ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

これでいいのか京都 シリーズ(8)貞教小学校跡体育館をウォッチング

2021-08-14 15:39:33 | これでいいのか京都
川端通り七条の京阪七条駅から川端通り沿いに少し北に歩いた所に、元貞教小学校があった場所に、京都美術工芸大学東山キャンパスの建物があります。



 貞教小学校は下京第29番組小学校として1869 年に開校した歴史のある学校ですが、新設する東山小学校との統合に伴い、2002年に閉校となりました。
その跡地を京都市から借り受けて、2017年4月から学校法人二本松学院(本部:京都府南丹市園部町二本松)の東山キャンパス(美術工芸学科・建築学科)が開校しています。
学校法人二本松学院「京都美術工芸大学」は、元は「京都国際建築技術専門学校」、「京都伝統工芸専門学校」などと変遷してきています。


 校内の建物配置図です。上部に鴨川、川端通りが描かれていて、キャンパス内は川端通り側の西館と、北館、東館、南館と体育館がグラウンドを囲んで並んでいます。1950年代から70年代にかけて建てられたRC造3階建ての校舎のうち、北校舎と東校舎を耐震補強や改修し、リノベーションして再利用しているとのことです。



東館。川端通りの一本東側の蛸町通りに面しています。

東館の南側、蛸町通りに面して1990年に完成した体育館(平屋722平方㍍)があり、住民の指定避難所になっていました。当初、二本松学院が京都市の学校跡地市民提案制度でキャンパス構想を提案した際には、体育館はそのまま残すとなっており、2015年9月に貞教自治連合会、市、二本松学院の三者が覚書を交わして合意した「跡地活用計画書」にも、「体育館は現状のままで活用」し、「地域の防災拠点としての地位を引き継ぐ」としていました。
ところが、後になって、定員増に伴って、教室が不足するという理由で、体育館を壊し、新しく建て直すことが大学側から提案されてきました。計画では体育館を半地下にし、その上を3階建ての教室にするというのです。
 ここは鴨川のすぐ側で、川端通りよりも低い土地になっているので、洪水の時には半地下では水につかることが容易に想像できます。停電や地震となればエレベーターはストップし、高齢者や障害者が地下の体育館に避難すること自体が危険であり、困難なことは明らかで、2019年10月9日に開催された住民説明会では、不安や疑問、反対の声が上がりました。

2020年1月28日に見た時には、体育館の周りにはこのようにカバーが巡らされ、工事が始まった様子でしたが、

 
2月末には体育館の建物はすっかり壊されてなくなり、2021年5月には体育館跡地の教室棟はできあがっていました。



(2021年8月14日追記)
この1週間、秋雨前線が連日西日本を覆い、京都市でも朝から土砂災害注意のメールが鳴り響いています。鴨川の水嵩も増し、濁流が渦巻いて流れています。半地下の避難所はこんな時どうするのだろうと心配でしたが、尋ねてみると結局、水害時の避難所は京都国立博物館の部屋を使うことになり、地震の時の避難所は京都美術工芸大学の教室を使うことになったそうです。夏祭り、運動会などの地元の行事については、大学と地元との協議が続いています。
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これでいいのか京都シリーズ(12)清水小学校跡地がホテルに

2021-04-19 01:21:18 | これでいいのか京都
東山区清水小学校の跡にもホテルが建ち、2020年秋から営業を始めています。「ザ・ホテル青龍 京都清水」です。
2021年4月18日、偵察のため喫茶だけでも、と出かけてみました。しかし、よく調べて行かなかったので、場所がはっきりせず、建物は見えるのに入口がわからず、周りをぐるぐる廻ってだいぶ手間取りました。


八坂の塔の東側にあります。


結局、ここが入口でした。門番がいてものものしい雰囲気です。


元の校舎がホテルになっています。


元の校庭でしょうか、芝生が貼られて庭園になっていました。
元学区の住民達が運動会をしたくてもできそうにありません。


芝生の庭に面した回廊を通ってホテル棟に入っていきます。



回廊から右手に見えるホテルの建物。傾斜地の地形を利用してうまく校舎が建てられ、素敵な学校だったことがわかります。


廊下がホテル仕様にアレンジされていました。


ホテルの中に入っても、ロビーらしきものもなく、案内する人もおらず、指示に従ってエレベーターで4階まであがるしかありません。喫茶室は4階に続く屋上にあり、見晴らしがよく、清水から京の町を見おろすことができます。しかし、あいにく雨が降り始
め、屋上喫茶は閉鎖になったので、セレブ・ティーをあきらめ、引き返してきました。
やはり、ここは庶民の近づく所ではないようです。

