つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

3年ぶりの町文化祭

2022-10-30 | 文化

 昨日から二日間、岐南町も3年ぶりに文化祭を開催。今年は50回目です。一昨日は展示に行きました。そして本日は取り外し、という慌ただしさです。短歌教室の展示も、ほぼ昔通り。皆さん、手慣れたもので、あっという間に出来上がりました。

 昨日は全体のものも拝見し、目立った作品群は、ステンドグラスとパッチワーク。どちらもプロのようでした。しかしパッチワークを指導する友人のNさんから、年齢のこともあり、「今年で出品は終わりにするわ」、と聞き、驚きました。毎年特別広いスペースで展示されていましたのに。Nさんとは昔、共に民生委員をしていました。わが教室もあと何年参加できるかはわかりません。

 短歌作品解説の上に置いたのは、ローゼル。赤い蕾がきれいな植物で初めて見るものです。真ん中あたりに置いてある刺のある丸いものは、フウの実。Fさんが毎年持参下さいます。

 老人の余暇という部屋では、12支の彫り物が並べてありました。こういう趣味もよいものと思いました。わが午年の守り本尊は、勢至菩薩であることは存じていました。

 

右の長いものはローゼル

12支が彫られています

12支の説明

友人のNさん指導のパッチワーク

ステンドグラス

この時間の当番は短歌会のSさんとTさんでした

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音楽療法 2

2022-10-28 | わが家

 昨日は先月に続いて、音楽療法として、濱島先生のバイオリンコンサートを開きました。前回と全く違うメンバーでしたので、同じ曲をメールでお願いしていました。ツィゴイネルワイゼンは、先月の約束に従い弾いてくださいました。但し全曲ですと、8分にもなるので、知られている旋律を中心にして弾いていただきました。シューベルトのセレナードなどの名曲は何度聞いてもよいものです。リクエストは、Sさんは千の風に乗ってと、私はスコットランド民謡の庭の千草をお願いしました。

 12月7日には岐阜市内でコンサートを開催されます。3つ下の妹さんも舞台に立たれます。妹さんも多忙でなかなか日程の調整が難しかったとか。友人と聞きに行くことにしていて、チケットをこの日お願いしていました。その日も楽しみです。

 皆さんからたくさんいただき物があり恐縮してしまいました。いつも手作りお菓子を下さるNさんからは、バイオリンの形をしたクッキーとシフォンケーキ。彼は、亡くなられたお父上はバイオリニストだったとか。最新の曲をリクエストされていました。20年ぶりにお目にかかれたOさんからはシャインマスカットと、国立西洋美術館の干菓子を頂き申し訳なかったです。

 

 

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間接の情報ながら

2022-10-27 | Weblog

 ブログの他に趣味人倶楽部にも日記を書いていますが、そこで知り合った東京のIさんの記事をコピペしました。一体このまま日本はどうなるのかと危惧を覚えました。日々の新聞もテレビも何の役にも立っていないことが分かりました。くだらない報道をして、国民の気を散らせている間にここまでの状態になり、海外から笑いものにされているとは知りませんでした。写真はホテイアオイ。

 

https://m.facebook.com/hideto.kinoshita.77/videos/787140049377701/?_rdr

 

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英会話プラスアルファ

2022-10-25 | 学校

 いつも英会話のエランガ先生の余談が楽しみですが、まず昨日のことを。今のコロナワクチン事情のことです。日本は、国民五度目分のワクチンを買い込んでいるので、政府は消化を急がなければならないこと。

 そんなに何度もワクチンをいろいろ打ったら体の免疫がどの菌に作用すべきか忘れてしまうのだそうです。それより、お勧めは帯状疱疹のワクチンだそうです。少し価格が高めですが、試してみる価値はあるとか。

 10年くらい前、素人の歌手スーザンボイルさんの歌は、素晴らしかったので、授業中にもスマホから聞かせて貰いました。ところが彼女は数年前からひきこもりとなってしまい、歌えなくなったそうです。普通の主婦が、急に多忙な歌手生活となり、体が受け入れなくなったようです。

