ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2016年西伊豆の旅(5)岩科学校

2016-11-14 22:32:31 | 建物(静岡県)
国指定重要文化財「岩科学校」は、1879(明治12)年4月に着工、1880(明治13)年9月に完成した伊豆地域最古の小学校です。


日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られ、旧開智学校とは平成17年に姉妹館提携しています。
この頃松崎の村内では教育振興熱が高く、校舎新築費2630円66銭のうち、四割余りが寄付金で集まりました。



11:43長八美術館前発の西伊豆東海バスで11:49重文岩科学校に着き、3分程歩くと、松崎の町はずれ農村地帯の山際に、白い漆喰の目立つ建物が突然現れてきます。
なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた建物です。






<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人300円【中学生以下無料】

なお、明治商家中瀬邸、伊豆の長八美術館との3館共通入館券は700円で購入することができます。



正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書です。
庇下の龍の彫刻は入江長八によると言われています。入江長八は、1880(明治13)年 65歳の時にもう一度故郷を訪れ、岩科学校や岩科町役場などで制作作業を行いました。






玄関の上は半円形のバルコニーになっています。



生徒の入口は男女別々で、正面入口の両側の廊下側から入ることになっています。
開校当初の生徒数は、男子89名、女子60名の計149で、6名の男性教員が教えていました。



校長室には校長の人形が。



教室の授業風景。



小使い室。



始業の合図は太鼓で行われました。



教室で昔の教科書や農具、早場繭の資料などが展示されていました。



二階正面のバルコニーを内側から見たところ。



バルコニー室の天井にある漆喰鏝絵のランプ掛けと、



上部壁の鳳凰の鏝絵(作者不詳)。






二階の廊下。


二階和室は裁縫や作法の授業に使われていましたが、四方の長押壁に長八の代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されています。和室では見たこともないような青い壁地の上に、138羽もの鶴が小さな鏝で描かれて部屋をぐるりと取り巻いて舞っています。









脇床の「山水図」と「美人賞蓮の図」も長八の作品です。






鶴の置物も、



この壺も漆喰で作られています。

長年念願だった伊豆の長八の傑作「鶴の間」をやっと見ることができて、大満足。伊豆の農村の子供達でもこんなに美しい建物の学校で勉強できたことはちょっとうらやましい感じがしてしまいました。

「岩科学校」の建物は、1975年国の重要文化財指定の翌月まで幼稚園として利用され、隣に岩科小学校の新しい校舎ができていましたが、少子化の波とともに2007年に廃校となり、「松崎小学校」に統合されてしまいました。



敷地内には1875(明治8)年に建設された岩科商社、のちに岩科村役場として使用された建物が移築復元され、「開花亭」の名称で喫茶・休憩所・お土産品売り場として利用されています。






開花亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものです。







開花亭でお茶を飲んでから、13:26重文岩科学校発のバスで長八美術館前に帰ってきて、松崎の町を再び散策しました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(4)伊豆の長八を訪ねて

2016-11-14 22:31:24 | 建物(静岡県)
西伊豆松崎町は「伊豆の長八」の産まれた町です。
入江長八(1815(文化12)年 ~1889( 明治22)年)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した左官職人の名工です。貧しい農家の長男でしたが、生来の手先の器用さから12歳のとき左官棟梁のもとに弟子入りし、19歳の時江戸へ出て絵を狩野派に学びました。かたわら彫塑の技を修めて左官の業に応用し、漆喰を使って絵を画き彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術を完成、「伊豆の長八」として名を馳せました。
松崎の町には長八の作品が多く残されているというので、前から訪ねてみたかった念願がついに叶いました。


浄感寺。浄土真宗本願寺派。
長八の菩提寺でしたが、元禄時代の松崎村大火で焼失してから仮本堂となっていたのを、1845(弘化2)年~1847(弘化4)年に再建されました。この時31歳の長八は、浄感寺塾で学び育てられた恩返しにと、弟子2人を連れて江戸から帰り、再建に尽くし、本堂内陣天井の『八方睨みの竜』と、壁に漆喰細工の天女一対を描きました。(静岡県有形文化財)

現在、浄感寺の本堂は「長八記念館」となっています。
<開館時間> 9:00~16:00(不定休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】

残念ながら、堂内は撮影禁止で長八の作品の画像はありません。


本堂の正面柱、梁、海老虹梁は江戸時代の名人彫刻師石田半兵衛邦秀の透かし彫りが彫られています。
これは一木で彫られた波の中に鯛が泳ぐ彫刻です。



こちらは波の中に亀がいます。









境内にある入江長八のお墓。



長八の像。



長八が使った鏝を集めた展示です。
どれも繊細な細工をするのにふさわしい小ぶりなものです。




次に、すぐ近くの「伊豆の長八美術館」に行きました。
入江長八の仕事を残し、伝統の左官技術のすばらしさも一般の人に知ってもらいたいという思いが、松崎町活性化事業と共鳴して、1984(昭和59)年に建てられました。
館内には入江長八の作品約60点が展示されていて、入口で拡大鏡をもらい、細かい部分まで鑑賞することができます。残念ですが、こちらも館内撮影はNGなので、長八作品をお見せ
できません。

<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】



建物の設計は石山修武氏で、1985(昭和60)年に建築部門の優れた作品を表彰する「吉田五十八賞」を受賞しました。



建築にあたっては、数多くの優能な技術者が全国から集まり、伝統の左官技術が建物や園内全体にちりばめられています。土佐漆喰の技も。



園内に左官技術の継承のために新しく作られたなまこ壁の建物がありました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(3)明治商家中瀬邸

2016-11-14 22:30:02 | 建物(静岡県)
松崎のなまこ壁の家の中でも特別立派な「明治商家中瀬邸」がときわ大橋のたもとにあります。

明治20年、呉服商家を営んでいた依田家はわずか数代のうちに財をなした大地主でした。昭和63年に母屋や土蔵など七棟からなる邸を町が買いとり、総合案内所やジオパークビジターセンターとして活用しています。館内には、当時の呉服商の再現、観光案内、地場産品の販売、喫茶などが設けられています。

<開館時間>9:00~17:00(年中無休)
<入館料金>大人100円、中学生以下無料



正面の蔵は松崎ビジターセンターとして、伊豆半島のジオサイトを展示しており、こちらは無料です。



蔵の入口の扉には鏝絵(こて絵、左官が壁を塗るこてで漆喰の絵を描いたもの)で龍と、


虎が描かれていました。



中瀬邸の前には時計塔がありました。
大正13年昭和天皇のご成婚を記念して青年団により建設され、昭和13年の水害で水没しましたが、昭和62年にまちづくりの一つとして、再建されました。漆喰で作られています。



中瀬邸に入ったところは土間に続くお店の間で、5つ玉のそろばん等当時の呉服商のお店が再現されています。



明治時代の着物も展示してありました。



人力車もあり。



座敷は喫茶コーナーになっていました。



家紋の橘の花模様がかわいい釘隠し。



店の間から繋がっている土蔵の入口です。蔵の扉は黒漆喰で塗られています。



蔵の中の窓にも鏝絵がありました。









蔵を外から見るとこんな感じのなまこ壁です。



中庭。




舟底天井の渡り廊下の先にはギャラリーとアトリエがあり、昔早場繭の産地だった松崎の様子を表す機織り機などが展示されていました。

別の部屋では現代の名工の鏝絵の実演コーナーもありました。



家の裏側の道路に面した所に足湯がありました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR御殿場線裾野駅

2011-10-11 02:35:48 | 建物(静岡県)
10月初旬に「そうだ、富士山を見に行こう!」と思い立って、1泊の旅にでかけました。

実は、そう思い立ったのはだいぶ前で、3月に身延線に乗って甲府、富士五胡に行こうと計画していたのですが、東日本大震災の影響で身延線が間引き運転になったりして、延期にしていたのでした。

それをまた思い立って、切符を買いに行ったら、今度は台風の影響で身延線は不通(代行バスで運転)になっているというので、今度は御殿場線からまわって富士五胡に行くことにしたのでした。つくづく身延線とはご縁がないようです。早く復旧してほしいものです。


新幹線三島駅から東海道線を一つ西に戻った沼津から御殿場を通って、小田原の東の国府津までが御殿場線です。

JR御殿場線は今は単線のローカル線になっているけれど、元は東海道本線で複線だったそうなのです。この区間は急勾配で山越えのための補助機関車やスイッチバックもあったのですが、昭和9年に丹那トンネルが完成して、熱海線が東海道本線となり、この区間は支線となったのです。今も線路の横に複線だった頃の名残が残っている箇所がたくさんあるようです。

富士山を見るのが目的だったのに、車窓からは全然お山は見えませんでした。雲に隠れているのか、元々見えない角度なのか・・・?



沼津から4つ目の裾野駅で途中下車しました。


この駅舎は明治22年開業当時のままですが、きれいに修復されて使われていました。










線路側から見たところ。



跨線橋の窓がかわいい感じです。


その鉄骨には廃レールが使われています。


駅前の通りは富士山に向かって続いているようです。

裾野から御殿場にかけて、車窓の左側は広く遠く続く大丘陵地帯、姿は見えないけれど巨大な富士山の存在が感じられます。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする