉にも春が感じられます。



雪割草もかわい~い



お買い上げは春蘭(500円)と、



ショウジョウバカマ(400円)。どちらも花芽つきなので、咲いたらまたします。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御土居堀研究会

2006-02-20 12:52:36 | 御土居堀
新聞に載っていた第2回「『御土居堀ものがたり』を歩く会」に参加してきました。
2月19日(日)午後1時に地下鉄京都市役所前駅改札口に集合。
約40名ほどの人が集まり、初めての人も多かったようです。
参加費500円を払って資料をいただきました。
前回寒かったので、出町から丸太町までしか見て来られなかったとかで、今回は一旦丸太町通り一筋上ルまであがり、また下がって最後は四条通り八坂神社のお旅所前で4時に解散しました。



「御土居堀研究会」代表の中村武生先生がハンドマイクを持って説明してくださるので、今まで知らなかったことがいろいろわかり、おもしろかったです。

今回”目からウロコ”だったこと。

1.河原町通りの西側には出町あたりからずっと御土居の土塁が続いていて、そこから東は基本的に河原だった!
2.場所にもよるけど、御土居の幅は約20メートル、高さは約4メートルで、竹薮で覆われていた。そんな大きな土塁が京の街を取り囲んでいた!
3.竹薮は切り取って使い道があったので、江戸時代の御土居の管理は角倉家があたり、今の日銀京都支店辺りにあった角倉邸で、竹の入札が行われていた!
4.秀吉は御土居の内側(西側)に寺を集めた(100寺以上も)が、主君の織田信長を弔うために、本能寺には特に大きく広い境内をとった。御池通りを越えて、今の市役所の地も本能寺の境内だった!
5.寺町通りは平安京の時代には東の京極大路でみやこの東の果てだった。その東側に寺が並んで、その東に御土居、さらにその外側の河原に江戸時代から商家が並んで賑わっていった!
6.寺町通りに東西にまたがる道は枡形のように折れ曲がっている道が多いが、これは徳川の時代になってからの戦略上の故意によるもので、秀吉の時代には三条通りのようにまっすぐに突き抜けている道しかなかった!
7.四条通りは御土居築造によって遮断されたため、八坂神社のお神輿が通れなくなり、三条通りまで大回りしていたことが何年間かあった!
8.三条通りは、みやこから外部に通じる重要な通りで、河原の湿地の中に盛り土をして作られているので、今でも寺町通りから鴨川までの間には通りの南北で急な傾斜になっている場所がある!


これは河原町通りから一筋東に入って下る路地で、三条通りから入ると急な坂になって道が下っている所。立て札でもして記録すべき場所だそうです。
他にも新京極通りで三条通りから下る所は「たらたら坂」と言われて急な坂道になっているのは、よく通るのでわかりやすいとろこです。

京都の繁華街の中にもいろいろとおもしろい歴史が隠されていて、興味がつきません。

引き続き、月に1回づつくらい開催して、御土居をぐるっと見て回るそうです。
次回は、3月11日(土)午後1時、北野天満宮南大鳥居前集合、小雨決行 参加費500円、天満宮観梅料は別途必要 事前の申し込みは不要だそうです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鴨沂会館

2006-02-15 02:40:03 | 建物(京大以外の京都府の)
河原町荒神口から西に入った所、清荒神の向かい側に「鴨沂会館」があります。
京都府立鴨沂高校の同窓会かPTA会館みたいなものか、でも、なんかカルチャー教室もやってるようでした。
建物は、鴨沂高校のスタイルに合わせてあって、円柱形のつけ柱があるのが特徴的。鴨沂高校は昭和8年の建築だけれど、こちらはもっと新しいのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立命館大学発祥の地

2006-02-12 17:49:54 | ぶらり都めぐり
京都府立医科大学の図書館のまわりをうろついいたら、南側に「立命館大学発祥の地」の碑を発見しました。
そういえば、昔この辺には立命館大学広小路学舎があったんだ。