住民自治のための建物も片隅に追いやられ、すっかりホテルに占領されてしまった清水小学校跡地でした。

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これでいいのか京都シリーズ(15)宮川町歌舞練場をウォッチング

2021-02-07 02:22:13 | これでいいのか京都
大和大路四条下がるにある元新道小学校から道ひとつ隔てて西側に宮川町歌舞練場が建っています。
 
 
 
 
こちらは1916(大正5)年に建てられた入母屋造りの木造建築で、宮川町の芸舞妓が技芸を学び、発表する場所ですが、地上3階、地下2階に建替えられ、新道小学校跡のホテルと連携した運営を行う予定だそうです。
 
その北側に3階建ての地域施設棟が建てられ、1階は児童館、2階は避難所にもなる多目的ホール、3階は備蓄倉庫とし、地下は自治会活動スペースになりますが、それでも地域のために使えるスペースは全体で490平方メートルにすぎません。
 
ホテル・歌舞練場とも2025年夏頃に営業を始めるとされています。
 
 
西側から見ると入口はこうなっています。
 
 
技芸スケジュールが掲げられています。
 
 
そこから宮川通りのしっとりした通りが続いています。
 
 
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これでいいのか京都シリーズ(14)元新道小学校をウォッチング

2021-02-07 02:19:40 | これでいいのか京都

京都市立新道(しんみち)小学校の跡はホテルになろうとしています。

2021年2月6日、元新道小学校をウォッチングに行きました。

 

新道小学校は四条通りの南座の東側一筋目の大和大路を下がった所にあります。1869(明治2)年に開校、2011(平成11)年に閉校し、開晴小中学校に統合されました。
 
 
京都市はその跡地を東京のNTT都市開発を契約候補事業者に選定、今後同社と60年間の貸付契約を結び、地上4階、地下2階、89室のホテルを建てる予定、市には年1億円程度の貸付料が入ることになります。

しかし、住民に対する説明は、学区の25町の町内会長などに限定し、新型コロナ感染拡大を理由に質疑応答なしで行われました。(2020年10月30日)

 

ホテルは学校の敷地いっぱいに建てられ、グラウンドはなくなってしまいます。グラウンドでは閉校後も住民が運動会や夏祭り、餅つき大会をはじめ、地域の防災・消防分団の訓練、ソフトボールの練習なども行われ、地域コミュニティーの核となっていました。
 
 
校舎では学区民交流のための文化教室「ふれあいサロン」などが開催されてきました。学校の敷地約4000平方メートルのうち、消防分団詰め所と新たに設置される地域交流スペースの合計で約120平方メートルだけが地域のために残されます。

グラウンドを使った催しやふれあいサロンでの社会教育の場は失われてしまいます。ここでも京都市は小学校跡地を儲けのために提供し、ホテルに変えてしまって地域の絆を奪い去ってしまおうとしているのです。

ホテルと隣の歌舞練場ともに2025年夏頃に営業を始めるとされています。
 
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これでいいのか京都シリーズ(13)弥栄会館をウォッチング

2021-02-07 02:18:58 | これでいいのか京都
2021年2月6日(土)、改装される弥栄会館を見に行きました。
 
観光客であふれる祇園花見小路を四条通りから下がって行くと、
 
 
右手にあります。
 
 
和風のお城のような外観です。
外観だけを残して、中はすっかり変えられてホテルになります。
 
 
 
 
工事予告が出ていました。
 
 
花見小路を下がって東側から見て、
 
 
北側に回りました。
 
 
こんな看板が出ていました。
 
 
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これでいいのか京都シリーズ(11)ホテルになった旧立誠小学校

2020-09-17 00:56:18 | これでいいのか京都
2020年7月21日にホテルが開業した中京区木屋町通りの旧立誠小学校跡を9月14日に見に行ってきました。

1869年開校、現在の建物が1927年に建てられた元の立誠小学校。1993年に閉校になり、その後は地域住民の交流活動や映画館、文化発信の場所として活用されていました。
しかし、京都市が東京資本のヒューリックに土地を貸し出し、旧校舎を改修し、その後方に8階建てのホテル棟を建てて開業したのです。

2007年7月に訪ねた時の様子は こちら


高瀬川をまたいで木屋町通りに面した正面玄関側の外観はほぼ元の通りでした。



玄関。



校舎北側の1階は自治会活動スペースになっています。



その西側は消防分団詰所と地下自転車置き場の出口になっています。



旧運動場の西側にホテル棟が建っています。



184室の巨大なホテル。ホテル名は「THE GATE HOTEL 京都高瀬川 by HULIC」です。コロナ禍の中、どれだけの部屋が稼働しているのでしょうか。



正面玄関を入ると、昔と大きく変わってビックリすることは、明るい廊下の両側に商業店舗が並び、きらびやかなスペースになっていることでした。
以前は薄暗い廊下と階段が続き、懐かしい木の香りが漂っていたのですが、すっかり変わってしまって、ガッカリでした。
店舗は複数のカフェ、ビアダイニング、アイスクリーム、レモネード、台湾フードなど、たくさん入っていました。店舗部分の名称は「立誠ガーデン ヒューリック京都」です。



突き当りにはホテルへの入口があり、その前がロビースペースになっています。



ロビーの隅には、小学校で使われていたピアノが置かれていました。




ロビースペースから左に折れると元の運動場に人口芝が張られ、オープンスペースになっていました。周りが屋根付きの回廊になっていて、若者達が思い思いに座って憩っていました。
しかし、旧校舎の元の写真と見比べてみると、左側が窓一列分くらい削られていることがわかります。



そこに面した部屋が図書館になっていましたが、閉っていて中に入ることはできませんでした。



その隣の部屋は「立誠ホール」として、図書館と隣のコーヒースタンドの飲み物だけ持ち込みができますが、狭くてお粗末な会議室という感じでした。



台湾ラーメンとタピオカのお店が運動場を見渡せる位置にあったので、食事しました。



食前に皇潤紅茶のサービス、麵は五香湯麵。


旧校舎の二階以上には入れませんでしたが、裁縫用の和室などはどうなったのでしょうか?
外観は美しく整えられたけれど、建物の中身はすっかり入れ替わって、立誠小学校の名残りはなくなっていました。
災害時には避難所としての役割を十分に果たすことができるのでしょうか?

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これでいいのか京都シリーズ もくじ

2020-03-20 00:44:15 | これでいいのか京都
京都が京都でなくなる、最近の京都の町の破壊状況はひどいもので、あちこち見て回って実感してきました。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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これでいいのか京都 シリーズ(6)仁和寺前ホテル建設地をウォッチング

2019-11-17 23:19:32 | これでいいのか京都
2019年11月16日、京都市美術館をウォッチングした後、西に向かい、御室仁和寺に行きました。


仁和寺の仁王門のすぐ前、バス道路を隔てた南側に、



広い空き地があります。ここにホテルが建てられようとしています。



仁王門から見ると空き地の奥には、兼好法師の徒然草で有名な双ヶ岡があります。
ここにホテルができると、双ヶ岡は隠れて見えなくなってしまいます。



西側を見ると、西山の山々が並んでいて、ちょうど日が沈むところでした。ホテルができると、この景色も見ることはできまくなります。
仁和寺の北側には御室八十八ケ所霊場の丘もあります。



空き地の南側は一段低くなっていて、そこには民家が並んでいますが、ホテルができるとこちら側からは仁王門は完全に見えなくなってしまいます。



この辺りは「歴史的風土当別保存地区」に指定されています。
さらに、世界遺産のバッファゾーンであり、風致地区、特別修景地域、歴史遺産第一種地域に指定され、敷地規模、景観眺望、住環境などに留意するように厳しい規制がかけられてきた所です。宿泊施設であれば延べ3000平方メートル以内しか建設できない第1種住居地域なのに、京都市がにわかに作った「上質宿泊施設誘致制度」の適用第一例にして規制緩和をし、延べ約5800平方メートルのホテルを建てようとしています。事業主は国内外でホテルや寮事業を手掛ける「共立メンテナンス」(東京都)で、地下1階、地上3階建てを計画しています。

景観問題の他にも、静かな住環境の破壊、仁王門前の道路の混雑、渋滞、交通事故の心配、地下水脈が断ち切られることへの不安などが考えられます。

京都市が率先して「上質宿泊施設誘致制度」を導入することで、ホテル業者などの事業者の金もうけが優先されようとしています。兼好法師の時代から受け継がれ、住み続けられてきた、仁和寺周辺の風情あるたたずまいは、一度壊されると二度と取り返すことができなくなります。
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これでいいのか京都 シリーズ(4)南禅寺参道のホテル建設地をウォッチング

2019-11-09 00:45:04 | これでいいのか京都
2019年11月8日、南禅寺参道の風致地区に、明治からの庭園別荘地の景観を壊してホテルが建てられようとしているというので、現地を見に行ってきました。


仁王門通り東大路から東に行くと、京都市動物園の向かい側、琵琶湖疏水を挟んで南側に、元料亭「ギンモンド」があった跡に、東京資本のヒューリックが4階建てのホテルを建てようとしていて、すでに周りが工事用の塀で囲まれていました。



東側は小道を挟んで、山形有朋の別荘「無鄰菴」に接しています。
無鄰菴の庭園から母屋の方を見ると、二階建ての和風の屋根の上にホテルの洋風の建物が聳えているのが見えて、無鄰菴の景観は台無しになってしまいます。ヒューリックは無鄰菴に面した側には大きな木を植えて目隠しにすると言っていますが、木は枯れたり、変形したり、光は透して目隠しにはなりません。



南側すぐ裏には料亭「瓢亭」があります。瓢亭の裏側のホテル建設現場には大きなクレーンが立っていて、異様な光景です。瓢亭は400年以上経った建物と苔むした庭園が微妙な光と風のバランスの中に独特の風情を醸し出しているところです。すぐ隣にホテルの光や熱や騒音が当たってきては、その趣はたちまち壊されてしまうことになります。



南側の民家の側にも出入口が付けられると南禅寺参道の静かな雰囲気はなくなってしまいます。

元々、ホテル予定地の土地は、琵琶湖疏水を作った時に掘り上げた土を盛ったので、周りの土地よりも約2メートルも高くなっており、無鄰菴、瓢亭、民家、隣のマンションとの間は擁壁で囲まれているのですが、工事に当たって、しっかりとした擁壁保護工事が行われていないので、とても危険な状態になりそうです。

岡崎南禅寺別荘群の景勝の地に、似つかわしくない高い建物が建てられようとしているのに、京都市は景観と環境を守ろうとせず、さっさと許可してしまうとは、観光を売り物にしていながら、自ら景観を破壊しているのは信じられない姿勢です。
せめて、建物の高さを3階以下にして、付近の景観に合わせた和風の建物に変えさせるなどの指導と規制をすることが必要です。

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これでいいのか京都 シリーズ(3)植柳小学校跡地をウォッチング

2019-10-30 15:54:43 | これでいいのか京都
2019年10月29日に、タイ企業のホテルにされようとしている元植柳小学校を見に行きました。

七條通りの北、東本願寺と西本願寺の中間の地点にあります。



4階建の立派な学校の建物があり、運動場には地域の運動会が開かれていたようで、万国旗が飾られていました。



体育館も昭和のなつかしい感じが残った建物です。



二宮金次郎さんもまだお勉強したはりました。

京都市はこの土地をタイの企業に貸し出し、運動場も含めて敷地いっぱいにホテルが建てられようとしています。



学校跡地がこれまで果たしていた災害時の避難所の役割はどうするかといえば、学校の南側にある公園を潰して、地下に避難所を作るというのです。



地下の避難所なんて、電気も使えない災害時にお年寄りが降りていくこともできません。トイレの度に上がってくることもできません。さすがにこれは全くお話にならないので、地下避難所の話は撤回されたようですが、先行きはどうなることか、学校跡地を住民のために使えるようにしてもらいたいものです。また、こんなことで子供のための公園がなくされるのも信じられない京都市の姿勢です。



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これでいいのか京都 シリーズ(2)大宮交通公園が削られ、ゴーカートも廃止に

2019-09-28 23:45:08 | これでいいのか京都
2019年9月28日、京都市北区にある大宮交通公園に行きました。
遊びながら交通ルールを学べる施設として、1969年に開園した公園ですが、2021年に再開園する予定で、9月末に休園するというので、この日に初めて行ってみたのです。


北区玄以通りと船岡東通りに面して木々に囲まれた一画の中にあります。




入口の建物を抜けたところに、街に見立てて、信号や横断歩道、ゴーカートの道路があります。


全体像の模型。



ここのメーンは何と言っても、ゴーカート。
休園までは、ゴーカートは木・土・日・祝日のみ運行、春休み、夏休み期間は毎日運行。
火曜日は公園の休園日でした。




入園は無料。ゴーカートは単席200円(小学3年生 - 中学生)、複席250円(小学2年生までの児童と高校生以上)。しかし、この日は休園前ということで、無料!の大判振る舞いでした。



ゴーカートの乗り場に行列ができていました。



ゴーカートは走る。



森の中の道を走っていきます。



休園3日前の土曜日ということで、たくさんの人が訪れていました。



自転車の乗り方教室。



パントマイムのピエロもいました。




屋台も出ていて、芝生で食事をしたり、くつろぐ家族連れも多く。



かつて加悦鉄道を走っていた蒸気機関車C-160があり、



京都市電で使用された路面電車(N06)も保存されていて、




その中には本が置かれていて、自由に読むことができます。


他に、ジャングルジム、大きなすべり台などもあり、桜の花見、森の中の散策も気持ちよさそうです。

船岡東通りに面した東北のこの一画3,000平方メートルが削られ、木が切られて、北消防署が移転してくることになっています。



今は北山通りにある北消防署。大きな通りに面したこの位置でなぜ建て直しできないのだろうか、わざわざ交通公園の敷地を狭めて、木を切り倒して消防署を建てるなんて。子供に人気のあるゴーカートの運命もどうなるかわからないとは。
移転計画に疑問を抱く地元住民らによって「大宮交通公園をよくする会」が結成され、説明と住民合意を求めたけれど、京都市からの十分な説明もないまま工事が進められようとしています。

【2020年3月4日追記】
京都新聞によると、大宮交通公園の再整備計画がまとまり、市は公園の運営事業者として、大阪市の大和リースに委託し、使用料として年間約160万円を受け取り、大和リースは飲食店、自転車修理店を運営し、おもしろ自転車の体験乗車(有料かも)などを行う、しかし、ゴーカートは廃止することになったそうです。京都市が子どもの楽しみとなる公園事業から手を引き、業者の営利事業に委ねるというひどい計画です。

北山通りの消防署を交通公園の一画に移転してきた跡は高く売却して、市の儲けにしようという魂胆でしょうか。

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これでいいのか京都 シリーズ(1)壊される京都をウォッチング

2018-06-03 00:04:47 | これでいいのか京都
京都が京都でなくなる、最近の京都の町の破壊状況はひどいものですが、その兆しが顕著になってきた頃からの現場の様子を見に、2018年6月2日にウォッチングに行きました。


先ずは、下鴨神社の参道、両側に生えていた大木が切り倒されてマンションが建てられました。下鴨神社が土地を50年間貸し出して富裕層向けのマンションを建てたのです。しかし、出来上がって2年も経つのに分譲物件はまだ売り切れていなくて、未だに広告チラシがまかれています。



次は北白川天神裏の小山、住宅開発会社が山を削って宅地にして売り出そうとしていましたが、住民の反対運動で、かろうじて一部分だけの開発に止どめ、緑を残すことができました。



次は、京都御苑東にある梨木神社。鳥居の中の参道をつぶしてマンションが建てられました。鳥居の中にマンションがあるとは!京都人が呆れ果て、顰蹙を買った最初の事例です。



次に、京都会館。50年間のネーミングライツが企業に売られ、「ロームシアター京都」と名前が変えられてしまいました。



しかも、前川國男設計の文化財となろうとしていた貴重な建物が建て替えられて、変な色の巨大な壁の建物になってしまいました。



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