つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

さざれ石公園

2018-11-30 | 岐阜県

 いつか行ってみたいところでしたが、県内でも秘境に近いところと聞き、これまでなかなか近寄れないところでしたが、昨日ようやく画家の久保田夫妻に案内されて、行くことができました。揖斐郡揖斐川町春日にあるさざれ石公園です。午後になると昼間でも薄暗いので午前中に行くべきと聞いていましたが、まさしくその通りでした。岐阜県には、平安時代からさざれ石が大切にされていることも、これまで知りませんでした。中曽根首相の時代に揮毫された大きな石碑が目につきます。「さざれ石 国歌 君が代発祥の地 内閣総理大臣 中曽根康弘」と、書かれています。

 公園の800m手前のところで車を降りて、石段を登りますと、突然広いスペースがあり、さざれ石が鎮座されています。さざれ石は学名は、石灰質角礫岩と言い、石灰岩が長い間雨水があたると溶解され、その乳状液が鍾乳石になるのと同じ原理で地中で小石(さざれ石)を凝結し、次第に大きくなるのだそうです。

 紅葉にも間に合いました。もう積雪のあともあり、山の冷気が感じられます。駐車場から暫く登ると、県美術館長日比野克彦氏が、1988年に描いた巨大な飛天の壁画がありますが、かなり風化していますが、パワーは感じられます。その壁画の向こう側にさざれ石公園があります。

 昨日は、県有名人チャリティ色紙展初日。会場のマーサ21で待ち合わせました。20年前までは近くのデパートで開かれていたので、見に行っていました。久保田画伯も出品されていたからです。そこで彼の作品を買い求めたことがあります。今も出品を続けられています。久しぶりのチャリティ会場は、やはり混んでいました。チャリティ展は12/2まで。彼は私にもう一点描いて下さっていて、「天空の茶園」を頂きました。 

  11/15から半月かかった今年の庭師さんの剪定も、昨日終了しました。

  

登り口の滝の手前の紅葉                         日比野克彦氏の壁画

 

中曽根康弘氏の揮毫                            石碑を中心にニ塊あります

 

説明板                                     近づくと氷片が

 

11/28付け岐阜新聞

頂いた「天空の茶園」

ランチ

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ネパールとハイチ支援のバザー

2018-11-25 | ボランティア

  昨日と今日は恒例になっているWFWPネパールとハイチ支援のバザーを開催しています。場所は事務所のビルの空き部屋を利用しています。一日目の昨日はたくさんの人たちが来て下さり、ありがたかくお迎えしました。準備のスタッフも前の晩までかかり、何とか皆さんを迎えるとができました。お昼は豚汁とかサンドイッチ、午後のスィーツも全部スタッフの手作りです。この日のために普段顔を見せない人も、ケーキを焼かれたり、厚焼き卵を作られたり、畑の金柑を収穫して持ってこられたりして、協力頂き、感謝です。我が家の柚子も供出しています。

 幸い今年も、一室が空いていて、借りられましたし、これも感謝です。

 

 

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モロッコより

2018-11-22 | わが家

 これは、ブログでのお付き合いより発展したtonaさまから届いたモロッコの絵葉書です。ますますお元気で海外に出かけておられます。この青い扉は、15年ほど前に旅したチュニジアを思い出させます。アフリカ大陸の色彩なのでしょうか。モロッコは一度行ってみたいところですが、まだです。娘の夫のご両親がかなり前に行かれて、最高に気に入った国と言われていました。

 私は「カサブランカ」を見る程度しか知らないのですが。あの映画だけではモロッコは語り尽くされていないと、リンクしている彼女のブログを見て思いました。なお、「カサブランカ」のカサは、スペイン語で家。プランコは白です。つまり白い家ということでした。

 その下段の4枚の写真は、Gさんが金剛輪寺からスマホで送って下さったものです。25年前に行きましたがフィルム写真しかありません。紅葉の美しさが引き立ちます。確か湖東三山の一つですね。百済寺のご住職は夫の友人ですので、再訪したいと思いながらご無沙汰しています。廃車にしたので暫く無理です。

