いわゆる黙示録について!!
聖書をあまり読まないとき、それでも黙示録については、読み、聞き、そして考えた。
黙示録は、その名の通り、はっきりと言わず、暗黙のうちに意志や考えを示すことの記録であるので、実はよくは分からない部分が多い。しかし、逆に、はっきりと言ってないことで、解釈する側から、あらゆる事に引用され易い。
とりわけ、世の終わり、終末論には欠かすことの出来ない章である。最近では、陰謀論では、必ずと言って良いほど引用される。例にもれず、『読み、聞き、そして考えた』きっかけは、それではなかったかと思っている。そこで、虚心坦懐に再読した。
ヨハネの黙示録 / 1章 1節~最終章節
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起こるべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。・・・・(中略)
この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべきぶんを、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。
いわば、これは霊界物語であって、めくるめく象徴の世界である。しかし、その象徴は、現状の世界を見事に言い表している。具体的ではないが、ある意味、図星と思えるような具体事例をちりばめている。議論されるところは、これは、何時の時代の黙示であるかという点である。 新約聖書が登場して、約2000年。常に、その間、この黙示録は議論されてきたであろう事は、よく解る。新参者の素人が、この議論に参加する資格はないことは重々承知しているが、今の現状に鑑みると、今しかないというのが正直な感想である。
『すぐにも起るべきことを.....云々』というと、何時の時代にも、『今しかない』と感じ、終末論議があったことが頷ける。それはそれで、キリスト教がある意味で、緊張感を保ってきた所以であろう。最後の審判と終末論は、キリスト教の本分である。しかし、これは読み方である。
最後の審判には、2つある。1つは個々人にある最期、つまり、肉体の死である。肉体の死により、霊の生まれがある。その時、例外なく、霊による審判がある。肉の罪をどのように裁くかは、それぞれの霊の範疇にある。
もう一つは、人類全般に渡る最後の審判である。いわば、集団審判である。これは、永いスパンであるものと考える。文明の人類世界の『立て替え立て直し』である。このことを黙示していると考えると、もうぼつぼつかなと思われる。これは救世主『キリスト=神』たる役目と考えると、この黙示録は現実味を帯びてくる。
そして、終末とは何か。? 世の終わり、世相の終わりである。今の世相は、肉の世相である。肉の世相とは何か。利益欲得の世相である。そして、それは支配と奴隷の格差を生む世相となった。又、真顔でそれを進捗(しんちょく=進めること)しようとする輩がいる。今では裏に隠れているが、表面にまさに出ようとしている。そのことは『シオンの議定書』等読めば、如何に取り繕うと透けて見えてくる。
又、最近でOne World Orderなるモノが叫ばれ、世界統一支配体制が吹聴される。ブッシュがそうだし、実はイランの大統領Mahmoud Ahmadinejadも同じ見解なのである。
2つのマスクの下には同じ顔
イランの大統領Mahmoud Ahmadinejadはグローバルゼーション研究の国立センターの記念式典で次のように語った。「今日の人類が最も必要としているのは世界統一政府である」
全世界で一つの法律は人類が最も必要としているものだと提案した後、大統領は続けて、「世界には何千もの法律があるので、国際化された社会が均衡がとれ、正義が行われ、安定した状態に到達するのを望むことは不可能だ」と語った。
よく見て欲しい。あのイランとアメリカの大統領が、同じ穴の狢であるという現実を。斯くほどに偽善の横行している時代はない。もうそろそろ、終末にしなければと思うのは、神=救世主ならぬ一介の市民の感想である。
紙数の関係で、黙示録を全編紹介することは出来ないが、霊性を知り、肉の罪を認識し、善を採り、偽善を排する見解をもって世相を厳しく見ていくと、『ヨハネの黙示録』ほど面白く、勇気づけられる書物はない。いろいろ黙示録があるが、やっぱり聖書の黙示録は一級品である。