写真は、先週長男が関東に仕事に行く途中で寄ってくれたので、近くのネパール人の営むカレー店に行った時のもの。店に入るときつい「ナマステ」と言ってしまいました。ネパールへ行った時のことを思い出して。

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歴史と芸術の国イタリア

2022-10-23 | 文化

 昨日は羽島文化センターで、国際交流のつどい「イタリア」が3年ぶりに開催されました。最初は、岐阜日伊協会会長の岩田さんの講演から。イタリアに長く滞在しておられました。テーマは、「イタリア20州の文化と特色」。次に尾州毛織物関係の代表者の講演。そしてカンツォーネ。最後は、日本人男性と結婚して岐阜に住むイタリア人がイタリア中世の衣装で登場。イタリアは東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれていた時代もあり、独立し、共和国になったのはごく近世です。日本のように2000年以上歴史のある国ではありません。

 岩田さんの講演は、30年前のイタリア旅行を思い出させました。二度行き、フィレンツェも行ったのに、そこと岐阜市が姉妹血縁していることは知らなかったです。中心に長良川が流れているように、その町の中心には川が流れているという共通点があることから。アルベロベッロが岐阜県高山市と姉妹血縁していました。合掌作りの屋根に特徴があるということで。

 毛織物の世界三大産地が、英国とイタリアと日本の尾州であることも知らなかったです。英国は、発祥地でありますが、尾州つまり、一宮市、羽島市は、イタリアとの交流がさかんのようです。よい毛織物には、軟水であることが大切らしく、木曽川が軟水であり、他の産地の水も同じらしいです。他より軟度が高いそうです。40年くらい前、人から勧められメリノウールのセーターを買い、長く着用していました。それ以来聞くメリノでした。

 カンツォーネは、イタリアに6年留学し、歌唱力を極めてこられた宮崎さんによるもので、日本語とイタリア語で披露され、どれも素晴らしかったです。サンタルチアで締めくくられました。

 日本人男性と結婚して、岐阜市内でイタリア料理店を営むナオミ(名前は聖書にもあるもので日本の直美さんとはちがいます) さんは、37歳。中世の衣装もお似合いで素敵でした。袖が長いのが日本の着物に似ていますが、付け方が違います。

 なお、日伊でのカップルは、大半はイタリア人男性と日本人女性によるもので、奥さんがイタリア人のケースは大変珍しく、岐阜県でも一組だけです。奥さんが日本人女性のカップルは、10組あるようです。

最下段の写真は、余りにもイタリアで見たアーモンドの花が綺麗で、その後国内の業者から苗を取り寄せ、花を咲かせたもの。しかし、実は3個しかなりませんでした。これは2016年3月に咲かせたもの。その後枯れてしまいました。

右がナオミさん

アーモンドの花

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公民館短歌会 179

2022-10-22 | 短歌

 昨日は、秋らしい好天に恵まれた一日で、予定通り公民館短歌会を開催しました。今月末の3年ぶりの文化祭に合わせて、出詠作品を決めて、目録を作らねばなりません。3年間の作品から選ぶことになっています。会員二人は明治神宮献詠会に入選されていますので、その作品を出していただくことにしました。よい記念になるからです。地方の短歌大会と違い、出詠料も無料ですし、しかも記念品までいただけますので、競争率も高く、全国から寄せられ、レベルも高くなります。しかも一人は、2020年度NHK介護短歌100人一首にも選ばれEテレでも放映されました。この作品も文化祭で展示されます。こちらも出詠料は無料です。

 大抵の地方大会は運営費もかかるし、選者に謝礼や交通費も払わねばならないので、出詠料が必要になります。

今月の一首

遥かなる鈴鹿山脈眺むれば施設の妹今日も浮かびぬ   Hさん

 これまでは、往復Sさんの車で公民館まで送迎していただいていたのですが、20年ぶりに当町にも先月からコミニティバスが走るようになりました。わが家の前の在宅医療クリニック停留所から2分で公民館前に行けることになりました。

 写真は今年のシュウメイギク

 

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健康寿命の実態

2022-10-20 | 講演会

 昨日は、中部学院大教授で看護リハビリテーション学部学部長の大森先生(東大医学部出) の講義を聞きました。月一度のサンサンの会の講座です。テーマは、健康寿命の実態。もう7年目で、毎回休憩時間には手作りのお菓子が出されます。昨日は自分の畑で作られた栗で作られたきんとんでした。この日は友人に栗をいただき、茹でたいです。きんとんは60年くらい前に作りましたが、手間がかかりすぎこりごりしました。

 85歳まで健康に生きられた人は、平均的にピンピンコロリで、その後は寿命まで元気に暮らせるようです。亡くなる5年前から徐々に体重が減少するというデータもあります。亡くなる一年前はからは、更に減少が甚だしいようです。100歳以上は今は8万人ですが、比率は今も昔も日本では、人口の0.005%で、変わらないとか。

 日本では、平均寿命が男性は79歳で健康寿命が70歳。女性は、平均寿命が86歳で健康寿命が73歳とか。健康に支障をきたす原因は主に高血圧と腰痛とか。世界的に長寿の国は、アイスランドと、スイスと、ノルウェーと言われていますが、極端に人口が少ないので、単純に比較することはできないそうです。

 現代の日本の高齢者は、活力も、資力もあり、高学歴も多いし、専門知識や技術を持つ人も多いし、数も多いので、発言力もあり、ひと昔前の老人とは全く違うそうです。コロナ情報も交えて有意義な時間でした。

 早めに着きましたので、二階の図書室でくつろぎました。この長いソファは籐で出来ていてとても固くてクッションはありません。

 

くりきんとん

 

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外交的敗北日中友好の50年 2

2022-10-18 | Weblog

前日のつづきです。伊勢雅臣氏のメルマガより。

■4.「賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ」

 訪中前に田中が心配していたのは、戦争の賠償問題でした。とてつもない金額を要求されたら、日中国交正常化への国民の期待も一挙に失われ、それを旗印にしていた田中政権が吹き飛ぶことは間違いありませんでした。

 その状況を把握していた周恩来は、公明党の竹入義勝委員長を北京に招待しました。公明党・創価学会は中国がかねてから重点目標として、池田大作・名誉会長には120以上の名誉教授などの称号を贈りつづけ、また竹入委員長も、周恩来首相自ら日中国交の希望を伝えていた人物でした。

 周恩来は竹入と会って、直接、賠償問題を持ち出しました。「毛主席は賠償請求権を放棄すると言っています。賠償を求めれば、日本人民に負担がかかります。そのことは中国人民が身をもって知っています」と言って、日清戦争後に日本に払った賠償の重さを語りました。後に竹入はこう書いています。

__________
 私は五百億ドル(注=十五兆円以上)は払わなければと思っていたので、全く予想もしない回答に頭がクラクラした。周首相は「田中さんに恥をかかせませんから、安心して中国に来てください」と自信たっぷりにいった。[門田、p160]
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 竹入の帰国後、この報告を受けて、田中は訪中を最終的に決断したのです。

 この点について、佐藤慎一郎・元拓殖大学特任教授は門田氏にこう語っています。佐藤教授は、辛亥革命で孫文を助けた山田良政、純三郎兄弟の甥で、満洲や支那大陸に深く潜行して晩年の純三郎を助け、戦後も内閣調査室で中国情報の分析をおこなって、時々の総理大臣に中国情勢の解説を行った人物です。

__________
 賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ。これで際限なく日本から資金を引き出せるわけだからね。一度で終わらせるのではなく、延々とつづけさせる。実際、日本が中国に対して出すお金には、かぎりがないでしょ。こういう彼らのやり方を知らないまま田中と大平は中国に乗り込んだ。日本にとって、この交渉は本当に悔やまれる。[門田、p259]


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■5.「中国で千数百万人、二千億ドルの損失を与えながら〝ご迷惑〟とは何事か」

 田中総理一行が北京につき、最初の会談が行われた後、約6百人が参加して周恩来首相主催の歓迎夕食会が開かれました。周恩来の歓迎挨拶の後、田中総理の挨拶が始まりました。

 この時、大きな問題が起こりました。田中が「我が国が中国国民に、多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」との言葉が、中国語に翻訳された時のことです。

 それまで「角栄」節の一区切り毎に翻訳されて満場の拍手が響き渡っていたのに、この時は急に場内が異様な沈黙に包まれました。その後の会場は明らかに盛り上がりが失われました。

 周恩来はその時は黙っていましたが、宴会が終わり、田中と握手して別れる時に、「田中さん、"ご迷惑をかけました”という日本語は軽すぎます」と抗議をしました。翌日2日目の日中外相会談では、中国側はこの問題を蒸し返しました。

__________
 日本軍国主義は、中国で千数百万人、二千億ドルの損失を与えながら〝ご迷惑〟とは何事か。言葉が軽すぎるし、誠意がない。これは受け入れるわけにはいかない。[門田、p230]
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 日本側は「あれはきちんとした謝罪だった」としか言えませんでした。この部分の、中国語の翻訳は「添了麻煩」で、誤って女性のスカートに水をこぼしてしまい、「あっ、すいません」という程度の謝罪だといいます。この言葉で、満場の中国人が黙り込んでしまったとは、明かな誤訳です。

 スピーチの翻訳は橋本中国課長に任されており、彼は戦前にハルピンに生まれた、外務省でも一番、優秀な翻訳官に任せていたそうです。そんな翻訳官が、満場の中国人がみな不快に思うような明かな誤訳をする、などと言うことがあるでしょうか? そんな初歩的な誤訳に中国課長が気がつかない、というのも異様です。それも、もっとも日中間の機微に触れる謝罪問題で。

 門田氏は「中国側にとっては、『添了麻煩』問題は『しめた』というものだったろう」と述べて、あくまで不作為のミスと捉えているようですが、筆者個人としては、ここにも森田一秘書官の言った「なにか仕組まれているような気」がするのです。

 二回目の首脳会談でも、周はこの問題を厳しく追及してきました。ここで攻勢に出た中国側は、台湾問題でも日本側を押しまくります。最終的には、台湾との外交関係は解消されること、「二つの中国」の立場はとらないことなど、橋本中国課長が書いた文書を大平外相が読み上げて、なんとか共同声明にこぎ着けました。

 大平は、最後には「これらのことについて中国側のご理解を得たい」と、悪さをして叱られた生徒が先生に謝るような口ぶりになってしまいました。


■6.「日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた」

 こうして、本来なら日中国交正常化を急ぐ必要もない日本側が、いつのまにか「中国側のご理解」をいただいて、その後の膨大な援助を「させていただく」という形になってしまいました。

 こうした「史上最悪の外交的敗北」をもたらした責任が、日中国交回復を政権奪取の旗印とした田中角栄の私心だけでなく、橋本中国課長を代表とする外務省の無能、または背信にあったことは明らかです。

 この橋本課長は、1989年の天安門事件の際には、中国大使に出世しています。自国の多くの学生青年たちを戦車で虐殺する残虐さに欧米諸国が一致して対中非難に結束していた中で、橋本大使と、あの慰安婦に関する河野談話で悪名高き河野洋平官房長官が、対中制裁解除に奔走します。そして天皇訪中まで実現して、対中制裁の輪を崩してしまいました。

 当時の中国の外交部長(外相))銭其しん(王へんに深のつくり、せんきしん)は、回想録『外交十記』でこう書いています。

__________
 日本は西側の対中制裁の連合戦線の最も弱い輪であり、中国が西側の制裁を打破する際におのずと最もよい突破口となった。
 当時、われわれは日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた。西側の対中制裁を打ち破るだけではなく、さらに多くの戦略的な配慮があった。すなわち双方のハイレベル往来を通じて、日本の天皇の初めての訪中を実現させるよう促し、中日関係の発展を新たな段階に推し進めることだった。[門田、p283]
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■7.「とてつもない不幸」をもたらした日本外交の失敗

 ここでも日本外交は中国外交に操られていたことが分かります。天安門事件で、モンスター国家はその正体を世界にさらけだしたのです。欧米諸国とともに、日本が対中制裁に加わっていれば、少なくとも率先してその輪を崩したりしなければ、モンスターの成長を止められたチャンスでした。日本外交はそのチャンスも台無しにしてしまったのです。

「賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ」と喝破した佐藤翁はこうも語っていたそうです。

__________
 日本人は中国人のことを知らなさすぎる。そしてもっと日本人が知らないのは、私たちが思っている中国人と中国共産党の人間がまるで違うことだ。中国共産党が言っていることを信じているレベルでは、日本人は将来、とてつもない不幸を背負うことになる。[門田、p260]
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 外務省の本来の仕事は、この佐藤翁のように交渉相手をよく理解して、我が国の国益のための外交政策を考えることでしょう。それをまったくしていなかった外務省の無能または背信によって、「日中友好50年」が日本人だけでなく、世界にとっても「とてつもない不幸」をもたらしたのです。

写真は頂いた手作りパン

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外交的敗北の日中友好50年

2022-10-17 | Weblog

伊勢雅臣氏のメルマガより

1.モンスター国家を育ててしまった「日中友好50年」

 本年9月29日は「日中国交正常化50周年」の記念日でした。50年前、1972(昭和47)年のこの日、田中角栄、周恩来両国首相が日中共同声明に署名しました。ちょうど半世紀の区切りの年で、一応、記念式典も開かれましたが、国民の間ではしらけムードが支配的でした。

 なにしろ、日中共同の世論調査では、日本で「中国に良くない印象、またはどちらかといえば良くない印象」を持つ人が90.9%、中国側でも66.1%の人が日本に対して、同様の印象を持っています[NHK]。この数字だけ見ても、「日中友好50年」の歴史は、大失敗だったことが分かります。

 国民感情だけではありません。尖閣海域での傍若無人な領海侵犯、台湾に対する武力威嚇、チベットやウイグルでの人権弾圧、世界の発展途上国を債務の罠に陥れている一帯一路、等々、中国は今や世界の平和と安定を脅かすモンスター国家に育ってしまいました。

 この「日中友好50年」の間に、3兆7千億円近くのODA(政府開発援助)を貢ぎ、また日本企業の対中投資残高は2020年時点で約19兆円にも上っています[Wedge]。我が国の政府・企業は身を削ってモンスター国家を育て、国際社会に大きな危険と損失を与えてしまいました。

 最近のベストセラー、門田隆将氏の『日中友好侵略史』では、「おわりに」で「国交正常化五十年を機に、その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、二度と同じ失敗をしてはならない」と述べています。今回は同書を頼りに、失敗の原因の一端を見ておきましょう。


■2.「国交正常化をできるのは、田中だ」

 かつて自民党内で「元帥」と畏怖されていた木村武雄という衆議院議員がいました。佐藤栄作首相にも直言できる大物議員でした。中国共産党中央委員で対日工作の責任者・廖承志(りょうしょうし)は早くから木村武雄と接触し、二人は何度も会って、日中国交回復について議論を交わしていました。

 やがて田中角栄が頭角を現すと、木村は田中を首相にして、日中国交正常化を進めようとします。木村の秘書を務めていた息子の木村完爾は、当時をこう回想しています。

__________
国交正常化をできるのは、田中だ、日中国交正常化を武器にすれば政権がとれる、それをしなければならない、と田中さんを説得していました。ライバル福田(赳夫)さんは台湾派のほうに連なっていますからね。私には〝俺が田中政権をつくる〟とよく話していましたよ。[門田、p111]
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 木村の後押しを得て、田中軍団は「中国」を前面に押し出して、自民党総裁選に突き進みました。「いま中国に舵を切らなければ、欧米に遅れをとってしまう」「かつての大戦で迷惑をかけた日本だからこそ、中国に目を向けなければならない」、、、。

 田中は「日中国交」を旗印にして、福田を破り、政権を取りました。しかし、それによって田中政権は「日中国交」で失敗も後戻りも許されない状況に、自らを追い込んでしまったのです。


■3.「なにか仕組まれているような気がした」

 田中政権の誕生が昭和47(1972)年7月6日、そして9月29日には北京を訪問し、共同声明で日中国交正常化が発表されました。

 一方、アメリカは電撃的なニクソン訪中を田中訪中の7ヶ月前に果たしたものの、正式な国交樹立は7年後の1979年でした。米国の7年に対し、田中政権は3ヶ月。国際的な外交常識から言っても、異常な「拙速」でした。

 北京の迎賓館に到着した田中角栄首相と大平正芳外相の一行十数人を、周恩来首相が出迎えて、一人ひとりと握手していきました。大平の秘書官・森田一は、その時の驚きをこう語っています。

__________
 中国側は秘書官の名前も全部、わかっていたんですよ。だって、周恩来さんは、僕に〝森田さん〟と言ったんです。事前に勉強しているんですよ。一人一人について全部わかっているような感じでしたね。途中で、この交渉を通じて、なにか仕組まれているような気がしたのは事実ですね。[門田、p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 後に、門田氏は森田氏にこう聞いています。

__________
「中ソ対立が極限まで達し、北京や上海では、当時、ソ連の核攻撃に備えて避難訓練もおこなわれていました。また、文化大革命による破壊で、あらゆるものが機能不全になり、中国全土が〝荒野〟と化していたことはご存じでしたか」

 森田の答えは、こうである。
「いま分析すると、中ソ対決の情報が欠けていたと思いますね。それに文化大革命で中国が荒廃しつくしていることも知りませんでした。橋本中国課長がそういう情報を取っていなかったか、上げていなかったかということでしょう。[門田、p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ソ連との対立、文化大革命による荒廃と、日本を味方につけ、日本の力での経済再建を切実に必要としてのは中国でした。一方、日本は「欧米に遅れるな」という程度の動機しかありませんでした。これほど拙速に動く必要はなかったのです。

 この立ち位置を全く生かせなかったのは、外務省の橋本中国課長が中国側の状況の「情報を取っていなかったか、上げていなかったか」でした。取っていなかったとしたら信じられないほどの無能の極み、上げていなかったとしたら日本の国益よりも中国の国益を優先する「背信」です。

写真は中国産でなく、日本産、つまり友人から頂いた落花生

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からたち

2022-10-15 | 植物

 大垣に行った日、養老にも足を伸ばし、食事などをとりました。友人と話が尽きなかったからです。途中でからたちの実がなっているのに気づき、車を止めてもらい、カメラを向けました。

 からたちの実を見るのは65年ぶり。母校の加納高校の生垣で見て以来です。刺が異常に大きくて見分けがつきました。当時の高校の生垣は、旧制中学女学校以来のものでした。今はからたちの生垣は取り払われて、近代的なタイプになっています。刺が大きくて鋭くて管理も大変だったのでしょう。

 からたちは、15年前、東本願寺に隣接する枳殻邸の入口にも植えてあるのを見ました。枳殻という名前に忠実に生垣の一部に植えてありました。記事は、2007.3.4.

 ミカン科。中国原産ですが、お風呂にいれるくらいで、あまり利用価値はないようです。手間をかけてジャムを作るという方もあるようですが。

 

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