全部京都府と某予備校に売り渡して、衣笠と滋賀県草津に移転しちゃったんだなあ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河原町通りの御土居

2006-02-11 13:39:08 | 御土居堀
御土居の本を読んで研究しなおすと、間違ったことを書いていたことがわかったので、記事訂正します。図書館の前の植え込みは本来の御土居ではなく、模擬的に作られた物だということがわかりました。(2006.2.27)

河原町の府立医大病院の向かい、府立医科大学の図書館の前に御土居が残っているので、見に行きました。
秀吉が京都の町をとり囲んで大造成工事で造らせた土塁と堀のセットが御土居堀で、その名残が所々に残っています。河原町通りのはバスの窓からよく見ていましたが、近くで見ていないので、検証に行きました。

医大図書館の前の植え込みは、ここに図書館を作る時に御土居を模して作ったものだそうです。



銘板が作られていました。



北側には廬山寺の裏の藪みたいなのがあって、これが本来の御土居の跡です。
河原町通りに面して残っている唯一の御土居の遺構で、史跡に指定されています。
ここが御土居の跡だと誰にでもわかるように、しっかりとした説明板をつけてもらいたいものです。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらさ西陣

2006-02-10 02:16:24 | お風呂屋さん巡り
織成館に行ったあと、足を伸ばして、お風呂屋さんを改装してできた喫茶店、「さらさ西陣」に行ってきました。昭和2年に建てられた銭湯「藤の森湯」を改装して、全体を「離楽庵WOOD-INN」といい、一階にカフェ「さらさ西陣」、二階にも雑貨屋さんが入っています。




お風呂場はほとんどそのまま残されて喫茶室に使われています。



女湯と男湯の間の壁もこんなふうに残されています。






タイルが、タイルが・・・・・




ピンボケ写真が悔しい。



上を見上げるとお風呂屋さんの天井です。



外壁にもきれいなタイルがありました。




タイルがすごすぎます。

飲み物食べ物も充実しています。
「ふわふわ卵のオムライス」がおいしかったのに、タイルに気をとられれていて写真を撮るのを忘れました。


場所:京都市北区紫野東藤ノ森町11-1  鞍馬口通りの大宮と智恵光院通りの中間、南側にあります。
(075-432-5075 )
営業時間に諸説があるようなので、確かめたほうがいいようです。
火曜定休日
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西陣のお風呂やさん

2006-02-10 02:14:51 | お風呂屋さん巡り
「明治湯」というからには相当古いのでしょうか?
真ん中の白い壁の両側から男湯と女湯に入ると、中でまた一緒になってるのだろうか。


京都市北区紫野藤ノ森町1
15:00~0:00
定休日:日曜日
(ただし、掲載データは変更される可能性があります)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西陣の目医者さん

2006-02-10 02:13:36 | 建物(京大以外の京都府の)
織成館のすぐお隣にあった目医者さんは、レンガ造りの堂々とした構え。
前に並ぶ自転車の列を見ると、かなりはやっていそう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

織成館(おりなすかん)

2006-02-10 02:12:25 | ぶらり都めぐり
西陣浄福寺通上立売上ルにある染色工芸展示館「織成館」で「百の帯留展」(1月24日~2月12日)をやっていたので、見に行きました。
「織成館」の建物は、帯製造業「渡文」の初代当主渡辺文七氏の店舗兼居宅として1936(昭和11)年に建てられたものを、一部改装して使っていますが、西陣の典型的な家屋の特徴をそのまま残しています。
帯留展は現代工芸作家22人による創作帯留と帯揚の展示で、漆、七宝、金工、木工、ガラス、ニット、ビーズ、日本刺繍など、様々な素材の作品が並んでいました。 いいっと思うものもありましたが、相当なお値段だったので、目の保養だけにしておきました。