 

チュニジアの絵葉書

 

 

 

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関ヶ原古戦場

2018-11-20 | 岐阜県

 岐阜にいるのに、あまり関ヶ原古戦場には行っていないことに気づきました。友人が案内して下さるというので、大垣に向かいました。いつものように大垣駅で待ち合わせ。30年くらい前に関ヶ原町歴史民俗資料館に行っていますが、忘れていますし、まだまだ知らないところが多くありました。

 裏切った小早川隊が陣を張ったという松尾山の登山口まで行きましたが、二人共足に自信がないので、引き返してしまいました。各隊の陣跡が方々にあります。今は草生す中に標だけ立っています。1日で合戦は終わったと言えど犠牲者は8000人余り。軍勢は東軍、74000人。西軍は、84000人。首塚も痛ましいです。昼ころの小早川の裏切りで形勢は東に傾きました。大谷吉継は石田三成に無謀だから止めよと、進言したのに聞き入れられず、死装束で参戦。自刃しました。これは男の美学と称賛されています。

 歴史民俗資料館では、リアルタイムで合戦の状況がDVDで見られます。昨日は月曜日で休館日なのですが、臨時で開いていました。でも撮影禁止。世界3大戦跡の一つらしく、ナポレオンのワーテルローの戦跡と、米国の南北戦争の戦跡の展示も2階にあります。 

 お昼はうなぎ。話疲れたので、熊本出身の人がオーナーである茶房で休憩。展示品にもこだわりがある店でした。帰りは養老の彼女の家にも寄り、伊吹山の近景も撮りました。彼女の邸宅の隅にある蔵は扉が2カ所あり、県下にも例がないということで住宅専門誌にも掲載されました。

 

資料館レジメの一部

    

中山道の美濃街道に残る松並木                          松尾山登山道入口

 

西首塚

 

家康最後の陣地                      資料館前の道標           

         

昼食                                       茶房の展示

 

                                          養老町からの伊吹山 手前は象鼻山

蔵が木で隠れています 右が本宅

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岐阜チェンバーアンサンブル定期演奏会

2018-11-19 | 文化

 昨日は娘の友人御夫妻が、第41回岐阜チェンバーアンサンブル定期演奏会にてバイオリンとチェロを演奏されると言うので、娘に乗せてもらい、サラマンカホールに出かけました。ピアノコンサートには前からよく行くのですが、弦楽器は久しぶり。岐阜にこのような楽団があることも知らずにいました。華麗なチェンバロ(ハープシコード) を聞くのは何年ぶりでしょうか。調律ははじめて見ました。よくまとまっていて心地よいコンサートでした。アンコールは、山田耕筰の「この道」。日本の曲を弦楽器で聞くのもよいものです。

 軽快なモーツァルトのディヴェルティメントから始まりました。次は、ハーバーの弦楽のためのアダージョ。35代大統領のケネディの葬儀や、昭和天皇崩御の時も、東日本大震災後の復興コンサートでも演奏されたそうです。プログラム3番目は、エルガーの弦楽のためのセレナード。エルガーは、「愛の挨拶」とか、「威風堂々」はなじみがありますが、この曲ははじめて。イギリスは芸術家が数少ない国。画家ではターナー程度で、作曲家もエルガーくらいです。米国も作曲家はフォスター、画家は、アンドリュー・ワイエスくらいしか浮かびませんが、これは歴史が浅いからやむをえません。 

 

プログラム

 

チェンバロの調律

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公民館短歌会 146

2018-11-17 | 短歌

 朝夕は寒さが感じられるようになりました。この時期は飛騨高山は初雪を見ますが、今年はまだのようです。美濃はずっと後になります。昨日はいつものように公民館短歌会を開催。前回は文化祭の準備で時間をとられ、万葉歌の時間がなくなりましたので、先月のテキストで話しました。天武天皇か吉野におられた時作られた25番歌です。白村江の戦いに敗れた後、天智天皇は46歳で病死。息子の大友皇子が次の皇位につきました。在位期間は1ヶ月。壬申の乱が始まり、天武天皇の勝利で皇位を継承。大友皇子は自殺。壬申の乱は岐阜県が戦地。美濃の豪族の村国男依(おより) が天智天皇方につき、勝利しました。古代最大の内乱も日本史ではあまり教えられませんでした。皇族同士の争いは、恥とされたからです。

 日本書紀には、天智天皇の志は、自分の子供である大友皇子に継がせたかったと書いてあります。でも内乱のため、弟の天武が継ぐことになりました。大友皇子は!ヶ月しか皇位がなかったことは、明治時代に発見された文献により明らかにされました。 この日は、25番歌の背景のこの話をしました。

 

谷川の水で暮らししこの我も今はボトルで買ひ求めをり            Hさん

 

 

庭の菊にアブが留まっています

早咲の椿

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美術館への旅 2

2018-11-13 | 国内旅行

 旅の二日目は、鳴門市の大塚国際美術館。これまでは陶板でのレプリカでは行く気がしなかったのですが、ネットで調べると、見る価値があると評価されていて、考えが変わりましたし、事実その通りでした。過去にあったのに、戦争や諸事情のため、今実在しない作品が復元されているし、戦争で各国に散逸した作品が一堂に見られるし・・・何よりも驚いたのは、システィーナ礼拝堂の最後の晩餐までも復元されていること。イタリアでは、1時間も並び、15分しか見ていないのに、ここではゆっくりと見られます。

 模造と雖も1000点以上の世界中の作品が一ヶ所で見られるのはここしかありません。すべて原寸大で再現されています。展示面積は、国立新美術館ができるまでは日本一でした。1周すると4km歩いたことになります。六本木の国立新美術館には何度も行きましたが、企画ごとに部屋が分かれているため、まず全部の部屋に入ることはありません。そんなに広くは感じません。

 地上2階で地下3階。出入り口は地下3階にあります。山をくり抜いて建設されました。大塚製薬の創立75年記念に着工。まず原作を所蔵している美術館に、復元許可を得ることからスタート。完成までの年月も長かったようです。外国人の姿もちらほらありました。普通の絵画と違い耐久性があるので、1000年は大丈夫とのことです。エシプトの絵画、中世のキリスト教絵画から、ポンペイの遺跡の壁画まで復元。ルネッサンス絵画はもとより、近代絵画まで、時代別に世界中の絵画が網羅されています。ダヴィンチ最後の晩餐は、修復の前と後と2点展示。今回のテーマは、開館20年記念ゴッホのひまわりの7点展示。新宿の生命保険の高層ビルで見た、ひまわりにも再会。フラッシュは禁止ですが、撮影自由でした。

 

 

オランダで見たフェルメールも                                                                    最後の審判

 

古代ギリシャ壁画                                オランジェリー美術館で見た睡蓮も

 

戦争で散逸していたのがここでまとめられたグレコ              スペインのトレド美術館で見たマハも

 

修復前の最後の晩餐                                 戦争で消失したゴッホの絵の再現 唯一の全身自画像

 

ゴッホのひまわりの一枚    これも消失したものの再現               建築家ゴルビジェのアブストラクト作品

 

ホテルの庭から見るとひょこりひょうたん島のモデルが・・・左側です  右は森繁久彌所有の島          客船が・・・

屋島壇ノ浦もすこし・・・

 

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美術館への旅

2018-11-12 | 国内旅行

 9日、10日は、2年ぶりの旅に出ました。行程は、新幹線で名古屋から岡山に行き、バスで倉敷の大原美術館と、東山魁夷せとうち美術館へ。庵治温泉で1泊。翌日は、バスで鳴門大橋のたもとにある大塚国際美術館へ。そこからは淡路島を縦断し、明石海峡大橋を渡り、明石から新大阪駅まで行き、新幹線岐阜羽島着。旅行会社も時間に無駄のない計画で、団体ながら有益な時間を過ごしました。

 ほぼ50年ぶりの大原美術館は、新館もできて様変わりしていました。紅葉も美しく、美術館前の大原邸の前の倉敷川に泳ぐ白鳥もファインダーに収めました。つがいでしたが、一羽は隠れてしまいました。先頃孵化してヒナは動物園にひきとられたそうです。大原美術館は昔ながらの手動ドア。これも貫禄と言うべきか。名画との再会。新館も建設され、以前より作品数は増加していました。工芸館と東洋館は変わりません。時間があればまだ見たい展示もありましたが、団体では制限されます。

 午後は、東山魁夷せとうち美術館に向かいました。瀬戸大橋公園内にあります。画伯のお祖父さまが坂出市出身ということで、13年前にオープン。長野県にも画伯の美術館がありますが、せとうちの方は、主にドイツで描かれた作品が中心でおもむきが違います。画伯の作品は東京の国立近代美術館にもあります。学校時代、神戸で過ごされたことから、その地での展覧会も見たことがあります。DVDで半生が紹介されていた中に、何度も登場したのが、岐阜出身の加藤栄三画伯。とても御ふたりは親密であったことがうかがえました。どちらも日展日本画家の巨匠でした。久しぶりの瀬戸大橋も懐かしかったです。 

 

  

大原邸の紅葉                                 つがいでしたが、一羽はこの下に隠れました。

 

大原美術館                                       東山魁夷せとうち美術館

 

瀬戸大橋                                        倉敷での昼食

倉敷市立自然史博物館にて

 

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永代経紐解き

2018-11-08 | わが家

 昨日は母の永代経紐解きの案内がありましたので、お寺に向かいました。この日の対象家庭は、我が家だけ。1:1で住職のお経を本堂で聞きました。その後奥様の会話しながらお料理をいただきました。帰りにはおみやげもどっさり。25年前は、父の死後そういう招待はありませんでした。先代のご住職とは考えが違います。お経を聞いたあとは、法話。昔源信の往生要集を読んだことなど思い出す一日でした。30年ほど前、法話教室に通っていました。今は大方忘れています。

 帰宅しておみやげを開けますと、その中に念珠があり、東本願寺の御影堂に使用されていた大屋根の瓦のかけらを封入した親玉と、阿弥陀堂の古材の檜の主玉、そして、翡翠の天玉が繋がれています。これは男性用ですが、女性用には天玉は瑠璃らしいです。

 

  

玄関には檀家からのプレゼントが                           まずお抹茶から

 

 お食事                                                             ピンクのカサブランカ

 

作者名は聞き忘れました                      おみやげに頂いた念珠など

これらと仏教書も頂きました

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奈良だより 158

2018-11-07 | 国内旅行

 奈良の前田さまから、興福寺の300年ぶりの再建の写真が送られてきました。長くご無沙汰しているお寺です。最初に行ったのは、付属中学の修学旅行でした。その時、美術の先生から仏像の基本的な見方を教わっていました。これが理解出来たのはかなり後でしたが・・・仏像の指の組み方の印相まで説明を受けました。以下はメール。 

 「興福寺の中金堂は、奈良時代に創建されましたが、度重なる戦火や災害などで、過去に7度焼失しているようです。今回は300年振りに再建され、10月7日から11日にわたり落慶法要が営まれ、南都諸大寺の僧侶や天台宗総本山延暦寺の天台座主等も参列されました。10月20日から一般公開され、11月11日まで落慶記念夜間特別拝観と、中金堂のライトアップが行われました。音楽に合わせて中金堂を照らすLED照明が赤や緑に変化し、拝観者に配られるLED提灯の色も変化し、幻想的な時をすごしました。」
 
 
 
猿沢の池に映る興福寺五重塔                                 興福寺東金堂
 
  
 
東金堂と五重塔                                       南円堂の左に夕日が沈んでゆく
 
 
 
 
 
                                           300年ぶりに再建された中金堂
 
 
 
 
 
 
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