ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

馬路村への旅(5)田野の町と岡御殿

2018-10-25 00:47:13 | 建物(高知県)
ゆずの森加工場と金林寺を見てから、安田川沿いに村の道をぶらぶら散歩しながら宿に帰ってきて、11:30馬路発の高知東部交通のバスで馬路村を後にしました。

馬路村から高知市に帰る途中に少し寄り道をしてみました。
「安田中学校前」でバスを降り、すぐ近くの土佐くろしお鉄道の安田駅で奈半利行きの電車に乗換えました。12:48発、東へ一つ目の田野駅で12:52に降りました。

田野駅は道の駅「田野駅屋」を兼ねていて、お土産物や農産物の売り場と食事ができるお店があって、賑わっていました。
ここでお昼ご飯を食べて田野の町歩きにでかけました。



昔ながらの家が街道沿いに並んでいます。



これらの家の造りは、前に訪ねたことのある奈半利の町にたくさんあった漆喰壁造りの家に似通っています。
田野町と奈半利町は奈半利川をはさんですぐ近く、雨風のきつい気候の土地で、漆喰壁と水切り瓦の家の造りがこの地方の特徴になっています。



酒屋さんの土蔵も漆喰壁に水切り瓦です。
濱之鶴酒造です。



その近くにある「岡御殿」に行きました。
1844(天保15)年に建てられた豪商・岡家の屋敷で、土佐藩主が参勤交代や東部巡視の時に本陣として使った所です。
岡家は藩主山内一豊に従って大阪泉州から来た米屋でしたが、材木業、質屋業、回船業などで富を築き、田野五人衆の筆頭商人となり、名字帯刀、御目見え等の特権を許されていました。

展示資料館「岡御殿」
開館:9時~16時30分 
休館日:火曜日、12月28日~1月2日
料金:大人500円、中高生300円
別に1000円でお殿様、お姫様の衣装着用体験をすることができます。
田野駅より徒歩7分

敷地内には御殿、茶の間、土蔵、御成門などの建物が保存復元され、藩政末期の雰囲気を伝えており、三つの展示室に岡御殿の歴史、建築的特徴、岡家に伝わる品々が展示されています。
建物は格式のある書院造りで、高知県の有形文化財に指定されています。


玄関に昔の籠が置かれていました。戸や肘掛がついており、裕福な町人が使っていたものです。



三間続きのお座敷。手前から、控の間、次の間、上段の間。



次の間には大床があります。



上段の間は一段高くなった殿様が休憩した部屋で、本床と脇床があります。



その部屋の付書院。



廊下側から見た付書院。廊下は畳廊下の外側に板廊下がめぐらされています。



その上部の組木細工と釘隠し。



上段の間から廊下側を見ると、部屋の隅の柱が4本重なって見え、殿様が庭を見るのに妨げにならないようになっています。



欄間の組子細工もいろいろの種類があります。









釘隠し。



庇下には扇垂木が美しく配置されています。



庭の木・姥目樫(ウバメガシ)が刈り込まれて五本で一体の龍のように仕立てられ、東の庭の風水、青龍を現わしています。



お殿様のためのトイレ(砂雪隠)。
他に湯殿(浴槽はなく、殿様が水や湯をかぶり、身体を拭くための浴室)もありました。



裏庭と土蔵。



少し離れた所には旧岡家住宅(通称:西の岡邸)があり、岡家の分家で、脇本陣として随勤の重臣などの宿泊に当てられていた家でした。
こちらは無人で、自由に見学することができました。



西の岡邸の玄関。



お座敷。






こちらの施設は一時期倒壊の危機に瀕していたところ、地域からの声を受け建物の修復を行いましたが、庭が手つかずの状態だったので、タレントのユージさんも手伝ってここまできれいに修復されたそうです。


田野町には、この他に総理大臣浜口雄幸旧邸、海岸沿いの天日製塩施設、ちりめんじゃこ製造地、野根山二十三士処刑跡(土佐勤王党の武市半平太救出と藩政改革を訴えて、安芸郡の23人が決起し、野根山街道から阿波に抜けようとしたが、捕まって奈半利川河原で処刑された)などがありますが、時間がなくて、また今度にしました。

田野発15:03、高知着16:22の土佐くろしお鉄道の電車で帰ってきました。


馬路村への旅はこれでおしまいです。
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土佐漆喰の町・奈半利(2)

2016-11-25 01:03:22 | 建物(高知県)
奈半利の町の土佐漆喰の家も随分たくさんあって、歩き疲れてきたので、途中で一服することにしました。

唯一お家の中に入って見ることができたお宅、高田屋(竹崎家)さんで、蔵は資料館ギャラリーに、母屋の座敷が喫茶とお土産品販売処になっています。



右が蔵、左が母屋で、間が土間になっています。建築年代は明治23年頃です。



座敷の喫茶処。



お庭を眺めながら、



コーヒーをいただきました。



蔵の入口は防犯のため家屋内部にあり、水害に備えて一段高くなっています。

高田屋は藩政時代から樟脳の製造に携わって巨利を得、田畑・山林を購入して明治の新興地主となりました。三代目才吉は自由民権運動に参加、政界で活躍、四代目音吉は寺田寅彦と親友、夏目漱石の熊本時代の教え子、浜口雄幸の世話で大蔵省に入り、五代目達雄は昭和13年に高知に帰り、高坂女学校の教師を務めました。
その子孫の方が、河田小龍「土佐絵図」、古伊万里や九谷の絵皿などの調度品や工芸品、浜口雄幸・夏目漱石関連の写真や資料など、蔵のなかのお宝を見せてくださいました。

竹崎家(高田屋)蔵資料館は、9:00~17:00開館、入館料は無料です。



高田屋の向かいのお家も漆喰模様がきれいでした。



高田屋の南にある東山家住宅。
初代当主は製材業を営んでいました。主屋は1906(明治38)年頃の建築と伝えられ、つし二階建てで格子と戸袋がつく伝統的な商家のたたずまいです。



蔵は薬局の店舗に改装されています。敷地内にある便所・風呂場棟に藍色の装飾タイルがあるそうですが、見れなくて残念でした。



濱田典弥家住宅。
広い敷地に重厚な主屋・土蔵を持つ旧家です。現在の当主の曽祖父、幕末生まれの虎太郎により新築されました。当時、濱田家は奈半利町内に400人の小作人を持つ大地主でした。

主屋は1934(昭和9)年の築。当時の匠の技が随所に見られます。



土蔵は明治後期の築です。






皇帝ダリアが咲いている家がありました。



さらに水切り瓦の段数が多い蔵(住居?)がありました。

江戸・明治の古いものから最近できたようなものまで、水切り瓦を持つ土佐漆喰の建物がたくさん現役で使われている、奈半利の町はとてもおもしろい町でした。


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土佐漆喰の町・奈半利(1)

2016-11-25 00:47:52 | 建物(高知県)
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終着駅・奈半利で降りて、駅のイタリアン料理店でお昼を食べてから、奈半利の町の散策に出かけました。

奈半利町は高知県の東部、阪神タイガースのキャンプで有名な安芸と室戸岬との中間、奈半利川の東岸にある交通の中心地で、古くは紀貫之の「土佐日記」でも「那波の泊」として記録され、山内一豊が土佐に入国した時にも宿泊したところです。
上流の木材を奈半利川の水運によって運搬・集散していましたが、やがて森林鉄道奈半利線ができてからさらに発展しました。さらに明治以降、樟脳や林産物・捕鯨・製糸業もさかんになって、この地域の中心地となり、その頃の伝統的建造物が今もたくさん残っています。それぞれの建物に説明文がついていましたが、ほとんどのお家が今も住み続けておられる民家です。


高札場。
ここを起点として高知県東端の東洋町野根まで、50km余りの野根山連山を尾根伝いに越えて行く野根山街道が続き、718(養老2)年にはすでに利用されていました。



江戸時代の旅籠屋、西尾家住宅。
主屋は江戸末期、台所・蔵・納屋・レンガ塀・便所は大正初期の建築です。
明治7年の佐賀の乱に敗れ、高知で捕えられた江藤新平が泊まったといわれています。



このお家には説明板はついていませんでしたが、奈半利の住宅の特徴は、このような漆喰の壁に水切り瓦がついて強い雨風に当たっても大丈夫なように造られています。
土佐漆喰は消石灰に発酵させたワラすさを加え水でこねたもので、糊を使わないので水に濡れても戻りがなく、厚塗りが可能できめが細かくなっています。



奈半利町4号津波避難タワー。海に近い町なので、このようなタワーがあちこちにありました。



うだつのある家・浜田家住宅(増田屋)。
主屋・店舗・レンガ蔵は1903(明治36)年築、大蔵・蔵は江戸末期築です。1795(寛政7)年創業で造り酒屋と質屋を営んでいました。主屋一階になまこ壁、二階にうだつが付けられ、土間の梁は50cm角、長さ12mの松材で地域随一の大きさです。



大蔵(酒蔵)と蔵(米蔵と道具蔵)。



曲線を描いた塀。



レンガ蔵。寄棟造り桟瓦葺き二階建、内部に木造の螺旋階段があります。
奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船が帰りにバランスをとるために積んできたものです。



改田家住宅。
主屋は大正初期の建築で、敷地内に主屋・釜屋・便所・風呂棟等があり、周囲を石塀で囲っています。



南面の石塀は、浜石を両面に埋めこんで高さ2.1m、厚さ36cm、長さ23mになっています。



東面の石塀はこの家独特のものです。






次は、登録有形文化財、近代化産業遺産の藤村製絲株式会社繭蔵です。



1899(明治32)年築。当初は酒蔵でしたが、大正6年に四国で唯一の製絲会社の繭蔵となり、平成17年までここで操業していましたが、現在はブラジルで行っています。



6段の水切り瓦は奈半利で最も大きなものです。






敷地の周りの石塀も明治のもの。門の右側は丸石、



左側は浜石を半割りにして小口を見せたものです。




近くに高知県の天然記念物、二重柿(ふたえがき)の木がありました。



樹齢は推定100年。渋柿で、内皮と外皮の二重になっています。



森家住宅。
「土佐の交通王」と言われた実業家・野村茂久馬の元住宅で、蔵は明治中期築、主屋と東西南石塀は1918(大正7)年頃の築です。戦後は料亭が経営されていました。
主屋は入母屋、桟瓦葺、西面は下見板張り、上げ下げ窓の洋風意匠です。






東側の塀にはレンガのアーチ門があります。



野村家住宅。
主屋は1922(大正11)年頃、東と南の石塀は明治後期の築です。
藩政時代は年貢米を集める地主で、「倉床(くらとこ)」と呼ばれていました。門の中には曲線を描いた石塀があります。



元奈半利町農協の米蔵、斉藤家住宅。
1938(昭和13)年築の蔵で、昭和23年設立の奈半利町農業協同組合の倉庫として利用されていました。妻面は腰壁に下見板張り、土佐漆喰の壁に水切り瓦、明かり取り用の窓に鉄製の扉がつけられています。


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旧・旭浄水場取水ポンプ所

2007-08-11 23:28:44 | 建物(高知県)
今回見ることができた高知の近代建築はこれだけです。


旧・旭浄水場取水ポンプ所、今は旭公民館になっていますが、遠い昔の一時期には高知市民図書館の旭分館になっていたこともあって、利用したことがあるようなないような、おぼろげな記憶があります。

路面電車の蛍橋電停のすぐ前にあり、電車の通る広い道路から一段下がった小川と小道を隔てて、また一段高いところにあります。
元は、前面中央の門から向かいの道路まで橋が渡されていて、小道と川をまたいでいたはずです。

裏側の坂を登ったところが入り口になっています。

白いタイルがあちこち剥がれ落ちそうになっています。

取水ポンプ所から山側に少し歩いたところに旭浄水場があります。
取水ポンプ所を含めて1925(大正14)年に作られ、近代水道百選にも選ばれています。今も高知市の水道源として働いていますが、2005年から10年間かけて更新工事を行っていて、管理棟の六角の塔をちらっとしか見ることができませんでした。
コメント (2)
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堂々たる歯医者さん

2007-01-04 01:37:26 | 建物(高知県)
高知の近代建築探訪、今回はこの歯科医院しか見れませんでした。

高知市枡形に昔からある歯医者さん。
1925(大正14)年の建築です。

最近補修されたのか、窓枠などもきれいな色に塗りかえられていました。
この門から入って診察してもらうには勇気がいりそうです。
コメント (2)
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