織成館の外観。前の道は石畳の小道で趣き深くなっています。

吹き抜けの昔ダイドコだった所。












二階には日本各地の手織物が並べら、今では織り手の途絶えたような貴重な紬なども蒐集されていました。






手織機が並んでいて、時々手織りの実演がされるようです。



坪庭にさざんかが咲いていました。



織成館の隣には新館の「須佐命舎(すさめいしゃ)」が、出雲地方の廃校になった小学校の廃材を使って建てられ、音楽コンサートや披露宴にも使われているとか。和洋の雰囲気を併せ持つ広いホールのテーブル席で、梅酒のお湯わりとお菓子をいただいてあったまりました。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本最初の電車

2006-02-09 08:08:35 | ぶらり都めぐり
烏丸通りを五条から北に向かって歩いていたら、西側のビルの中に電車が鎮座していました。しかも2台も、ビルの1階の奥に向かって並んでいます。

側に説明文があったので全文を。

『明治28年2月1日我国最初の電車による交通事業が「京電」と称された京都電気鉄道によって初代京都駅のあった東洞院通塩小路下るから伏見下油掛まで6.7軒の間で開業、大正7年市は「京電」を買収、昭和53年廃止まで83年間日夜市民の足として活躍した。
この電車は京都駅前北野間6.5軒の北野線が昭和36年廃止されるまで走り続けてきた。
 当社では明治大正昭和と三世代にわたって「チンチン電車」と親しまれ働いてきた電車を保存すべく払下げを受け保管していたが、今回新社屋の完成を機に永く展示保存するものであります。
   定員 43人
   軌間 1076□(すみません、デジカメ写真では漢字が読みとれません)
   全長 8328□ (判読不能。どなたかヘルプミー!)
   全幅 2020□
   全高 4000□
   台車       (同じく判読不能)
   出力        (判読不能)          』

どうやら、日本で最初の電車ではなく、北野線を走っていた電車のようです。

この奇特な会社の名前はビルのどこにも書いてなかったので、わかりませんでした。















コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都芸術センター

2006-02-05 08:45:20 | 建物(京大以外の京都府の)
2月4日京都ブログオフ会の後、yumeさん、piitaさんと室町通蛸薬師下るにある京都芸術センターの中のカフェ「マエダコーヒー明倫店」に寄りました。店内は混んでいて写真は撮れませんでしたが、前に撮った芸術センター、旧明倫小学校の写真です。

明倫小学校は室町の裕福な商人の支援を受けて、小学校の建物としては驚くほどの造りで作られています。講堂、78畳敷きの和室大広間などあって、とにかくすごい学校です。廃校になった後、京都市の芸術センターとして活用され、こうしてお茶を飲みに気軽に行けるのはありがたいです。

現在の建物は、1931(昭和6)年、京都市営繕課施工。明倫の校名は近くに心学の講舎明倫舎があったことからつけられています。

マエダコーヒーの本店はこちら







奥が入り口。入り口の手前左側の教室がカフェです。手前に図書室、情報コーナーなども並んでいます。



北館の教室はギャラリー、制作室などになっています。



階段の手摺も凝っています。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町家お昼処でオフ会

2006-02-05 06:53:12 | ぶらり都めぐり
2月4日、「京都人ブログ」のくみちょーさんが京都関連ブログの持ち主に招集をかけたオフ会があり、行ってきました。会場は姉小路通り堺町東入ルの「光泉洞寿み」さん。





1階は土間のテーブル席とお座敷とカウンター席です。



2階にもお座敷とテーブル席があり、天井の大きな梁が印象的です。



メニューは日替わり定食。今日のメインはレンコンの海老はさみ揚げと水菜のサラダでした。



自然食なのにとってもリーズナブル。お昼はこの辺りのお勤めの人で賑わっています。



オフ会は先ずカメラの放列から。



「光泉洞」さんのご好意で、日本で二番目に高いお茶と中国茶「龍珠繍球」と亀末廣の金平糖をいただきました。



姉小路通りを少し西に行ったところにある亀末廣さん。姉小路通りは「姉小路界隈を考える会」があって建築協定を結んでいるので、高いマンション等がなく、いい雰囲気が守られています。




コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする